近場の桜木町みなとみらい地区で暴れ損ねて、こうなったら思い出に浸ろうとUSB取り出す。
遠い遠い海外旅行の思い出。これがいちばん。
3人外国旅行は2回であえなく終わり。
いやいやなんの、2回も行くことができて上等だ!2004年10月、2度目はフランス。
フランスねえ、とあまり乗り気じゃなかった記憶があるけれど、行ったら大正解、よかったわ。
まずはツアコンの方に率いられてゴッホのお墓があるオヴェール・シュル・オワーズ の村から。
ああ、ここへ行くバス車中でも腹痛が。すみません、真っ青になって駆け込みました。
続いてジャンヌダルクが処刑されたという町 ルーアンへ 鴨料理の方が思い出深い
港町 オンフルール
それからモンサンミッシェル
回るやら、お城群回るやらして最終地パリへ。
パリがほとんど自由行動だったのよ、この時のツアー。
まず1日目は、電車に乗ってシャルトルからベルサイユ宮へ。
故須賀敦子さんの『ヴェネツィアの宿』に出てくるシャルトル巡礼の話にいたく感動して、
行くことができたらいいなあ、行けないよななんて思っていたの。
大聖堂のシャルトルブルーといわれるステンドグラスが素晴らしかった。晴れていたらどんなに美しかったことか。
で、2日目帰国の日。集合時間までパリ市内巡り。
お決まりの凱旋門、オルセー美術館、ノートルダム寺院、セーヌ川遊覧して興奮して。
サン=ルイ島かシテ島かしら、それとも他の通りだったかしら。ぶらぶらして。
そろそろお昼にしようかとお店物色しながら歩いて、ここにしようとそば粉のクレープ屋さんに。
外から覗いても右側に厨房、左に客席がいくつかの小さなお店だったわ。
テーブルについてメニュー見て。
その後の詳しい経過は覚えていないのだけれど、何か厨房のお兄さんに言わなくてはいけなかったのね。
なんて言えばいいのかしら、分からん。分からんが伝えなくてはいけない。そこで。
先年のボディランゲージに懲りたのか、年下友がやおら単語カードを取り出した。
ほら学生の時、英単語か何か覚えるためのあのリングの付いたカードよ。
そこに必要必須の日常会話がフランス語で書いてあったのね。その1枚を厨房のお若いお兄さんに見せた。
お兄さんそれを受け取って腹抱えて。
なんだなんだ、なに見てるんだ、何がおかしいんだよってな感じで他のお兄さんたちも寄ってきて。
皆で回し見て。厨房中大笑い。
もちろん、通じましたよ、言いたいこと。
厨房の大騒ぎを見てお隣の席の方たちも、「なにそれ?」と興味津々。
これですよ、と年下友は単語カードを見せた。お隣さん、にこにこ。
いやあ、その辺のムード一気に和やかになって。
年下友、最高殊勲選手よ、単語カードさまさまよ。
美味しかったそば粉クレープとともにパリのいい思い出。