この頃、今の私の年頃に母はどのように過ごしていたのだろうかと考える。
私はまだ現役で自分のことで忙しく、母のことなど思いやることもなかっただろう。
母は癇性でとてもきれい好きな人だった。
朝起きるとまずは父が掃除機をかけ、母は狭い家の中をぞうきん片手に手順通りに
拭いていた。それが終わらないと食事も何も始まらない。
使った手拭い1枚でも残っていると、ほっておけなく気になると言って手洗いする。
私がその遺伝子を欠片でも受け継いでいたら、我が家はどんなにきれいなことか。
7人兄妹の長女ということもあり、まじめで几帳面で融通の利かない性格は、本人も
周りもなかなか大変だったのではないかと想像する、って母に失礼かしら。
母は90歳で脳出血で倒れた。
以来7年間話すこともできず形ある食事もとれず、寝たきりの生活が続いた。
毎日施設に行って声をかけると目を開け、手を握ると力強く握り返した。
握り返す力や目の開け方で母の健康状態が何となくわかった。
それでもやはり身体は弱っていって何回か入院を繰り返し、最後の入院は2014年1月。
亡くなる1週間くらい前だったかしら。
寝ていた母が急に目をぱっちり開け、天井をあちらこちら見回した。
それまでは目を開けてもぼんやりとした感じだったのが、本当にしっかりと見開いていた。
不思議なことがあるものだと。
しばらくそうやって天井を見ていたが、やがてゆっくりと目を閉じた。それっきり。
長く付き添っていると、もしかしたら今晩当たり逝くかもしれないということが分かる。
その日、病院から夜具を借りて母のベッドの横に敷き一緒に夜を過ごした。
母は高鼾をかき気持ちよさそうだった。
翌朝の3時半ころ私たち夫婦に見送られてあちらに旅立った。
できることはしたという思いはあるが、生きているときの母にもう少し優しくすれば
よかったなという後悔はある。
母の愚痴を邪慳にしないで聞いてあげればよかった。
さびしいと訴える母にもっと寄り添ってあげればよかった。
ホウレンソウはもう少し柔らかくゆでて、短めに切ってあげればよかった。
母の日。
たまには母のことも思い出して。年のせいか、ちょっと胸に迫るものがある。