両親がまだそれなりにシャンシャンしていた頃だから8,9年前になるかしら。
シャンシャンはしていたけれど・・・
母は妙に淋しがるようになり、それとともに3度の食事作りが億劫になってきていた。
そんな様子を見かねて、私はそのころから月に1回1週間ほど滞在して、家事全般引き受けていた。
その合間に、実家のごちゃごちゃあれこれを整理整頓する。勝手に処分するのもなんだから母に
「これは捨てていいかの?あれはどうする?」とすぐに決断するよう迫る。
母は昔人間だからもちろん捨てるのを潔しとしない。
それなのに、こんなものもう使わないから捨てろ!と私が責め立てるものだから、終いには
「私が死んだら好きなようにしてくれ!」と母はえらい立腹のご様子。
そのうちの一つがこのお鍋。持ち手なし、あらゆるところがぺこぺこに凹んで。
「もうきったないから思い切ったら?それにこんな大きな鍋は使わんでしょ」
と処分候補に挙げると、
「それは便利なんだ、なんにでも使えるから取っといてくれ」とすごい勢いで猛反対。
それを押してまでという気はないから、場所ふさぎと思いつつ今日まで吊り棚の上で鎮座していた。
ところがところが、今やそのお鍋が大活躍。
ヤマグチサンからいただく山菜はすべてこのお鍋を使う。おすそ分け第二弾。
ワラビ ↓ ウド
タケノコを茹でるのもこのお鍋。
この大きなアルマイトお鍋のおかげで下ごしらえが楽ちんよ。
あっ、冬にはたまに蟹も茹でたりしたもんね。
母よ、すまぬ。「親の小言となすびの花は千にひとつの無駄もない」
心しておきます。
それにしても妙な時にふと母のことを思い出したりして。変ね。
手に馴染んで使い込まれたお道具は、どんなに高価でも他に替わるものがないのですよね~。お宝ですね!
もうひとつ年代物が。こちらは鉄製の小鍋。
母に死なれてますます捨てられなくなりました。