
昨日、パソコンに向かっていたら、突然、ワイフから、”北斎とその時代”展のことをやってるわよ、との声。ええっ、ぼくはすぐテレビの前に座る。その日、その展覧会を観にゆく予定していたのだから、まるで、ぼくのために放送してくれたようなものだ(笑)。教育テレビかと思ったら、少し前までみていたワイドショーで、ぼく好みの(汗)、いつもの女性キャスターが美術館で学芸員の説明を受けているではないか。

そうなんです。ぼくも、まだ、到達していない年齢からはじめているのだ。すごいことだ。それも平均寿命50歳の江戸時代に。今でいえば80歳は越えているだろう。そして北斎自身、こうも言っている。

な、ななんと。ということは、”富嶽三十六景”は北斎自身、大変な自信作と思っているに違いない。ぼくは、中学生の頃から何故か、北斎が大好きだけど、その頃から今まで、やはり、この”富嶽三十六景”が一番である。ということは、ぼく自身も審美眼があるということに違いない。

北斎は、前進、前進、また前進で留まる事を知らない天才なのだ。90歳で亡くなるが、あと5年生かしてもらえれば、”真正の画工となるべし”、という言葉まで残している。

満足ということを知らない天才は、平気で雅号を変えた。脱皮を繰り返し成長する昆虫のようだ。だから、”富嶽三十六景”を描いた時の雅号は北斎ではなく、為一だった。版元は、すでに有名になっていた北斎の署名を入れ、”北斎改為一”としている。最後は画狂老人卍(まんじ)と号した。

このテレビのせいではないだろうが、太田美術館はいつになく賑わっていた。本当は、36景ではなく、売れ行きが良かったために、さらに追加して、46景になった。36枚を表富士、追加の10枚を裏富士という。富士山の輪郭線の色も前者は藍色なのに対し、後者は黒色にしている。実際、展示数を数えてみたが(汗)、1,2階で、ひとつ多い47図あった。ただ、あの有名な”山下白雨”が、松林を加えたものも含まれていたので、正確には46景だ。それらが一堂に会するのだから、さすが浮世絵美術館の最高峰といわれるだけのことはある。

うれしくて、うれしくて、1,2階、ふたまわりしてしまった。初見のものもいくつもある。こういう機会はめったにないことだし、とても幸せな気分だった。北斎の影響を受けた画家たちの作品もあったが、今回はチラリとみる程度にした。広重の富士山とかもあったし、北斎の娘さんの美人画もあった。ただ北斎も親ばかちゃんりんで、”美人画はおれより上手だ”とほめていたのが微笑ましかった。
”富嶽三十六景”は、富士そのものの美しさ(”赤富士”や山下白雨等)ももちろんだが、画面に現れる人物、一人ひとりのこまやかな動きや表情がなんともいえずいい。それより、なにより構図の美しさ、奇抜さは、北斎ならではのものだ。ゴッホら西洋の画家たちに影響を与えたというのだから、すごすぎる才能と、いうところだろう。
ぼくは、いつも、重たいものをもつのが嫌いな質なので展覧会図録は買わない。でも、今回は、図録は買わなかったが、ちょっと重いけど”富嶽三十六景”だけを収録したものを買った。図録よりずっと色がきれいだし、それぞれに説明文もついている。

北斎フアンは必見です。以下、ぼくの買った画集からいくつか。神奈川県下のものを中心におみせします。ほかの都府県の方は直接、太田美術館でお買いください。1800円ぐらいだったと思います。
相州七里ガ浜

相州江の島

相州箱根湖水(芦ノ湖です)

東海道程ヶ谷(保土ヶ谷)

あとはおまけ。
常州牛堀(ぼくは茨城県人であったこともあるので、霞ヶ浦の牛堀町からの富士)

諸人登山(めずらしい富士登山風景。静岡県の人にもおまけ。あれ山頂は山梨かな?

甲州三坂水面(河口湖に移る富士の位置と季節がへん(湖水では雪富士)、ぼくのブログに訪ねてくださる変人におまけ。


さあ、今日も画集をみながら、いっぱい飲もう。

。。。
そうだ、忘れてた、ぼくは江戸っ子(三鷹だけど)でもあったんだ。これも入れなきゃね。
江戸日本橋
