気ままに

大船での気ままな生活日誌

今日の空

2010-07-21 20:44:47 | Weblog
今日の空も良かったなあ

朝 朝焼けの空


昼 上野の東博でみたスカイツリーと空


夜(1) 由比ヶ浜の花火 音だけはよく聞こえる でもときどきベランダから花火もみえる 赤いのがそう(汗)


夜(2) お月さまはよくみえた 満月は26日。今年は、北海道、利尻島で観月の予定

。。。。。

去年の鎌倉花火大会は中止だった。特等席を予約しておいたのに。
一昨年の由比ヶ浜の花火は観た。思い出すなあ。あのときは8月11日だった。
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京都歴史散歩

2010-07-21 19:12:03 | Weblog
祇園祭見物の間、山鉾町周辺だけれど、ぶらり散歩もしてみた。さすが、千年の都のことはある、あちこちに、歴史的人物の足跡があったりして、とても面白かった。

西洞院四条当たりに妙な石碑をみつけた。”化粧水”とある。どこかの化粧品屋さん発祥の地なのかなと、横の案内板をみると、おどろいた。あの小野小町がこの辺りに住んでいて、西洞院の清流の井戸を使っていたということだった。清い水を使うと、お化粧をしたように、色白の美人になるということだろうか。うちのワイフの郷、熊本市もきれいな水で有名だが、どうしたことだろうか(汗)。


新京極通りを歩いていると、和泉式部が初代住職であった誠心院と彼女のお墓をみつけた。そして、当院に伝わる”和泉式部縁起絵巻”の物語がパネルで展示してあった。その一枚に、一遍(遊行)上人との出会いがあった。御所の近くに住んでいた紫式部が、あの人の和歌は素晴らしいが、恋愛遍歴の素行は感心できないと言っていたそうだ。やっぱり京女は辛口だな(笑)。ついでながら浪速女は軽口だ(爆)。でも最後はご住職に。セトウチなんとかさんとそっくりだな(爆)。


そして丸山応挙居住地も。場所は錦市場の手前だったかな。翌日訪ねた、高台寺で”百鬼夜行展”をやっていて、応挙の幽霊図を観てきた。足のない幽霊はこの絵から始まったそうだ。ここで幽霊を描いていたのだ。話は違うけど、”ゲゲゲの女房”貧乏神が退散したようだね。視聴率トップになったらしい。


文藝関係だけでなく、お侍さん関係も。

敵は本能寺にあり。あれだけ光秀を窮地に追い込めば、やられるだろう。でも、信長の桶狭間の奇襲作戦は見事だった。あのときの本能寺は現在とは別の場所にあったとのこと。


池田屋騒動の池田屋は居酒屋チェーン店になっていた。お店の入り口に、案内板があり、騒動は祇園祭の宵々山(7月15日)の日に起こったそうだ。現在も、新撰組、勤王派、佐幕派、差別せず死者の供養をしているそうだ。龍馬はここにはいなかった。

龍馬と中岡慎太郎が京都見廻組に暗殺された近江屋は、河原町(四条に近い)の大通りにあった。現在はコンビニになっている。龍馬33歳のときだった。


京都の台所 錦市場。延暦年間(782-805)に開かれたそうだから、以上の歴史的人物は、みな此処を利用したことだろう。

。。。。。

数年前の円覚寺夏期講座で、京都にお住まいの宗教学者の山折哲雄さんが、京都はいいですよ、散歩の途中で、いろいろな時代の史跡に出会えますからね、と言っておられたことを思い出した。本当にそうだと思った。
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