気ままに

大船での気ままな生活日誌

キャプテン・クック探検航海とバンクス花譜集展(2)

2015-02-07 10:55:47 | Weblog

 クック隊の目的のひとつに、タヒチ島での金星の太陽面通過の観測にあることは前報で述べた。この観測に成功し、彼らはこのソサエティ・アイランズに4か月も滞在し、島々の寄港地で植物採集を行い、画家パーキンソンが中心となり、たくさんのドローイングを完成させた。第1章 ソサエティ・アイランズ/金星観測の成功において、20の図版が展示されている。

植物名は学名ばかりで、覚えにくいが、この章でメモしたものをいくつか載せておこう。ハイビスカスの一種、ヒビスカス・ティリアーケウスsubsp ハスタートウスとかテスペシア・ポプルネア、そして、ヘチマの種類や赤い花糸が密生する花(メートロシーデロース属)、ゴーギャンが描くタヒチの絵に良く出てくるというガルディニア属の花とか。そうそう、サツマイモの種類も。

カスアニーナ・エクィセティフォリア

ポリネシアの伝統的な生活用品などの展示もある。アルコールは含まないが麻酔性のある飲料カヴァの原料となるカヴァの根。貝の装飾文化、樹皮布なども。カヌーの模型も。

釣り針(真珠母貝)

第2章 ニュージーランド/勇ましき戦士たちの島
ニュージーランド(NJ)は100年前にタスマンによって、その存在が知られていたが、勇ましき先住民マオリのため上陸はしていない。上陸したのはクック隊が初めてで、そして、島の全体図も初めて描いた。クックはマオリの文化を高く評価し、人は勇敢で身だしなみも良く、活動的だと評した。

NJのクリスマスツリーと呼ばれるメートロシーデロース属やその姉妹種。うつ病の治療薬となる木の野生種そしてグレイケニア・ディカルパなどのシダ類など。

クリアントゥス・プニケウス

マオリの戦闘用カヌー

マオリの翡翠ペンダント

 第3章 オーストラリア/花咲ける太平洋
イギリスを出港してからもう、約1年8カ月がたっていた。クック隊は当時ニュー・ホランドと呼ばれていたオーストラリアの東海岸(シドニー辺り)をヨーロッパ人で初めて発見する。湾に上陸した一行は、先住民のアボリジニと接触する。これは、西洋人からみれば、近代オーストラリアの幕開けとなった。

クックがここをボタニー・ベイ(植物学湾)と名付けるほど、この湾では多くの新種の植物が発見された。”バンクス花譜集”には、80種以上の植物が採用されているとのこと。バンクス自身の名前を冠することになったバンクシア属は現在、オーストラリアを代表する植物となっている。70種以上もあるそうだ。”バンクシア・セラータ”は、森林火事にも耐え、種子の入った袋果は、こがされた後にのみ、開いて種子を飛ばすとのこと。この種は、図譜にもあり、絵画的にも最も完成度の高い作品の一つと言われている。

バンクシア・セラータ

その後、グレート・バリア・リーフを北上していたエンデヴァー号は珊瑚礁に座礁する。舟の修理のため、”エンデヴァー・リヴァー”と命名した川の河口に数週間、滞在。ここでも、多くの新種の植物を発見し、バンクス花譜集に採用された。

テプランケア・テトラビュラ

第4章 ジャワ―パーキンソン最期の地
その後、オーストラリアを出航し、ジャワ島に向かったが、悲惨な運命が待っていた。現在のジャカルタ、当時バタヴィアは、東インド会社の首府が置かれているほど都市化していたが、衛生状態が悪く、メンバーの多くが、赤痢、マラリア等にかかって命を落とすことになる。滞在中には7名が死去、ジャワから喜望峰への航海中に31名もが亡くなり、画家パーキンソンもこれに含まれていた。
パーキンソンは、その最期の寄港地でも72点の植物のドローイングを残していて、そのうち、30点が”バンクス花譜集”に採用されているとのこと。

クレロデンドルム・パニクラートゥム


こうして、エピローグは、凱旋帰国そして『バンクス花譜集』の出版へとなるのである。

花譜集だけではなく、クック隊の苦難の航海のあとも追うことが出来た、いい展覧会であった。

 

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