気ままに

大船での気ままな生活日誌

フェイジョアは植物界の大谷翔平である

2018-05-25 22:50:57 | Weblog

こんばんわ。

ぼくの散歩道のフェイジョアの木。二、三日前は固い蕾ばかりだったのに、今朝、びっくり。すべての蕾が一気に花となっていたのだ。まさに、♪ある日突然♪といった感じ。

去年の日誌を見ると、6月18日に、隣りのデイゴの花と一緒に咲き始めていた。ひとつき近くも早い!でも、今年のデイゴはまだひとつも咲いていない。

フェイジョアの花は咲き始めからおわるまで、いろいろな姿を魅せてくれる。花弁の内側の赤紫を次第に外側の白が巻いてゆく。


フェイジョアは”植物界の海老蔵”である、と言ったのはぼくである。

今回、フェイジョアは”植物界の大谷翔平である”、という新説を提案したい。

それでは、おやすみなさい。

いい夢を。

朝寝坊しないように。植物界の目醒まし時計を用意しました。

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ぶらり両国

2018-05-25 10:19:00 | Weblog

おはようございます。

ひょんなことから、”ぶらり両国”と相成りました。まさに、気まま散歩。スタート地点は両国国技館。とりあえず、隣りのえど博で展覧会でもと思ったが、特別展も企画展も開催されていなかったのでパス。で、えど博と国技館の間の小路に入った。考えてみれば、両国散歩というと、回向院や旧吉良邸跡地がある駅の南側ばかりで、この方面に足を踏み入れたことはなかったような気がする。

前方の緑の中に寺院風の建造物がみえる。何だろう、と門前まで行くと、その建物は寺院ではなく、東京都慰霊堂で、墨田区横網町(よこあみちょう)の横網町公園内にあることを知った。

裏口から見る東京都慰霊堂

正面口に廻り、そこから見る慰霊堂。

大正12年(1923)9月1日に発生した、関東大震災による遭難者(約58,000人)の御遺骨を納めるための霊堂として、東京市内で最も被害の大きかった被服廠跡(現在東京都横網町公園)に昭和5年に建てられたとのこと。当初は”震災記念堂”と名付けられたが、昭和20年3月10日の東京大空襲による犠牲者(約105,000人)の御遺骨も併せてこの霊堂に奉安し、昭和26年9月に名称を”東京都慰霊堂”と改め、現在約163,000体の御遺骨が安置されている。との案内があった。

慰霊堂内も見学できる。ここで、毎年2回(3月10日と9月1日)慰霊大法要が行われる。

空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑。

震災遭難児童の碑

境内のある地点から、振り向くと、スカイツリーがよくみえる。

横網町公園をあとにして、北斎通りへ入った。

道路には北斎の名作が。

案内板を見ると、すみだ北斎美術館へ向かう途中の脇道に相撲部屋があることを知ったので寄ってみた。一つは、現理事長の八角部屋で、そして、水戸泉が興した錦戸部屋も隣り合っている。

八角部屋

八角部屋なのに三角の屋根はおかしいと思っていたら、ちゃんとドアに八角があって安心した。

錦戸部屋

北斎通りに戻り、5分も歩くと、緑町公園に着く。ここは、津軽藩の大名屋敷があったところ。北斎もこの界隈で生まれたようだ。北斎美術館もこの公園に隣接して建っている。

緑町公園 凌霄花がもう咲いていた。

北斎生誕の地の案内板が公園の片隅にたっている。

向いが、すみだ北斎美術館。奇抜な設計は妹島和世による。

館内で晩年の北斎と娘の阿栄(応為)を見ることができる。ときどき指先が動くのので、一瞬、本物の人かと思い、ドッキとする。それほど精巧なつくり。

ここから、さらに歩を進めると、野見宿禰神社。相撲の始祖とされる野見宿禰を祀る神社で、歴代横綱の石碑が二基ある。本場所の取組編成会議後に出雲大社神職のもと、協会執行部らにより祭事が行われる。新横綱が誕生の折りには、神前で土俵入りが披露される。

野見宿禰神社

二基の歴代横綱碑

初代から46代朝潮まで

柏戸から72代稀勢の里まで

結びは稀勢の里。来場所、復帰、全勝優勝!神社にお祈りしておきました。

と、気ままな両国散歩は、国技館からはじまって、稀勢の里で終了でござりまする。いろいろ見物でき、とても楽しい”ぶらり両国”であった。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

。。。。。

そうそう、大谷翔平、二塁打二本の大活躍。深夜の生中継、一本目の二塁打は見ましたよ。あとは寝てしまいましたが。

 

コメント (2)
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