気ままに

大船での気ままな生活日誌

没後50年 鏑木清方展 

2022-05-08 18:50:30 | Weblog

こんばんわ。

今日は大相撲夏場所の初日。横綱・大関が次々破れるなど波乱のスタートだった。一方、竹橋の東京国立近代美術館(東近美)で開催されていた没後50年/鏑木清方展は今日(5月8日)が千秋楽。今日のブログはまだ1本も書いていないので、どちらかを取らねばならない。初日か千秋楽か、どちらかといえば、やはり千秋楽の清方展でしょうか。中日(なかび)頃に出かけているが、まだ記事にしていなかった。まだ中途半端でよく練れていないが、千秋楽に投稿することにした。

鏑木清方(1878-1972)は挿絵画家としてスタートしたが、文部省美術展覧会の開設(1907年)を契機に日本画に転向している。今回は、その日本画のみが109点も展示される大規模な回顧展である。ただ、展示期間がそれぞれ異なるため、お目当ての作品がみられないこともある。実際、そういう作品があったが、ここでは見たことにして(笑)載せておきたい。また、是非、本展に展示してもらいたかった作品も一部あった。会場は写真撮影禁止だが、ここでは、”マイ所蔵品(写真)”の中で調整した。

本展は次のように作品のテーマ別の展示構成になっている。以下、各章ごとに代表作品を載せていきたい。

第1章 生活をえがく
第2章 物語をえがく
第3章 小さくえがく

第1章 生活をえがく

本展の目玉はなんといっても、本章の、”築地明石町”(1927年)であろう。お相撲さんに例えれば横綱だ。そしてこれと合わせて三部作とされる”新富町”、”浜町河岸”の両大関が並んで展示されている。これらは44年間行方不明で、2018年に再発見され、東近美に購入された。そのお披露目展が2019年11月に開催され、ぼくは二日目に見に行って、感想文を書いている。また、12月にも二度目の鑑賞をしている。だから、今回、2年半ぶりの再会となる。

築地明石町(1927年)明治期に、外国人居留地があった築地明石町を舞台に立ち姿の美しい婦人を描いた。西洋風の巻き髪の婦人が秋風に思わず羽織の袖をかき合わせる。水色のペンキで塗られた柵は洋館を想像させる。初秋の朝顔、帆船のマストもほのかに描かれる。近代美人画の最高峰とされる。

新富町(1930)  新富町は花街だった。芸者さんの袖口から見える襦袢は紅葉と菊の模様なので、秋雨だろう。うしろの新富座の絵看板は仮名手本忠臣蔵とのこと。

浜町河岸 (1930) 稽古帰りの町娘が描かれる。付近に藤間流の大家が住んでいた。隅田川、火の見やぐら、右に新大橋がうすく描かれる。

三点そろって見られる。季節が少しづつ移ろい、女性も少しづつ娘さんから年増へ。

ためさるゝ日(1918)長崎丸山の遊女の、正月恒例の宗門改めの行事を題材として描いたもの。初期の弾圧が厳しい頃ではなく、年中行事化した後の長崎の丸山遊女の踏絵。馴染みの客から遊女たちに贈られる衣装は”踏絵衣装”と呼ばれ、次第にその艶を競うようになったようだ。第12回文展に向け、左右対幅の作品として描かれたが、途中で思い直して展覧会には左幅だけが出品された。左幅が公開されるのは1992年の展覧会以来、30年ぶり。左右あわせてのは公開は1982年の展覧会以来、40年ぶりとなる。ぼくは、右幅だけを鏑木清方記念美術館蔵で何度も見ている。

朝涼(1925) 長女、清子をモデルに描いた。蓮池のほとりをおさげ髪をさわりながら歩く少女。明け方に残る白い月が描かれている。清方記念館所蔵なので何度も見ている。

墨田河舟遊(1914)東近美所蔵。常設展のときに撮った写真。

雛市(1901)

明治風俗十二ヶ月(1935)四月のお花見、五月の菖蒲湯など各月の風俗が細かく描かれる。清方記念館のお正月展示に名押絵師・永井周山の”明治風俗十二ヶ月”を元にした押絵羽子板12枚が飾られる。

第2章 物語をえがく 

一葉女史の墓(1902)”たけくらべ”の美登利が、樋口家の墓にもたれる図。 美登利が持つ水仙の作り花は、小説の最終章で、恋しく思っていた信如が修行に発つ日の朝、格子に挿されていたもの。

幽霊(茶を献ずるお菊さん)(1906)2017年に94年振りに発見され、2019年に谷中の全生庵の幽霊展で初見している。清方26,7歳頃の作。全生庵は円朝のお墓もある。

三遊亭円朝像(1930)重文 円朝は自身の創作落語で人気を博していた。その速記本が四迷や逍遥に読まれ、彼らの文章体に影響を与えたという。円朝といえば、怪談噺で有名。幽霊図の蒐集家としても知られる。全生庵で毎年、幽霊展が行われる。師匠のお墓もここある。清方は父親の関係で子供の頃から可愛がってもらい、慕っていた。

曲亭馬琴(1907) 曲亭馬琴が失明した後に、息子の嫁・路に一字一句文字を教え、口述筆記により”南総里見八犬伝”を書き継いでいる場面。

遊女(1918)通夜物語(泉鏡花)の遊女の丁山がモデル。横浜美術館所蔵でよく見ている。

一葉(1940) 清方は実際に会ったことはないが、少年のころから憧れていて、”たけくらべ”や”にごりえ”は暗唱するほど愛読していたという。試しに描いた一葉図が、鏡花によく似ていると言われ、一葉の妹さんを参考にしながら、本格的に描いたのが”一葉”だ。芸大美術館所蔵。

kiyo1940.1.jpg

小説家と挿絵画家 鏡花文学を愛し、挿絵や口絵、装丁でその世界を描き出した清方が、若い頃の二人の姿を晩年に追想して描いた作品。木挽町にあった清方の住まいに鏡花が訪ねて来た時の様子を描いた。鏡花は生ものを食べないので、夏でも湯豆腐を出している(笑)。 

(特集2歌舞伎)

野崎村(1914)国立劇場所蔵。大坂の質屋油屋の娘お染と丁稚の久松の禁断の恋。この絵は、二世市川松蔦のお染と六世市川門之助のお常を描いたもの。

薄雪(1917) 近松門左衛門の世話物浄瑠璃”冥途の飛脚”に取材した作品で、心中前に最後の抱擁をする梅川と忠兵衛を描いたものだ。福富コレクション。福富自身もこの絵が一番好きで、最後の入院中の病室に飾っていた。福富コレクションの”刺青の女”がここに入っていなかったのが残念。

道成寺鷺娘(1929)大谷コレクション

第3章 小さくえがく

にごりえ(1934)

註文帖(1927)

朝夕安居(1948) 明治20年頃の東京下町の人々の暮らしを描いた。ぼくは、清方の作品の中では、美人画では”築地明石町”、風俗画ではこの”朝夕安居”が一番好き。朝、昼、夕1,2とあるが、4点を全公開します。 

朝、その1。新聞配達をする少年。道を掃き清める奉公の娘さん。煮豆屋の車を呼び止めるおかみさん

昼。百日紅の木陰で一服する風鈴屋さん。ちりんちりんと涼やかな音が聞こえてきそう

夕方、その2。むぎゆ(麦茶のこと)、さくらゆを楽しむ人々。夏の夕方、涼み台を並べ、むぎゆやさくらゆを売るお店がかってあったようだ。

夕方、その1。娘さんが行水で汗を流している。手前の女性はランプの掃除をしているのだろうか。

公式サイトから。浮世絵系の挿絵画家からスタートした清方は、その出自を常に意識しながら、晩年に至るまで、庶民の暮らしや文学、芸能のなかに作品の主題を求め続けました。本展覧会では、そうした清方の関心の「変わらなさ」に注目し、いくつかのテーマに分けて作品を並列的に紹介してゆきます。関東大震災と太平洋戦争を経て、人々の生活も心情も変わっていくなか、あえて不変を貫いた清方の信念と作品は、震災を経験しコロナ禍にあえぐいまの私たちに強く響くことでしょう

とても素晴らしい展覧会でした。

なお、東京展は今日、5月8日で閉幕しますが、5月27日より7月10日まで京都国立近代美術館で再開するようです。京都まで出かけるかも。

では、おやすみなさい。

いい夢を。


大船フラワーセンターの今日の薔薇園

 

コメント (6)
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