■ 本来は、もっと前にやっておくことかもしれない。
定年後の2、3ヶ月は、やりたいことのかたわら、(1)~(3)の身辺整理(老前整理)を行っている。
(1) 最低必要限のものを残し捨てる、心身を軽くする―断捨離だ!
<本、資料> <家具、食器、衣類> <保険類> <冠婚葬祭や活動関係>
(2) 医療や介護や家のこと
・ 私たち夫婦2人が、突然亡くなっても、不治の病になったとしても、残された子供が迷惑にならないよう、わかるようにしておく(エンディングノートに記載し、相互にわかるように伝えておく)
(3) 葬式の方法、墓、納骨の方法について
○ 自分の両親などの時は、そんなことを考えてもいなかったし、知識もなかった。
両親自身が望んでいるピリオドについて、話をやり取りする時間もなかったし、遺言もなかった。
30歳代の時だった。
離れて暮らしていたのと、家族をかかえ仕事が忙しかったのとで、
葬儀業者と寺のなすがまま、あたふたと、その時の状況と慣習に従って終了した。
それでよかったのだろうかと思うこともあったが、熟考する閑もなく時が過ぎ去った。
先日、「あの世の心得」(永六輔、文春ネスコ、2003)など2、3の本を借りてきた。
人生の終わりの迎え方について整理し、遺言に残し、本人も子供たちも悔いを残さないようにしておきたいと思った。
○ 私の子供のころ、田舎の山村でよく見ていた葬送は、家族と村人が行っていた。
自宅で家族に見守られて死に、家族が体をぬぐい、着物を着替えさせた。
村の近隣の人たちが集まり、自宅で葬式をあげ、家族と近隣の人たちが木の棺をかついで、葬列をつくり寺の墓地まで運ぶ。
その家の墓地の土をシャベルで掘り返し、墓穴を掘り、棺を埋め遺体を埋葬した。
故人も棺も、長い年月で土になっていた。
いつも同じ場所に埋めていたようだ。
だから、墓地は増えていなかった。
子供心にも、死ねば自然に土に還るものと思っていた
○ 最近、非常にまれに田舎に帰ることがあるが、死者は市の火葬場で焼かれ、都会と同じく区画で区切られた墓地・墓石の下に埋骨されていた。
だから、やたらと墓石が多く、墓地も広がっていたのには驚いた。
永六輔の本や、他の本でも、
江戸時代までは、一般市民の遺体はみんな棺もなく、その辺に捨てられていた。死んだら、遺体はモノだから、不衛生でないところに捨てる、そうしておけば、そのうち土に還る、とても自然なことである。
とある。
寺の意味も誕生の歴史も、僧侶の意味も誕生の歴史も、墓石の意味も誕生の歴史もわからないまま慣習に従っていた。
ひとりの人間がこの世に生を受け、時代の社会情勢のなかで育ち、それなりに役割を果たし、年を経て、最後には病み、死を迎える。
どんな人も、必ず死ぬ。
死の迎え方は、自分の生き方の延長線上にある。
① どのように死を迎えたいか
② 希望する葬儀の方法
③ 自分たちの墓はどのようにしたいか
③ 埋葬の方法はどのようにしたいか、
について、遺言に示しておきたい。
身のまわりを簡素にし、心の据わりどころを確かめて、第4の人生(65歳~80数歳)を充実させ楽しく送りたいものです。
今日のラン&スイム
亥鼻橋 12k/1:27
当月 R=123k S=3.9k 年間累計 R=123k S=3.9km