スロージョギングと写真のブログ

ウォーキング、ジョギング、ママチャリで出あった季節の花や風景写真で日々の出来事・雑感をつづっていきます

疎開体験ツアー

2011年10月25日 | 自然に親しむ

■ 旅は常日頃を離れ、思いがけない見かたや考え方を与えてくれる。

超短い、2泊3日(10/22~10/24)の疎開体験をしてきた。

兵庫、岡山、鳥取3県の境にある中国山地。

とある「疎開のまち」に民泊した。

今年はじめ、家内がNHKのラジオ深夜便を聞いて、地方通信員の発信によりこの町の企画を知った。

汚染されていない、緑の風、きれいな空気、山から流れてくるおいしい水、豊かな大地。

風や雲、鳥や虫、星空…。

自然の中でからだを動かすことが大好きで、田舎暮らしや野菜づくりが願望だった。

定年退職後の残り時間は限られていますが、今のうちはそこそこ足腰が動くので、ま~ま~自由な行動ができそうだ。

好きなことは、まず動く。

早速計画をたてた。

中国地方へ旅をするのは初めてだった。

地域の歴史と文化、人と風土に接し、宿泊は一般のご家庭、まさに田舎に泊まろうです!

 

10月22日(土)

切符は「大人の休日倶楽部ジパング」を利用した。

姫路から「スーパーはくと」に乗り、最寄駅に到着。

町役場の担当者が迎えていた。

塩屋出店で森林セラピーのストレスチェックを行い、コーヒー、ケーキをご馳走になり、町長の歓迎挨拶を受ける。

「青い山脈」や「伊豆の踊り子」など世に送り出した、地元出身の西河克己映画記念館を見学。

かつて江戸時代の参勤交代の時に往来した「因幡街道」からマイクロバスに乗り、

 因幡街道碑

― ―

『因幡国と美作国境の志戸坂峠を越える道は、平安時代から畿内と因幡国を結ぶ主要な道として炉用されてきた。…
江戸時代に入ると、鳥取池田藩が参勤交代の道として志戸坂峠を越える道を重視した。…
1648年(慶安元年)より1862年(文久2年)に至るまで214年間に江戸鳥取間を178回往復している。
止宿として定められていた智頭宿には、鳥取出発の場合第1泊目、江戸発の場合最終日の宿地だった。
…参勤交代の武士の移動だけではなく、庶民や物や文化が行き来する主要道であったことがうかがえる。』

― ―

日本の昔の原風景が残っている山奥の「板井原集落」に向かう。

幅員6尺の山道を上ると、周囲の山にすっぽりと包みこまれた集落に出逢う。

 

 

 

 

 

 

 

茅葺の屋根は、あざやかな緑の苔に覆われていた 

明治32年ころの茅葺き民家(右の家)

 火間戸

 いろり

 廃校となった分校

などを見て、バスで下る。

次は、 

 石谷家住宅見学

 

地元発展に尽くした篤志家「石谷家住宅」を見学。

個人の住宅で、こんなに豪壮な建築は見たことがない!!

このあと、迎えに来ていた各民泊家庭の方と一緒に民泊宿に向かう。

基本的には、宿をお借りするだけで、その他は自分でやることになっている。 

1泊めは、宿主夫妻の夕食づくりの手伝いをし、その地の食材を使った郷土料理をいただいた。

当民泊では、私が黒豆を材料にした「ごじる」作りを手伝い、家内が民泊の奥さんのお手伝い。

NHK鳥取支局の記者に取材をされてしまった。
(11月上旬に放映されるらしい)

 

10月23日(日)

町民体育館から、マイクロバスで「芦津渓谷」に向かう。 

また雨が降り出した。

 バスからおりて、セラピーロード・トレッキングに出発

ガイドにくっついて、ゆっくりと上る。

 

渓谷は、紅葉のはじまりだった。

 あずきころがし

 三滝

 かつての森林鉄道の遺骸のレール&枕木

 カエルがミミズを食べていた

 三滝ダム

 

 

折り返しの休憩所から戻る時は、歩かないでバスに乗り、くねくねと下った。

芦津地区の「どんぐりの館」で休憩。

ここでトレッキング後のストレスチェックを行い、そして昼食。

昼食は、地元食材で作ったセラピー弁当の「もりりん」。

副町長の挨拶をいただいたのち、駅前まで戻り解散。

決められた予定は、これで終了となった。

 

この時点からはフリー。

最寄のGSでレンターカーを借りる。

地域の魅力を感じながら、短期or長期に、のんびりと滞在できる場所・施設、田舎暮らし体験住宅などないかしらん、探索することにした。

1箇所めは、町内の農園付きペンション「とんぼの見える家」が見つかった。

国道373号から山間を上りしばらくのところ、標高500m辺りに10数件の集落があった。

集落の喫茶「清流の里 新田」に寄ると、事務局の責任者に会うことができた。

いろいろお話を伺う。

1年契約で賃借する。

現在、東京の調布と、北海道北見(兵庫県の出身者)の、2つの家族が住んでおられるらしい。

 

この後は、県境のトンネルを2,3抜け、岡山県のはずれの村に行った。

トンネルを抜けると、両サイドに山を抱き、遥か遠方まで展望がきく見晴らしのよい場所に出た。

雨は降っていなかった。

最近開通したばかりの、中国横断自動車道(姫路-鳥取県)沿いに「道の駅あわくらんど」があったので寄ってみた。

 次に、かねてネットで知った農村型リゾート「天徳寺」を訪ねる。

 

 

山の中腹、陽あたりがよく見晴らしのよい位置にある茅葺屋根の自炊施設だ。

幾日滞在してもよい。

運よく前の家の主人が家に帰られ、話をすると利用方法や周辺の状況を教えていただき、中を見せてくれた。

暮らしの設備は、すべて整っていた。

戻りぎわに「国民宿舎あわくら荘」、レストラン・みやげ店の「あわくら旬の里」を見て民泊に帰る。

トンネルを逆に抜けると、雨だった。

 

10月24日(月)

この朝のチェックアウトで、そのあとは気のむくまま、

レンターカーで周辺探索の予定だった。

民泊の主人が、

「朝方は時間がとれるので、出かける前に家のまわりを、ちょっとご案内しますよ」

というので、好意に甘んじついていく。

まずは、村の小学校の見学。

明治以降つづいていた地元の小学校で、数年前には立派な杉木材などで新築されていた。

少子化で、まもなく町全体の小学校の統廃合で廃校となるらしい。

現在の生徒数は、17名。

校長先生にもお会いした。

 

木造でしたが、講堂も体育館も天井が高く、スゴク立派!!

こんなすばらしい校舎は見たことがない!

登校していた生徒が元気に挨拶をしてきた。

廃校は、もったいないですね~!(なにかに役変わりするのでしょうけれど)

 

次は、民泊の裏に入り、渓流を上っていく。

しばらくしたところに、この地区の「田舎暮らし体験住宅―あけびの家」があった。

1ヶ月格安で借りられるらしい。

今は、四国・香川県の人が借りているらしい。

木造2階建てのログハウス、2Kで、台所・浴室・トイレ・バルコニー・まきストーブetcが備わっている。

 

このあとは、ログハウスのそばにある「炭焼き小屋」を見学。

 炭焼き小屋(杉の木の炭)

80歳になられる、お元気な村のおじいさんが、楽しそうに説明をしてくれた。

 

廃校になる小学校の生徒たちに炭焼きを教える先生だった。

廃校になれば、今年でおじいさんの役割がなくなるんかな~…?

1~2ヶ月の短期滞在、野菜づくりや山歩きなどしながら1~2年の長期滞在にも利用できる。

拠点は現在の住まいで、

やりようによっては、

季節や所を変えて、国内の行きたいところ数箇所に移住し、長期滞在するのもよい。

8時30分過ぎ、宿主にお別れをする。

 

午後1時過ぎの特急で千葉に帰るので、もう1箇所めあての場所に行きたい。

いつか、「人生の楽園」に登場された女性が営んでいる喫茶店だ。

兵庫県かどこかにおられて、阪神大震災にも遭われ、その後主人を亡くされ、田舎暮らしの場所を尋ね歩き、この地の山間の村のはずれに、喫茶「花祥庵」を開かれた方だ。

今年、71歳か?そんなお年になられているはずだ。

営業日は不定(週に2回くらい?)、営業時間は10時~17時なので、おられるかどうかわからない。

民泊と反対方向の山間に向かう

運よくおられた。

お客さまが4人ほどいた。

家内がぜんざい、私はコーヒーをたのんだ。

おいしかった。

木造りのシンプルなお店と住まい、庭であった。

薪ストーブが据えてあった。

いろいろお話を伺う。

いろんなところからお客さまが来られるらしい。

やはり両サイドに山があったが、展望がひらけ圧迫感がない。

見晴らしがよく、左手には川が流れ、心地よい瀬音が聞こえていた。

夏にはホタルがとぶ。

 

おおよその目的が達せられ、充実した3日間を過ごしたあと、レンターカーを返却し、昼過ぎスーパーはくとに乗り、帰途についた。

町のみなさん民泊の方には、いろいろ親切にしていただき、たいへん感謝でした!!

<参考>
・ 2011.10.23 放射能汚染の時代を生きる(小出裕章、他)
・ 2011.10.22 
 原子力発電所の立地を認めることの意味小出裕章氏が川内原発の地元・薩摩川内市にて講演

コメント (2)
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