団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

語るように歌われたのが、印象的な歌手でした。

2018-10-06 04:51:40 | 日記
 中日新聞の「中日春秋」に以前ブログに書いたフランスの大歌手シャルル・アズナブールのことが書かれていました。


 その声は雑音と評されたことがある。
小柄な体と地味な外見に、歌い手にはならない方がいいと勧めた専門家や仲間もいたそうだ。
「シャンソンの父」「最後の巨人」といった異名になじまない逸話が、活動の始まりにある。

 フランスの歌手シャルル・アズナブールさんだ。
恵まれていないと思われた少しかれた声は、
愁いや悲しみを歌うとき聴き手の心を大いに動かし、つかんだ。

 派手な見た目も、影のある歌には不要だった。

 「以前、嘆き悲しむということは不人気だった。
アズナブールの後では、そうではない」。
仏メディアにある詩人コクトーの言葉だ。
シャンソンの意味をその歌で作り上げたような歌手人生ではなかったか。

 実に70年以上に及ぶその活動を通じて、売れたレコードやCDは1億枚をはるかに越えるという。
米メディアから20世紀最高のエンターティナーに選ばれたこともある。
日本でも人気だった「ラ・ボエーム」や「帰り来ぬ青春」・・・。
陰影のある歌の数々を愛する人は国と世代を超えて広がる。

 世界を英米のポピュラー音楽が覆う中、シャンソンという別の道があると
歌い続けてきたようにも思える。

 10月1日、94歳でこの世を去った。
フランスでは国を挙げての追悼行事が開催されるようだ。
先月には日本で公演をしている。
最後までステージに立った姿も伝説として語り継がれるはずだ。


 以上です。


 この中日春秋にも書かれているように、この9月に日本で最後の公演を
行われました。
11月には世界公演が始まる予定だったとのことです。

 私は今から46年前、彼が油の乗り切っている頃に名古屋での公演を見ています。
語るように歌われたのが、印象的な歌手でした。
まるで詩人が、歌われているようでした。
フランスシャンソン界の伝説に残るような大歌手の公演を見ることができてよかったです。






Charles Aznavour - Yesterday When I Was Young
コメント (4)
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