中日新聞の「くらしの作文」に「秋風とともに」というタイトルで75歳の女性の投稿文が載っていました。
台風一過。
どこまでも青く、気持ちがいい空です。
裏庭で鳴くコオロギの声が、細く寂しく聞こえるのは私だけでしょうか。
今年の秋はいつになく寂しいです。
夫が逝って15日目。
もろもろの手続きも半分ほど終え、さらに寂しさが胸を締め付けます。
4年と6ヶ月の闘病の末、最期まで頑張って旅立った夫。
苦しい息の中、帰宅する私に「キオツケテ」と小さな声で、自分の身よりも
私を案じてくれた夫。
いまだに夫の死が信じられず、そっと部屋を見ることがしばしば。
遺影が静かにほほ笑んでいます。
朝がきて、昼がきて、夜がくる。
そんな当たり前のことが頭の中を回っています。
風の音が私を呼ぶ夫の声に聞こえ、何もしたくない日が続きました。
思えば50数年前、ふと知り合った二人が夫婦となり、三人の子宝に恵まれ、
時に笑い、時に悩み過ごした年月は尊いものでした。
長い入院生活での二人の時間も、健康であれば知らなかった夫の一面を知り、
貴重な時間でした。
大勢の友人、知人の皆さまに温かく見送られて、夫は幸福者でした。
またいつか夫と旅行する日を夢見て私は暮らします。
秋風が私の心を知るように、か細い虫の音を運んでくれます。
以上です。
奥様のご主人を思われる気持ちが、素直に書かれていますね。
「帰宅する私に『キオツケテ』と小さな声で、自分の身よりも
私を案じてくれた夫」。
「またいつか夫と旅行する日を夢見て私は暮らします。」と言われる奥様。
とても仲の良いご夫婦ですね。
秋はそれでなくとも寂しいと季節だと思いますが、前向きに生きていただきたいです。
<今日は出掛けますので、コメント欄は閉じさせていただきます。>
さだまさし × 岡村孝子
台風一過。
どこまでも青く、気持ちがいい空です。
裏庭で鳴くコオロギの声が、細く寂しく聞こえるのは私だけでしょうか。
今年の秋はいつになく寂しいです。
夫が逝って15日目。
もろもろの手続きも半分ほど終え、さらに寂しさが胸を締め付けます。
4年と6ヶ月の闘病の末、最期まで頑張って旅立った夫。
苦しい息の中、帰宅する私に「キオツケテ」と小さな声で、自分の身よりも
私を案じてくれた夫。
いまだに夫の死が信じられず、そっと部屋を見ることがしばしば。
遺影が静かにほほ笑んでいます。
朝がきて、昼がきて、夜がくる。
そんな当たり前のことが頭の中を回っています。
風の音が私を呼ぶ夫の声に聞こえ、何もしたくない日が続きました。
思えば50数年前、ふと知り合った二人が夫婦となり、三人の子宝に恵まれ、
時に笑い、時に悩み過ごした年月は尊いものでした。
長い入院生活での二人の時間も、健康であれば知らなかった夫の一面を知り、
貴重な時間でした。
大勢の友人、知人の皆さまに温かく見送られて、夫は幸福者でした。
またいつか夫と旅行する日を夢見て私は暮らします。
秋風が私の心を知るように、か細い虫の音を運んでくれます。
以上です。
奥様のご主人を思われる気持ちが、素直に書かれていますね。
「帰宅する私に『キオツケテ』と小さな声で、自分の身よりも
私を案じてくれた夫」。
「またいつか夫と旅行する日を夢見て私は暮らします。」と言われる奥様。
とても仲の良いご夫婦ですね。
秋はそれでなくとも寂しいと季節だと思いますが、前向きに生きていただきたいです。
<今日は出掛けますので、コメント欄は閉じさせていただきます。>
さだまさし × 岡村孝子