2月28日の中日新聞の中日春秋に下記の記事が載っていました。
中日春秋
2024年2月28日
12年前、イタリアで客船が座礁し死者が出た。
乗客が残る船を先に離れたとして船長が批判された。
上に立つ者が難を逃れるのは最後という考え方は世界共通だろう。
正月の羽田空港の事故で日航機の乗客乗員全員が脱出したが、機長が最後だった。
船や飛行機の事故とは違うが、責任ある者が先に安堵(あんど)するのはいかがかという声がある。
能登半島地震の被災地・石川県輪島市で、副市長宅側に傾いた隣家が公費で早々に解体された。
市は緊急公費解体制度と相談会実施を5日に周知したが、それ以前に副市長は担当課に制度を確認して隣家に申請を促し、課に「書類が整えば一番でもいい」と伝えた。
解体が始まったのは相談会初日の12日。
市内で最も早い時期だったという。
5日の周知前に、制度を市に尋ねた人や申請した人は他にもいたというが、副市長が家の安全確保のため、抜け目なく先手を打ったようにも映る。
彼も被災者。順番は最後の方が適切かはともかく「一番でも」と言うのは節度としてどうなのか。
私事で恐縮だが、小欄筆者は地方公務員の家に育ち、高給でなくとも失業の心配がないゆえ、不況時には周囲に嫉(ねた)まれがちだと聞かされた記憶がある。
収入が絶たれた人も多い震災。
公務員に複雑な思いを抱く人がいても不思議ではなかろう。
市民と向き合い尽力する部下のためにも、順番は考えた方がよかった。
以上です。
これはまずいでしょう。
副市長という権力を利用しているとしか思えません。
上に立つ者が難を逃れるのは最後という考えを実践して欲しかったです。
それが公僕だと思うのですが。
ニールセダカが歌の合間にキャロルに愛を告げるシーンがある。加山雄三さんが君といつまでもで歌の合間にセリフを言われるが、ニールセダカからヒントを得たのかな?
Neil Sedaka - Oh! Carol | Colorized (1959) 4K