中日新聞の「くらしの作文」に「最期の言葉」というタイトルで、80歳の女性が投稿されていました。
お父さん、あなたが亡くなってから、もう7ヶ月が過ぎました。
一昨年の6月に重い病気が見つかり、突然の余命宣告。
ショックと不安で言葉を失いました。
あなたは現実を受け止め治療に専念し、苦しい副作用にも弱音を吐かずに頑張る姿を見て胸が張り裂ける思いでした
私のできることは奇跡を祈りながら、あなたを支え続けることでした。
懸命な闘病もむなしく1年後、あなたは力尽きてしまいました。
にっこりと微笑みかける遺影を見ながら、54年間を共に暮らした日々が愛しく思い出されます。
苦しい時も家族を愛し家庭を守り続けたあなたには、いつも感謝していました。
でもたった一つだけ私には不満がありました。
それは私を呼ぶ時です。
いつも「オイ」でした。
「順子」とか「母さん」と呼んで欲しかったです。
そんな不満が一遍に吹っ飛んでしまうことがありました。
亡くなる1週間ほど前、弱って食事もできなくなり、話すこともままならなくなりました。
あなたは余命わずかと感じたのか、私の耳元で小さな声で、でもはっきりと「おまえが女房で良かった」と言ってくれました。
何よりも嬉しい最期の言葉に私は涙が止まりませんでした。
この言葉を励みに強く生きていこうと思います。
以上です。
>それは私を呼ぶ時です。
いつも「オイ」でした。
「順子」とか「母さん」と呼んで欲しかったです。
私も「オイ」とか、子供達や孫達がいるときは「お母さん」と呼びます。
かみさんは「オイ」と呼ばれることは、嫌がっています。
どうも名前で言うのが気恥ずかしくて。
でもこの投稿者さんもご主人のことを「お父さん」と呼ばれています。
うちのかみさんも私のことを「お父さん」と呼びます。
私に言わせれば「あなたのお父さんではないと言いたいです」。
スーパーでご婦人が「お父さん」と呼びかけていらっしぃますが、自分が呼ばれたと思って振り返ってしまいます。苦笑
このスーパーに来ているのは、あなたのご主人だけではないと言いたいです。
>あなたは余命わずかと感じたのか、私の耳元で小さな声で、でもはっきりと「おまえが女房で良かった」と言ってくれました。
何よりも嬉しい最期の言葉に私は涙が止まりませんでした。
私も言える状況だったら「おまえが女房で良かった」と言うでしょうね。
私は出不精なのでかみさんと出会えなかったら、あまり外には出なかったと思います。
かみさんと出会って、旅行には行くし、コンサートには行くし、美味しい食事店には行くなど、人生に潤いがある生活を送ることが出来ました。
ひとえに、かみさんのおかげです。
かみさんと出会ってよかったと感謝の気持ちでいっぱいです。
先日ちょっとした事で口論になりました。
私が「よく50年も持ったなぁ」と言いましたら、かみさんは「あなたには騙された、あなたは私の言うことを聞いてくれるし、守ってくれる人だと思っていた。」。
私は「本当の姿を見せたら、一緒になってくれないからいいところを見せるさ」と返答しました。
かみさんが「私は本当の姿を見せていたのに」と言いました。
たしかにかみさんは、本当の姿を見せていたので結婚してからイメージと違うと思った事はなかったです。
Simon & Garfunkel - The Sound of Silence (from The Concert in Central Park)