中日新聞に、下記の記事が載っていました。
卒業式でなに歌った? かつての定番は「仰げば尊し」、最近は… 人気ドラマの影響も
2024年3月11日
3月になると「仰げば尊し」「蛍の光」を歌って級友や恩師と別れた卒業式を思い出します。最近では明るい歌が歌われているようですが、どんな歌でしょうか。
愛知県春日井市の浜野徹さん(81)
記者は30年前、中学の卒業式で「仰げば尊し」を歌い、在校生の「蛍の光」で送り出されました。記者の間でも答えがまちまちだった「卒業式ソング」。本紙が行ったアンケートを分析すると、年代別で明確に分かれる現状が浮かび上がりました。 (高橋雅人)
小中学校の卒業式でどんな歌を歌いましたか? 浜野さんの投稿を受け、本紙は2月22~25日、ユースクに登録してくれた友だちにアンケートを実施した。
中日新聞社内のさまざまな年代層から聞いた「卒業式ソング」14曲をピックアップ。「その他」も含めて選んでもらう形式で、複数回答も可能とした。
集まった1468件の回答を分析した結果、40代以上では「仰げば尊し」が最も多く、中でも50代以上は約9割が歌っていた。50代以上は7割超が「蛍の光」も歌っており、彼らが児童生徒だった1990年代半ばまではこの2曲が「定番」だったとみられる。
一方、30代以下では「旅立ちの日に」が最も多く、特に20代は9割が歌っていた。10代の14%、20代の23%、30代の51%が「仰げば尊し」を歌っており、全く歌われなくなったわけではないことも判明。10代は2位に6曲、3位に3曲が並び、曲目が多様化していることも浮かび上がった。
なぜ、年代によって明確な違いが生まれたのか。卒業式の歴史に詳しい立教大の有本真紀教授(歴史社会学)は「きっかけとしては『金八先生』が大きい」と79年10月から始まったテレビドラマの影響を挙げる。
ドラマが大ヒットした80年代初め、全国の中学校では校内暴力が問題となっていた。「先生たちがクラスをまとめるために、授業に合唱を取り入れた」。その影響は卒業式にも表れる。「仰げば尊し」の歌詞にある「わが師の恩」はもはや、生徒たちの共感を得られなくなっており、他の曲が求められたという。
ドラマの主題歌となった「贈る言葉」をはじめ、80年代には「卒業」(尾崎豊)など卒業をテーマにした曲が次々に発表された。有本教授は「卒業式は学校文化から、恋心や同級生との別れ、学校への反発心など若者文化の部類に入っていった」と解説。アンケートでも、50代の14%が「贈る言葉」を選んでおり、変化を物語る。
そんな中、91年に誕生したのが「旅立ちの日に」だった。埼玉県秩父市の中学校教員が作詞、作曲し、3年生を送る会で教職員からのサプライズとして披露されたのが最初。90年代終盤に誕生にまつわるエピソードとともに報じられ、全国に広まったとされる。
有本教授は「歌が変わったというより、式自体が変わってきている。厳かな式典から、卒業生が主役のステージになってきた」とも指摘する。小学校では劇仕立ての「呼びかけ」の合間に5、6曲の歌が入ることも多く、練習を重ねて本番に臨むのが通例だ。
今年は新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが5類に移行してから初めての卒業式シーズン。有本教授は「コロナ禍でできなかった分を取り返す、ではないが、各学校はかなり力が入っている」と分析し、「卒業を題材にした曲は今後もどんどん出てくると思う。さらに多様化していくのでは」と見通す。
「仰げば尊し」「蛍の光」 もとは外国の曲
卒業式で歌い継がれている「仰げば尊し」と「蛍の光」はいずれも、1881(明治14)~84年に発行された教科書「小学唱歌集」に掲載されているが、日本発の曲ではない。
「仰げば尊し」の原曲は米国の学校で歌われていた「ソング・フォア・ザ・クローズ・オブ・スクール」。2011年、一橋大名誉教授の桜井雅人さんが1871年に米国で出版された歌集に楽譜が載っているのを発見した。
一方、「蛍の光」の原曲はスコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」。元は旧友との再会を喜ぶ歌だったが、賛美歌として世界中に広まり、ベートーベンも編曲を手がけるなど各国で親しまれてきた。
いずれも「小学唱歌集」の発行に際し、日本語の歌詞を付けたとみられる。「蛍の光」は4番で「千島の奥も沖縄も やしまのうちのまもりなり」と歌い、75年にロシアと樺太千島交換条約を結び、79年に琉球処分(併合)した当時の政治状況を反映している。
以上です。
私の卒業式では、「仰げば尊し」と「蛍の光」を歌ったと思います。
「蛍の光」は、外国の歌だと知っていましたが、「仰げば尊し」が
外国の歌だったとは、知りませんでした。
仰げば尊しAogebatoutoshi/歌いだし♪あおげばとうとし/見やすい歌詞つき【日本の歌Japanese traditional song】