中日新聞の読者投稿欄に「貧しい中でも高校生に」というタイトルで74歳の女性が投稿されていました。
1月4日付本欄「新年の餅 困窮の思い出」を読み、その昔の私の小・中学生のときが鮮明によみがえってきました。
私が9歳のとき、46歳の父が脳出血で倒れ、半身不随となりました。
わが家の暮らしは一変し、民生委員の世話になって生活保護を受給するようになりました。
長兄は名古屋で就職しており、家にいる兄2人は高校生と中学生でした。
私は小学校でも中学校でもその都度職員室に呼ばれて文房具をはじめとする学校生活で必要なものを受け取りました。
その場での恥ずかしさといったら・・・。
生活保護受給家庭の子どもが高校に行くことはあまりなかったよう。
でも私はどうしても高校生になりたくて、アルバイトをしながら奨学金も借りるかたちとし、母に頼み込んで、わが家が生活保護を受けていることをやめてもらいました。
幸いにも私は高校を卒業することができ、金融機関に就職しました。
以上です。
生活保護を受けると高校に行けなかったんだ。今なら高校は義務教育のようなものだが、この頃はそうではなかったんだ。
私より2歳年下なのに、この時代 生活保護受給者のご家庭は高校へ行けなかった事にちょっとショックを受けました。
投稿者さんがどうしても高校に行きたいと言われ、お母様は生活保護をやめられたのには感心しました。
お金のやりくりが、大変だったでしょうね。
>私は小学校でも中学校でもその都度職員室に呼ばれて文房具をはじめとする学校生活で必要なものを受け取りました。
その場での恥ずかしさといったら・・・。
市は、この子の自宅へ送ってあげればいいのに。
若い女の子の気持ちを汲み取ってあげればいいのに。気が利かないったらありゃしない。
高校生の多感な時、このレコードよく聴いていました。園まりさんのちょっと色気のある歌い方に痺れていました。 何も云わないで 園まり 1964