中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「人前で」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセーを書かれていました。
おじさんは、しょうもない「おしゃべり」男だ。
おしゃべりというのは、ただうるさいだけの無駄口をいう。
肝心の場面になると、とたんに口数が減る。
例えば、会合などで突然指名されたりすると、言葉が出てこない。
だから聴衆の前で一定時間「内容のある話」をする講演は、苦手どころか資格すらない人間だ。
が、どうしても断ることのできない講演依頼もある。
引き受けざるを得ない時は、きちんと”原稿”を用意する。
よくメモも何もなしで、流れるように話す講演上手の人がいる。
そういう人を心からうらやましく思う。
おじさんの講演は、事前に書いた”原稿”をそれとなく読むことになる。
原稿に目を落とし文章を確認しながら声に出す。
政治家が官僚の書いた原稿を棒読みするのと似ている。
そんなテレビ中継に「顔を上げて自分の言葉で答弁しろ」と毒づいたりしているのに、己が講演する段になると同じようなことをしている。
ただし、おじさんの場合、自分で書いた原稿だし、ずーっと下向きなわけでもない。
そこで開き直ってお聞きしますが、もしあなたが大勢の前で話をすることになったら、そらでぺらぺら話せますか?
以上です。
>もしあなたが大勢の前で話をすることになったら、そらでぺらぺら話せますか?
ぺらぺら話せないですね。苦笑
以前ブログにも書きましたが、小学校5年の時クラス代表として、発表会?のようなものに参加した事があります。
講堂で私の入院生活を話したのですが、途中でクラスの子の顔を見たら話の内容を忘れてしまったのです。
手元の原稿を見ましたが、どこまで話したのか分からず1分間?ぐらい沈黙してしまいました。
それ以来、人前で話すのは苦手です。
でも話さないといけない時があります。
採用の仕事をしていた時、ある大学で自社のアピールをするために講演をした事があります。
大学生の前で話したのですが、教授たちの顔が目に入ったら自分が何を言っているのか分からなくなりました。
だいぶあがっていたんでしょうね。
うまく自社のアピールが、出来なかったように思います。
子供じゃないの/ヘレン・シャピロ