団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

大谷選手、たくさんの感動をありがとう!

2018-10-26 06:29:56 | 日記
中日新聞の読者投稿欄に「大谷選手人柄もすてき」というタイトルで、77歳の女性が投稿されていました。


 私は今年、米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手に夢中になりました。
中継があれば必ずテレビで観戦し、ワクワクと楽しい時間を過ごしました。

 大谷選手は本当に野球が好きとのことで、試合中にみせる集中力には感心させられました。
私は勝手に同世代の孫と重ねて親しみを覚え、笑顔で楽しそうにプレーする姿から
元気をもらいました。

 一番感心したのは、報道された通りグラウンドでのマナーが良いことです。
中継を見ていたら打席に向かうときに少しかがみ、落ちていたごみらしき物を
拾ってポケットに入れていました。
それでいてヒットをたくさん打てるのは、彼の人間性の素晴らしさなのでしょう。
大谷選手、たくさんの感動をありがとう!


 以上です。


 私は今年大谷選手の動向が一番気になりました。
衛星放送に加入していないので、試合を視ることは少なかったですが、
ホームランを打つシーンは、何回もパソコンの動画で見ました。

 今まで日本の選手はパワーではメジャーの選手にかなわないと言われていましたが、
大谷選手がその定説を覆してくれました。
来年は肘の手術をされたので投手としての出番はないようですが、
打者として、今年以上の活躍をしてくれることを願っています。






松山千春 恋心
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昨日の夜は名古屋にある日本ガイシホールで、小田和正さんのコンサートを楽しみました。

2018-10-25 06:02:14 | 日記
 昨日の夜は名古屋にある日本ガイシホールで、小田和正さんのコンサートを楽しみました。




 6月にも行ってますので、今年2回目です。
会場は満員でしたね。
私たち夫婦と同じように6月にも来た方がけっこういらっしゃいました。

 いつもと同じように観客は女性が中心で、男性は私たちと同じく夫婦連れが多かったです。
それも私と同じ年代のように見受けました。

 今回は6月と違って観客の盛り上がり方がすごかったです。
小田さんが3曲ぐらい歌われた後、観客に向かって「立っていると疲れますので、座りましょう」と
言われたぐらい、観客の声援はすごかったです。
女性だけでなく、男性も「小田さん〜」という、かけ声が多かったです。(笑)

 半年間のツァーの疲れか、小田さんが一瞬歌うのをやめて観客が歌う場面がいつもより
多くありました。

 相変わらず会場を走り回られましたが、その回数も少し減ったような気がします。
70歳ですから無理もないでしょうが。
でもスリムで体幹がしっかりされています。
私も、もう少し痩せねばと思いました。

 歌の方は題名は思い出せないですが、よく知っている歌がほとんどでした。
後半「ラブ・ストーリーは突然に」を歌われましたが、この歌を歌われると一層盛り上がります。

 6時半に始まって、約3時間。
小田さんの歌を楽しみました。

 小田さんが、「今度は新曲を作ってからツァーをやりたい」と言われていたので、早くても再来年かなと思いました。



 右上の麦わら帽子をかぶった人形を今回買いました。
下にぶら下がっているくまの人形は、以前のコンサートで買った人形です。(笑)








オフコース SELECTION
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いまだに夫の死が信じられず、そっと部屋を見ることがしばしば。

2018-10-24 04:28:23 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「秋風とともに」というタイトルで75歳の女性の投稿文が載っていました。



 台風一過。
どこまでも青く、気持ちがいい空です。
裏庭で鳴くコオロギの声が、細く寂しく聞こえるのは私だけでしょうか。
今年の秋はいつになく寂しいです。

 夫が逝って15日目。
もろもろの手続きも半分ほど終え、さらに寂しさが胸を締め付けます。

 4年と6ヶ月の闘病の末、最期まで頑張って旅立った夫。
苦しい息の中、帰宅する私に「キオツケテ」と小さな声で、自分の身よりも
私を案じてくれた夫。

 いまだに夫の死が信じられず、そっと部屋を見ることがしばしば。
遺影が静かにほほ笑んでいます。

 朝がきて、昼がきて、夜がくる。
そんな当たり前のことが頭の中を回っています。
風の音が私を呼ぶ夫の声に聞こえ、何もしたくない日が続きました。

 思えば50数年前、ふと知り合った二人が夫婦となり、三人の子宝に恵まれ、
時に笑い、時に悩み過ごした年月は尊いものでした。
長い入院生活での二人の時間も、健康であれば知らなかった夫の一面を知り、
貴重な時間でした。

 大勢の友人、知人の皆さまに温かく見送られて、夫は幸福者でした。
またいつか夫と旅行する日を夢見て私は暮らします。
秋風が私の心を知るように、か細い虫の音を運んでくれます。


 以上です。


 奥様のご主人を思われる気持ちが、素直に書かれていますね。

 「帰宅する私に『キオツケテ』と小さな声で、自分の身よりも
私を案じてくれた夫」。
「またいつか夫と旅行する日を夢見て私は暮らします。」と言われる奥様。

 とても仲の良いご夫婦ですね。

 秋はそれでなくとも寂しいと季節だと思いますが、前向きに生きていただきたいです。



 <今日は出掛けますので、コメント欄は閉じさせていただきます。>







さだまさし × 岡村孝子
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今まで頑張ってきたので、これ以上「頑張ろう」とは言いませんでした。

2018-10-23 05:20:28 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「勇気くれた同室の女性」というタイトルで65歳の女性が投稿されていました。



 昨年の入院中に私より10歳ぐらい年上の女性と同室になり、互いの病気について語り合ううちに仲良くなりました。
病名は違いますが、私も彼女も39歳で発病しました。
ともに今も病気と闘っています。

 私は開腹手術を何度も受け、骨に病気が転移して昨年、歩くことができなくなり、
一時は生きる気力を失いました。
彼女は複数の病気を患い、長年痛みに耐えながらも生きてきたそうです。
私はそんな姿に勇気をもらい、彼女の話す一語一語に元気づけられました。

 お互いに「完治は望めなくても明日は必ず良い日になるから」と信じ、
諦めずに生きていこうと誓いました。
今まで頑張ってきたので、これ以上「頑張ろう」とは言いませんでした。

 私も現実を受け入れ、心穏やかに過ごしたいと思えるようになりました。
退院から1年になりますが、しばらく連絡がなかったので電子メールを送ると、
体調を崩しているとの返信がありました。
彼女の回復を心から祈っています。


 以上です。


 私も椎間板ヘルニアで長い入院生活を送りました。
相部屋の経験も多いです。
相部屋になる住人は整形外科にかかっている人たちが多かったです。
たまに部屋がないということで、別の病気の方とも相部屋になったこともありました。

 同室になった患者さんと仲良くなる機会がありますね。
特に同じ病気だと参考になりますし、勇気づけられます。

 私は同室になった若い男性が退院後も自宅用の腰の牽引機を使うと言ったので、私もそれをすることにしました。
今でも腰が疲れてくると自宅で牽引していますが、そのおかげでだいぶ腰の疲れが和らぎます。
彼の真似をしてよかったと感謝しています。



<かっつんへ>






 写真は和式式牽引器です、今から25年前?ぐらいに買いました。
ベッドの方は洋式の牽引器があり、こちらは病院で使われているのとほぼ同じです。
片方に1〜2キロの重さの重りを着けて腰を引っ張ります。
私は1キロで引っ張っています、2キロは重すぎます。

 付属物に腰ベルトと胸ベルトがあります。
胸ベルトを着けると苦しくて眠れないので使っていません。
腰ベルトに重りの紐を着けて、引っ張っています。
寝るときにつけて目が覚めましたら、外します。
だいたい2時間で目が覚めてしまいます。(笑)

 息子も腰が悪いので使ったらと言いましたが、息子は気に入らなかったようです。
効果があるかどうかは、個人差がありますね。

 最近は牽引器はあまり効果がないと言われています。
私には効果がありますが。(笑)
以上です。







♫ 愛燦燦 ♫ 小椋佳
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この不味い脱脂粉乳を飲まされる身になって欲しかったです。

2018-10-22 06:06:56 | 日記



↑の新聞記事を最近見かけるようになりました。
「脱脂粉乳がうれしかった時代のこと、娘にも話してみようか」

 何を言っているんだ!
この原稿を書いた人は、脱脂粉乳を飲んだことがあるのか!(苦笑)

 この当時脱脂粉乳を飲んだ年代は、今や70代前後になっているので、娘たちも独立していて
昔話をほとんどしない環境だと思います。

 私が小学生の頃、給食で毎日脱脂粉乳が出ました。
先生が「残してはいけない!」と言いますが、この不味い脱脂粉乳を飲まされる身になって欲しかったです。
先生たちは飲んでいたんでしょうか?

 アメリカでは家畜のエサだったものを、恩義せがましくユニセフはこんな新聞広告を載せています。
日本の子供たちを家畜のように思い、施しのつもりで送っていたんでしょうか?

 アメリカの子供たちは、こんな不味いものを飲んだことはないでしょうね。
特に脱脂粉乳が固まって表面に浮いた皮は、なんとも言えず不味かったです。
こんな脱脂粉乳を飲んだために牛乳嫌いになりました。(苦笑)

 ユニセフも今頃恩義せがましくこんな新聞広告を出すなと言いたいです。
寄付なんてしたくなくなります。(苦笑)








恋  松山千春  1979
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