団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

昨日の夕飯は、私の大好きないなり寿司でした。

2020-05-26 04:57:09 | 日記


 昨日の夕飯は、私の大好きないなり寿司でした。
いなり寿司を食べるのは、私の誕生日の4月3日以来です。

 かみさんの作るいなり寿司は、形は悪いですが揚げが私好みの味ですので大好きです。(笑)
昨日の夜は10個食べました。お腹がいっぱいになりました。
残りは今日のお昼に食べます。

 昨日の夕方 散歩途中で近くのドラッグストアに寄りました。
マスクがあるかどうか見て見ますと、山積みに置かれていました。

 値段は50枚入りで税込 3300円くらいでした。
1家庭で2箱までと書かれていましたが、この値段で中国製はなかなか売れないと思いました。

 ゴールデンウィーク後は、マスクの値段は暴落しています。
先日 かみさんは50枚入り 2000円程度で2箱買ってきました。




 最近 Netflixで「愛の不時着」という韓ドラを見てから、再び韓ドラにはまっています。
昨日まで「梨泰院クラス」という韓ドラ1〜16話を見ていました。




 このドラマで主人公の初恋相手を演じるクォン・ナラさんの美しさにはびっくりです。



3日間で見終えたのですが、テレビの録画番組が溜まって仕方ないです。(苦笑)
テレビの録画もたまには見ないと。





薬師丸ひろ子 松本隆を唄う 10 Songs
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コロナ禍で入居者にお会いできないとなれば、写真や手紙で近況を教えていただければ ご家族は安心できますよね。

2020-05-25 05:51:43 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「母の近況 写真で手紙で」というタイトルで67歳の女性が投稿されていました。



 母が入所している老人施設へ洗濯物を取りに行った四月下旬のことです。
新型コロナウィルス感染拡大で面会は禁止となりました。

 回収する洗濯物は各自」用意された箱の中にあり、持参した物とそこで交換するのが決まりでした。

 その箱の中に「ご家族様へ」と書かれた一通の封筒がありました。
開けると母の近況を伝える写真と日常生活の様子がA4判の用紙いっぱいに書かれていました。

 写真からうかがえる母の顔やしぐさ、そして文章からは母がこれまでとさほど変わらない生活を送っていることが分かり。
涙がこぼれ落ちました。

 母は体調を崩してしばらく入院し、ようやく施設に戻ったらすぐに今回のウィルス禍が
顕在化してきて心配していたところでした。

 施設職員は感染予防に努められ、日常業務も忙しいでしょうに、
家族の不安を解消するこんな心温まる手紙を作成してくれ、感謝の気持ちでいっぱいになりました。


 以上です。



 この投稿者さんのお母様が入居されている施設は、なかなか職員さんの教育が行き届いていますね。
コロナ禍で入居者にお会いできないとなれば、写真や手紙で近況を教えていただければ
ご家族は安心できますよね。

 私も特別養護老人ホームで定年後バイトしていました。
ショートステイで自宅へ帰られる入居者さんのご家族に、施設の職員が施設での状況や病気のことを
説明していた場面はよく見ました。

 写真での説明はなかったですが、これは今回のコロナ禍でご家族が入居者さんと会えないので
ご家族が安心されるようにとの配慮の一つでしょうね。

>施設職員は感染予防に努められ、日常業務も忙しいでしょうに、
家族の不安を解消するこんな心温まる手紙を作成してくれ、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 今回のコロナ禍はもちろんですが、インフルエンザや風邪が流行っても施設職員さんは他の入居者さんに
うつらないようにしなければいけないので感染予防が大変だと思います。

 例外もたまにはありますが、本当に施設職員さんは、よくやってくれますよね。
感謝です。







竹内まりや 10 Songs
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定年後はそうはいきません、この在宅勤務時のように奥様にいつもおいしい食事を作ってもらえるなんて 安易に思わない方が良いですよ。(笑)

2020-05-24 03:27:38 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「在宅 恵まれた環境実感」というタイトルで、59歳の男性が投稿されていました。



 新型コロナウィルス感染拡大で私の職場でも出勤者を削減したためゴールデンウィークを含めた
この一カ月の大半を自宅で過ごしました。

 就職して以来、これほど会社にいかなかったことはありませんでした。
不要不急な外出の自粛を求められ、不安ばかりが募りました。

 それでも同期入社の仲間と無料通信アプリで情報交換したり、
同級生とテレビ電話をしたりするうちに落ち着きを取り戻していきました。

 今はこの在宅の時間を最大限生かし、これまでやってこなかった家の大掃除、
たまった郵便物の整理、自宅でもできる筋力トレーニングなどに励んでいます。

 先輩や親戚に「コロナ見舞い」と題したはがきを送りました。

 「在宅勤務」でもある程度の給料をくれる会社、
食料をはじめ日用品の販売を続けている近所のスーパー、
支え合える仲間、毎日おいしい食事を作ってくれる妻・・・。

 私はいかに恵まれた環境にいるのかを実感する今日この頃です。


 以上です。



 私は在宅勤務はしたことがないですが、病気で一年間ぐらい会社を休んだことはあります。

 この投稿者さん、もう在宅勤務を終えて、通常通り会社に勤務されているのかな。
65歳の定年前に、自宅での生活を体験されたことは良いことなのでは。

 「在宅勤務」だと満額の給料をいただけないことを、この投稿者さんの文章で初めて知りました。
一部カットされるんですね。

>それでも同期入社の仲間と無料通信アプリで情報交換したり、
同級生とテレビ電話をしたりするうちに落ち着きを取り戻していきました。

 大人でもそうなんだ。
うちの孫たちも長いあいだの休校で不安が募っていたようで、
息子から買ってもらったスマホで、級友たちと連絡することにより落ち着きを取り戻したようです。

>毎日おいしい食事を作ってくれる妻 

 これは在宅勤務だったから、奥様も止むを得ず食事を作られたのでは?(笑)
定年後はそうはいきません、この在宅勤務時のように奥様にいつもおいしい食事を作ってもらえるなんて
安易に思わない方が良いですよ。(笑)

 このコロナウィルス禍での在宅勤務で、ご自分の恵まれた環境を実感されたことは良いことだと思います。








松山千春 10 Songs
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若者が、体制側では面白くありません。

2020-05-23 03:20:03 | 日記
中日新聞の読者投稿欄に「校則の意味を考えよう」というタイトルで、14歳の男子中学生が投稿されていました。



 校則について「必要ない」 「最低限でいい」などと考える人が大半でしょうが、考えてみてください、校則のない世界を。

 屋上へ行くことを禁じている学校は多いはずです。
それは危険だからです。
そんな校則がなく昼休み屋上に多くの人が集まりすぎて誤って転落することでもあったら・・・。

 髪についての決まりを定めた校則もいろいろとありますが、
長髪だと何かに引っかかってわが身に危険を及ぼしかねないこともあるからではないでしょうか。

 私は髪を刈り込んだつるつる頭です。

 校則は、私たちの身を守っているフェンスのような役割をしている気がしてきました。
フェンスを乗り越えたり壊したりしたらどうなるかは分かりますよね、皆さん。


 以上です。




この投稿者さんの説には、無理があるような気がします。

「屋上へ行くことを禁じている学校は多いはずです。
それは危険だからです。」の校則と髪についての校則を比べることはナンセンスです。

>長髪だと何かに引っかかってわが身に危険を及ぼしかねないこともあるからではないでしょうか。

 私は長髪だと何かに引っかかってわが身に危険を及ぼすよりも、頭上から何か落ちてきたり、転倒したりした時、
髪が大切な脳を守ってくれると思います。

 髪がなぜ生えるかということを考えて欲しいです。
人間にとって大切な脳を守るためです。
脇もリンパ腺が多いので毛が守っています。
目も睫毛が守っています。

 毛というのは人間の大切な部分を守るためにあるのです。


>私は髪を刈り込んだつるつる頭です。

 投稿者さんがつるつる頭にされているのは個人の自由です。
それを校則を盾に他の生徒に強制してはいけません。

 大人になれば分かりますが、つるつる頭は女性にモテないですよ。(笑)
アブナイ人と間違えられるかも。

 私なんて、ハゲの系統ですので、20代で頭がツルッパゲになると父親に脅かされていました。(苦笑)

 中学・高校と坊主頭でいたら、その期間が勿体無いです。(笑)

 私が中学生の頃は、坊主頭が校則でしたが、今はそのような校則はないのでは?
坊主頭にしなければいけないという校則は、今の時代にそぐわないです。

 投稿者さん、校長先生に訊いてみてください。
「校長先生は、中学時代髪の毛を伸ばされていましたか?」と。
きっと髪を伸ばされていたと思いますよ。(笑)
ひょっとしたら、長髪だったかも。

 私の大学生時代、長髪でなければ大学生でないという雰囲気でした。
もちろんビートルズの影響もあったでしょが。(笑)

 当時のNHKは、長髪禁止でした。
グループ・サウンズのタイガースなんて、紅白歌合戦に長髪の為出場できませんでした。
今 NHKのアナウンサーで長髪の男性もいます。
時代を感じます。(笑)

 投稿者さんは、まだお若いので体制側の意見に素直なのは良いですが、
青年期には、少し反体制派になってください。

 下記に添付した尾崎豊さんのように。
若者が、体制側では面白くありません。
これはあくまで私見ですが。(笑)




尾崎豊『卒業』 - 「LIVE CORE 完全版〜YUTAKA OZAKI IN TOKYO DOME 1988・9・12」
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人にはそれぞれ生きる力をもらった歌があるように思います。

2020-05-22 03:03:22 | 日記
 中日新聞の「寝たきり社長の上を向いて」の29回目 「コブクロがくれた希望」のタイトルで、佐藤仙務さんのコラムが掲載されていました。
隔週水曜日に掲載されています。


 私には大好きなミュージシャンがいる。
「コブクロ」だ。

 きっかけは中学三年生のころ、音楽の授業でバンド演奏をすることになり、選曲がコブクロの「桜」になったことだ。

 初めて彼らの音楽を耳にした時、真っすぐな詞と心に響き渡る歌声に衝撃を受けた。
何より、二人の「歌を届けよう」とする情熱と誠実さにひかれた。

いつもコブクロの音楽を聴いていた。
気持ちがどん底に落ちても、コブクロの音楽のおかげで、心にすむ「諦め」という魔物を追い払うことができた。

 彼らの音楽はすべて好きだが、ピンチの時は必ず「光」という曲を聴く。

 歌詞にはこうある。
 「暗闇に差し込む光にかざした その手でいつしか 夢をつかむ君に

 僕ができる事はただ1つ 君が この道の果てに 目を伏せてしまっても

『こっちだよ』って手をたたいて 君が前を向けるように 君の進むべき方へ」


 集中治療室(ICU)でもCDをかけてもらい、聴いていた。
生死の境をさまよい、生きることがつらくて目を閉じてしまいそうな場面でも、
「諦めないで、こっちだよ」と励ましてくれた。

 コブクロがいなければ、今の私は私でなかったとも思う。

 子どもの頃から「いつか、コブクロの二人に会う」と口に出していた。
周りの人は笑っていたが、私は本気だった。

 ファンになって約十年がたった時、私の夢を知った友人につてがあり、
「コブクロの二人に会わせてくれる」という。

 私は歓喜した。
しかし、東京へ会いに行く準備をしていた二〇一六年三月、私は入院することに。

 肺炎による呼吸器不全で、ICUに入った。
一時は声まで失いかけ、どん底に突っ伏していた。

 だが、奇跡は起きる。

 <佐藤仙務(ひさむ)=「仙拓」社長>


 以上です。


 歌の力は凄いですね。

>生死の境をさまよい、生きることがつらくて目を閉じてしまいそうな場面でも、
「諦めないで、こっちだよ」と励ましてくれた。

 佐藤さんにとっては、コブクロの「光」という歌が生きる力になっているようです。

 私もいろんな歌が好きですが、学生時代一番落ち込んでいた時、親友の訪問と舟木一夫さんの「仲間たち」の歌に
勇気づけられました。

 人にはそれぞれ生きる力をもらった歌があるように思います。



 このコラムの作者を、Wikipediaを検索しますと

さとう ひさむ
佐藤 仙務
生誕 1991年6月28日(28歳)
愛知県東海市
出身校 愛知県立港養護学校商業科
SBI大学院大学経営管理研究科
職業 実業家、教員、コラムニスト、タレント
佐藤 仙務(さとう ひさむ、1991年6月28日 )は、日本の実業家・重度の身体障害者・椙山女学園大学の非常勤講師。
自らを「寝たきり社長」と名乗る。株式会社仙拓の創業者で代表取締役社長。
講演・イベント出演をはじめ、タレント活動としては芸能事務所「セントラルジャパン」に所属している。


経歴
1992年に脊髄性筋萎縮症の診断を受ける。
2010年、愛知県立港養護学校商業科を卒業。当時、障害者の就職が困難であることに挫折を感じたという。
ほぼ寝たきりという生活を送りながら、2011年に19歳でホームページや名刺の作成を請け負う合同会社「仙拓」(2013年に株式会社に改組)を、
同じく重度の障害を持つ幼馴染とともに立ち上げた。
「働く場所がないのであれば、自分たちで会社を作ろう」という理由で起業したという。
株式会社仙拓では代表取締役社長である。


パソコンを介して、両手によるマウス操作と会話や表情により業務をおこなっている(2018年現在は、左手の親指がわずかに動くだけ、ほかには口だけが動く状態である)。
障害区分は6(認定の最重度)

経営する「仙拓」は、一般社団法人日本経営士会のビジネス・イノベーション・アワード2013において「会長特別賞」を受賞した。
2013年にネットで知り合った筋ジストロフィーの重度障害者を、2014年より「社員」として「仙拓」で雇用している。
雇用者の数は2018年現在は8人となっている。
2015年 SBI大学院大学に特待生制度で入学(経営管理研究科 アントレプレナー専攻)。
2016年11月、地元である東海市から「ふるさと大使」の委嘱を受けた。

2019年現在は、SBI大学院大学を修了し、MBA(経営学修士)を取得。

また、執筆活動としては中日新聞・東京新聞・中日北陸新聞にて「寝たきり社長の上を向いて」を隔週水曜にコラム連載している。



 <会社の立ち上げ時、下記のようなエピソードがあるようです。>



株式会社「仙拓」の8年(2)初めての客 秦融(編集委員)

 ともに重度の障害がありながら、特別支援学校を卒業後に株式会社「仙拓」を創業した自称「寝たきり社長」の佐藤仙務(ひさむ)さん(27)と、松元拓也さん(30)。
八年間の道のりと、時代の先端を行く二人の夢を追う。

仙拓を立ち上げた当時の佐藤仙務さん(2011年9月3日の中日新聞夕刊から)





 右も左も分からないまま起業した二人には、立ち上げ当初の忘れられない思い出がいくつかある。
その一つが、初めて名刺を依頼したお客さん。それは、佐藤さんの近所に住む伯母だった。

 「あれはインパクト大きかったですね。僕の伯母って、思ったことストレートに言うんですよ。ものすごく頑張って作って、まさかぼろくそに文句を言われるとは」

◆無知のスタート

 最初は「名刺を作る会社を始めたんだよ」「じゃあ、お願いしようかしら」という軽いノリの会話だった。
佐藤さんが松元さんに「伯母に頼まれたんで、作ってあげて」と依頼。
松元さんが複数のオリジナルデザインを見せると、佐藤さんは伯母に聞くこともなく「こんな感じで」と選んでしまった。

 「主婦の伯母からは『友達に渡すため』と言われたんです。
バッグなどは派手な色だったので、その感じで進めた。

 当たり前だけど、普通は、伯母に見せて『これでどうか』と聞くじゃないですか。
だけど、ぼくらは『できたよ』って。そりゃ文句を言うの当たり前ですよね」

 赤を基調にしたデザインの完成品を見せた途端、「えー、何だ、これ!」という反応。
「夜のお店のお姉さんならともかく、主婦がこんな派手な名刺、どこで使えるの!」。
当時は二十枚で五百円。「こんなのじゃ、五百円でも高いわ!」。
すでに作ってしまい、後の祭りだった。

 「ぼくら、学校を出た後、仕事をしてたわけじゃなく、仕事のやり方がわからなかった。
子どもの延長で、一般常識も足りてない、そんなレベルだったんですよ」と佐藤さんは苦笑い。

 だが、この出来事を前向きにとらえている。
「これが赤の他人で『障害者に頼んであげる』ということで、気に入らなくても『ありがとう』となったら、二人ともだめになっていたと思う」

 不評だという連絡を佐藤さんから受け「言われてみれば、なんで見せなかったんだろうな」とつぶやいた松元さんも
「もう悔しくて。やっちゃったな、おれ、甘く見てるんじゃないよ、自分、みたいな。その時に、クリエーター魂に火がついた。
当たり前だけど、ご要望の情報が不十分なまま、既存のもので対応するだけではだめだ、と気づいた。で、もう一度作ったら、ご満足いただいたので」。

仙拓を立ち上げた当時の松元拓也さん(2011年9月3日の中日新聞夕刊から)




 伯母の早川厚子さん(60)も当時を思い出して言う。

 「覚えています。名刺にも好みがありますよね。
それなのに、赤色がかなり多い名刺で、友達に『こんなのをおいっ子が作ってさ』と笑いのネタにして配った」。

 笑いながら「その時、二人目のお客さんは小学校の先生で『お任せでいいよ、と言われた』と言ってて。
見たら、そっちは逆に香典返しみたいなデザインに感じたので
『一回は好意で頼んでくれるかもしれないけれど、こんなんでは二回目はないよ』と言いましたかね」と振り返った。

 身内での仕事を基本的に封印した二人は、本格的なビジネスの世界に乗り出す、とはいかなかった。
仕事の取り方が分からないことに変わりはない。ある日、松元さんが佐藤さんに言った。
「おまえが仕事を取って来てくれないと俺、何もできないよ」。まだ、二人きりの仙拓は社長の佐藤さんが営業を担っていた。

 「会社を立ち上げたら、誰かが仕事をくれると思っていたんだよね」(佐藤さん)「それは甘いだろ。
障害者だからって仕事なんかくれないぜ」(松元さん)。そんなやりとりの後、佐藤さんがふと気づいた。

◆ネットで開拓へ

 「じゃあ、僕たちに仕事をくれたとすれば、それは障害の有る無しなんて関係がなくってことじゃない?」。

松元さんも「確かにそうだな。案外ビジネス社会のほうが俺たちにとってバリアフリーなのかもしれないな」。

その言葉で佐藤さんの営業魂に火が付いた。ネットで仙拓をPRし、面識のない相手にもSNSで積極的に営業を仕掛けていくことにしたのだ。

 「彼も自分が何ができるかわかっていなかったと思うので、苦しかったと思う。
それが、SNSを使って営業ができることが分かり、それを武器にするようになった」(松元さん)

 とはいえ、本格的な社会の荒波はそこからだった。

 <脊髄性筋萎縮症(SMA)> 筋萎縮性側索硬化症(ALS)と同じ運動神経系の難病で、小児期に多く発症する。
食事、入浴、寝返りなど全介助で睡眠時は人工呼吸器を装着。佐藤さん、松元さんともマウスのクリック程度以外の動作はほぼできない。



>食事、入浴、寝返りなど全介助で睡眠時は人工呼吸器を装着。佐藤さん、松元さんともマウスのクリック程度以外の動作はほぼできない。

 このような境遇なのに、8人もの社員を雇用されて会社を経営されている。
凄いの一言です。





コブクロ/光
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