中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「踏ん張る」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。
高校の同窓会の世話人から、久しぶりに電話がかかった。
ひところはしきりに連絡があったが、このところ無音で、どうしたかなと思っていたところだった。
「俺さあ、心筋梗塞になっちゃってずっと入院してたんだ。冠動脈を手術してステント(医療用の極小の網目筒)を入れてもらって、その後のリハビリがまだ続いているんだ」
実は、7年前におじさんも心臓のカテーテル手術を受けて、ステントが2本埋め込まれている。
それを言うと、彼の声音が喜色を帯びた。
「お前も心臓手術をやったのか! じゃあ俺も大丈夫だな。これから先、最低でも7年はおまえと同じように元気だよな」
不思議な計算方法だが、文句はない。
慶賀すべき「我田引水」だろう。
彼は友人たちの消息をあれこれおじさんに教えてくれた。
ある者は終末医療の施設に入ったとか、ある者は難病にかかったとか、年を取るというのは、こういうことかもしれない、と。
が続けて彼は言った。
「だけどね、昔はカテーテル手術とかステントなんかなかったよな」
そう、まだまだ踏ん張れる、ということだよ。
以上です。
>「お前も心臓手術をやったのか! じゃあ俺も大丈夫だな。これから先、最低でも7年はおまえと同じように元気だよな」
不思議な計算方法だが、文句はない。
友人が以前自分と同じ病気をして7年も生きていると言われると、何の根拠もないですが不思議なもので自分も7年は大丈夫だと思ってしまいますね。笑い
>ある者は終末医療の施設に入ったとか、ある者は難病にかかったとか、年を取るというのは、こういうことかもしれない、と。
が続けて彼は言った。
「だけどね、昔はカテーテル手術とかステントなんかなかったよな」
そう、まだまだ踏ん張れる、ということだよ。
年を取ると、誰もがいろんな病気にかかりますね。
ただし医療の進歩は目覚ましいです。
以前なら治らなかったものが、新しい薬や新しい治療方法で助かりますね。
仮に病気にかかっても、あまり悲観しなくてもいいかも知れませんね。
誰もいない海 トワ・エ・モワ 1970