団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

年を取ると、誰もがいろんな病気にかかりますね。

2024-03-26 00:18:56 | 日記
 中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「踏ん張る」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。

 高校の同窓会の世話人から、久しぶりに電話がかかった。

 ひところはしきりに連絡があったが、このところ無音で、どうしたかなと思っていたところだった。

 「俺さあ、心筋梗塞になっちゃってずっと入院してたんだ。冠動脈を手術してステント(医療用の極小の網目筒)を入れてもらって、その後のリハビリがまだ続いているんだ」

 実は、7年前におじさんも心臓のカテーテル手術を受けて、ステントが2本埋め込まれている。

 それを言うと、彼の声音が喜色を帯びた。

 「お前も心臓手術をやったのか! じゃあ俺も大丈夫だな。これから先、最低でも7年はおまえと同じように元気だよな」

 不思議な計算方法だが、文句はない。

 慶賀すべき「我田引水」だろう。

 彼は友人たちの消息をあれこれおじさんに教えてくれた。

 ある者は終末医療の施設に入ったとか、ある者は難病にかかったとか、年を取るというのは、こういうことかもしれない、と。

 が続けて彼は言った。

 「だけどね、昔はカテーテル手術とかステントなんかなかったよな」

 そう、まだまだ踏ん張れる、ということだよ。

 以上です。

>「お前も心臓手術をやったのか! じゃあ俺も大丈夫だな。これから先、最低でも7年はおまえと同じように元気だよな」
 不思議な計算方法だが、文句はない。

 友人が以前自分と同じ病気をして7年も生きていると言われると、何の根拠もないですが不思議なもので自分も7年は大丈夫だと思ってしまいますね。笑い

>ある者は終末医療の施設に入ったとか、ある者は難病にかかったとか、年を取るというのは、こういうことかもしれない、と。
 が続けて彼は言った。
 「だけどね、昔はカテーテル手術とかステントなんかなかったよな」
 そう、まだまだ踏ん張れる、ということだよ。

 年を取ると、誰もがいろんな病気にかかりますね。
 ただし医療の進歩は目覚ましいです。
 以前なら治らなかったものが、新しい薬や新しい治療方法で助かりますね。
 仮に病気にかかっても、あまり悲観しなくてもいいかも知れませんね。




誰もいない海 トワ・エ・モワ 1970
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普段何げなく使っている言葉にも、奥深い世界がある。

2024-03-25 02:10:39 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「右と左 言葉って奥深い」というタイトルで、16歳の女子高校生が投稿されていました。

 「〜の右腕」「〜の右に出る者はいない」という。

 優秀な部下やその人より優れた人がいないという意味だが、不思議と「〜の左腕」「〜の左に出る者はいない」という表現はない。

 なぜ? 左と右が変わっただけなのに・・・。

 結論からすれば「右」には優れているというニュアンスが込められているからだ。

 残念ながら左は右より劣っているということになる。

 中国・漢の時代、右を上座としたことに由来するかららしい。

 軍隊では成績の良い順に右から左へ並んだからという説もある。

 英語で右を示す単語 r  i  g  h  t   には「正しい」という意味がある。

 この共通性も決して偶然ではなさそうな気がする。

 それにしても右と左の双方を表す言葉はどうして「左右」なの。

 普段何げなく使っている言葉にも、奥深い世界がある。

 以上です。

 気になる事があり、ネットで調べてみました。

 左大臣と右大臣、ズバリ地位が高いのは左大臣のようです。
 
 朝廷での、官職での順位は「太政大臣→左大臣→右大臣」。
 でも太政大臣は適任がいなければ空席でも構わないので、常駐の地位のトップは左大臣になる。
 左大臣は今で言う内閣総理大臣、つまり行政のトップ
 右大臣はそれを補佐したり、左大臣が一時的に空席になったときにその代わりを行う役職です。

 雛人形の左って言うと天皇から見て左です。
 雛人形を見て、向かって右側にいるのが左大臣、向かって左が右大臣です。

 これらの事を考えると、投稿者さんが言われている「右と左 言葉って奥深い」と思ってしまいます。




1971 トワ・エ・モア - 虹と雪のバラード (シングルバージョン)
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昨日の朝刊に「バレンタイン宝くじ」の当選発表が載っていました。

2024-03-24 02:12:18 | 日記
 昨日の朝刊に「バレンタイン宝くじ」の当選発表が載っていましたので、早速ネットで買った「バレンタイン宝くじ」の結果を見ました。

 バラで12枚買いましたが、300円が2枚当たっていただけでした。

 かみさんにそのことを言うと、かみさんが「もったいない!1割しか戻らないんだ。どうせ当たりもしないのだから買わない方がいい」と言われてしまいました。苦笑

 確かにそうですが、結果発表まで夢を持つ事が出来ます。

 私の身近でも、ジャンボ宝くじが当たって商売を手広くやるようになった友人がいます。
 当然当たったなんて言いません。苦笑

 100万円当たった人は2名います。

 会社の同僚で、彼はそのお金で車の費用に充てました。

 もう一人はバイト先の女性で、そのお金を半分はご主人に、ご自分は海外旅行に使われました。

 まるっきり当たらない訳ではないです。今度はサマージャンボを買って、また夢を見ます。笑い

 私の歳なら、当たって身を滅ぼすなんてないでしょうから。

 宝くじの宣伝文句ではないですが、毎月100万円使っても10年持ちますから。

 そんな生活を夢みたいです。笑い

 ところで今一番気になっているのは、メジャーの大谷選手の事です。

 まさか野球賭博に関係していて、メジャーを永久追放されるなんてないですよね。

 それが一番心配です。

 多少のペナルティーはやむ得ないと思いますが、出来れば一平ちゃんだけで済まして欲しいです。

 大谷くんの青写真も大幅に狂いましたね。

 相棒に裏切られるなんて思いもしなかったのでは。

 奥様がいて良かったです。

 お二人で、最大の困難を乗り越えて欲しいです。





トワ・エ・モワ 『初恋の人に似ている』 1970年
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バス停でバスを待っていると

2024-03-23 01:07:15 | 日記
 「いつもの小道で」の歌を聴くと、高校時代の事を思い出します。

 毎週土曜日、母方のおばあちゃんの家へ遊びに行ってました。

 翌日の3時ごろバスに乗って自分の家へ帰りました。

 バス停でバスを待っていると、酒屋の娘さん(同級生)が回収したと思われる瓶を持って自宅のお店に帰るところによく出くわしました。

 以前 私の友人から「酒屋の女の子はかわいい」と聞いていました。

 すれ違う時に横顔をちらっと見るだけなので、あまりよく分かりませんがたしかにかわいい女の子だなぁと思いました。

 「いつもの小道で」のように、通りすぎるだけの二人のデイトでした。(これは私が思っていただけで、この女の子はどう思っていたのか知りません。今ならストーカーでしょうね。)

 高校3年生まで、よく会いました。

 高校を卒業すると、当然会わなくなりました。

 彼女は銀行に勤め出したとの噂を聞きました。


歌:田辺靖雄・梓みちよ
作詞:永 六輔
作曲:中村 八大
発売:2009-11-28 07:08:57

いつもの小道で
目と目があった
いつものように
目と目をそらせた
通りすぎるだけの
二人のデイト



田辺靖雄 / 梓みちよ - いつもの小道で (1963)
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私は今76歳ですが、もし孫の面倒を見てくれと頼まれましたら丁重にお断りします。笑い

2024-03-22 01:35:44 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「ひ孫の成長 見守りたい」というタイトルで、92歳の女性が投稿されていました。

 1歳のひ孫の男児を、わが家で時々預かります。

 あちこちの引き出しを開けては中にあるものを散らかしてプラグを抜こうとしました。

 そこで私が「大事なものだから出しちゃ駄目」「危ない!パチパチ、火が出るよ」と真剣な表情でひ孫に訴えました。

 3回ほどそう教えたら、ひ孫も覚えたらしく、同じことはやらなくなりました。

 一緒に隠れんぼをしていて、私が見つけられず慌てて「大変。皆で捜して」と大声を出したことがありました。

 ひ孫はのそのそ出てきて、かわいさのあまりぎゅっと抱き締めました。

 ひ孫と走り回っているだけで私には足腰の良い運動となり、ホッコリして心まで元気になれます。

 成長する姿を末長く見守っていけたらな、なんて思っています。

 以上です。

 92歳のおばあちゃんが、ひ孫を預かるなんて。

 元気そのものですね。

>ひ孫と走り回っているだけで私には足腰の良い運動となり、ホッコリして心まで元気になれます。
 成長する姿を末長く見守っていけたらな、なんて思っています。

 ひ孫さんを面倒見ることで足腰の良い運動になり、生き甲斐にもなっているようですね。

 私は50代の時、孫たちの世話をしました。

 子供は何をするのか分からないので、ハラハラしました。

 50代だったので、小さな孫たちを見守る事ができたと思います。

 私は今76歳ですが、もし孫の面倒を見てくれと頼まれましたら丁重にお断りします。笑い

 幼い子供を預かることは、体力も要りますし、精神力も要ります。

 投稿者さん、92歳でひ孫さんを預かって見えるなんて信じられないです。





田辺靖雄/梓みちよ「けんかでデイト」1963
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