団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

階段の真ん中あたりでつまずき、前へ落ちそうになりました。

2024-03-21 02:53:47 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「あわや大事故 助け感謝」というタイトルで、77歳の女性が投稿されていました。

 愛知県半田市の複合施設で1月末、上りのエスカレーターに乗った直後だった。

 隣の夫が段差につまずいて転倒した。

 夫の前にいた息子と、私とで必死に夫の体を起こそうとしても、それがかなわないまま、エスカレーターは上がっていく。

 私の「助けてー」という悲鳴で、後方の人たちが駆け寄り、エスカレーターの到着点近くにいた人も手を貸してくれた。

 おかげで夫は事なきを得た。

 私は左脚のすねを擦りむいただけで済んだ。

 ホッとして次第に冷静になり、そこで初めて周囲の皆さんにお礼を言うことができた。

 以来、あのとき助けてもらった自分が、今度は困っている人の力になる番だと思っている。

 以上です。

 ご主人、ご無事で良かったですね。

 エスカレーターの上りで事故られるとは思いませんでした。

 下りの方が事故るのでは?

 私は2年前?、小田和正さんのコンサート帰り、地元の駅に着きました。

 下りの階段をそんなに慌てず手すりがある方に行き、手すりにつかまりながら下りればいいものを中央から下りました。

 階段の真ん中あたりでつまずき、前へ落ちそうになりました。「危ない!」と大声を出しました。

 かみさんが手を出しましたが、間に合わなかったです。

 前にいた女子学生にぶつかりそうになりました。

 女子学生が振り向き、私が落ちるのを手で支えてくれました。

 もし女子学生が振り向かなかったら、そのまま女子学生と共に階段から転げ落ちて大事故になるところでした。

 私より女子学生の方が、ひどいケガになったと思われます。

 「すいません」と女子学生にあやまりましたが、「ありがとうございます」のお礼の言葉は言わなかったと思います。

 いい歳をして、お礼の言葉を忘れるなんて。




ヘイ・ポーラ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年半前に帯状疱疹にかかりましたが、その時の事をブログに書いています。

2024-03-20 02:27:31 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「帯状疱疹」というタイトルで、77歳の女性が投稿されていました。

 ある日突然、今までに経験したことのない痛みが。

 右胸と脇の下、耳まで、カネの棒か何かで突き上げられるようでした。

 「何、この痛み」と2日間、病院に行ってもわからず「雪よけの疲れかも」と言われて「ちょっと違うな」と思いました。

 翌日、右半分、背中まで発疹が出て、帯状疱疹の診断でした。

 霜降りのお肉というか、ザクロの開きかけというか、赤みを帯びて、とにかく痛い。

 飲み薬に塗り薬をつけても、とにかく痛い。

 食欲もなく「痛い」を連発。

 時々雄たけびを上げて寝ていました。

 20年前にも1度かかり、ポツポツと左半身に発疹が出て痛かったけど、今回はその何倍、いや何十倍の痛さです。

 病院に何回か通っても、2〜3時間痛みが和らぐだけで「なんでこんなに痛いの」の繰り返しです。

 日にち薬と言いますが、2ヶ月経って、右手を自力で上げるのが、ようやくできるようになりました。が、まだ痛い。

 恐ろしい経験でした。

 「なんで私が・・・」を繰り返していますが、いや、まだまだ激痛に耐えている人は大勢いるはずです。

 これくらいで済んで、不幸中の幸いだったと思います。

 「皆さん気を付けて」と言いたいところですが、なにしろ前ぶれもなく突然で、何に気を付ければいいのか、わかりません。

 以上です。

 投稿者さんは2ヶ月以上経っても、まだまだ痛みがひどいようです。

 私もかかりましたが、この時横浜へ1泊2日の旅行に行った後でした。

 疲れとストレスで、かかったように思います。

 1年半前に帯状疱疹にかかりましたが、その時の事をブログに書いています。

 2022-11-22 | 日記

 先週の土曜日 皮膚科で背中を見てもらったら帯状疱疹という事が分かりましたが、その時は痛みを感じていなかったので「痛み止めの薬はいらない」と断りました。

 ところが昼頃から刺すような痛みが襲って来て、思わず「イタタ」と口走るようになりました。

 いつも飲んでいるナロンエースでは、痛みが収まりませんでした。

 かみさんに「やっぱり痛み止めを貰えば良かった」と言いましたら、「月曜日に私がもらって来てあげる」と言ってくれました。

 月曜日にかみさんが貰って来てくれましたが、それを飲んでも痛みます。

 帯状疱疹の痛みは、鋭い痛みですね。苦笑

 痛み止めの薬ロキソニンを1週間飲んで、痛みが和らぎました。

 私は幸いにも顔のシミ取りで皮膚科に行っていたので、すぐに帯状疱疹だと診断され早く治りました。

 間違って整形外科などに行くと、帯状疱疹と分からず湿布薬をもらったりして治るのが遅かったりします。

 私の妹は整形外科に行った為、帯状疱疹と言われなく湿布薬をもらいそれを痛いところに貼っていました。
 それでは治らず、やっと皮膚科に行って帯状疱疹と分かりました。

 治るのに2ヶ月以上かかりました。

 これはと思ったら、まずは皮膚科に行かれる事を勧めます。



逢いたくて逢いたくて 園まり 1966
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この時代 生活保護受給者のご家庭は高校へ行けなかった事にちょっとショックを受けました。

2024-03-19 00:54:58 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「貧しい中でも高校生に」というタイトルで74歳の女性が投稿されていました。

 1月4日付本欄「新年の餅 困窮の思い出」を読み、その昔の私の小・中学生のときが鮮明によみがえってきました。

 私が9歳のとき、46歳の父が脳出血で倒れ、半身不随となりました。

 わが家の暮らしは一変し、民生委員の世話になって生活保護を受給するようになりました。

 長兄は名古屋で就職しており、家にいる兄2人は高校生と中学生でした。

 私は小学校でも中学校でもその都度職員室に呼ばれて文房具をはじめとする学校生活で必要なものを受け取りました。

 その場での恥ずかしさといったら・・・。

 生活保護受給家庭の子どもが高校に行くことはあまりなかったよう。

 でも私はどうしても高校生になりたくて、アルバイトをしながら奨学金も借りるかたちとし、母に頼み込んで、わが家が生活保護を受けていることをやめてもらいました。

 幸いにも私は高校を卒業することができ、金融機関に就職しました。

 以上です。

 生活保護を受けると高校に行けなかったんだ。今なら高校は義務教育のようなものだが、この頃はそうではなかったんだ。

 私より2歳年下なのに、この時代 生活保護受給者のご家庭は高校へ行けなかった事にちょっとショックを受けました。

 投稿者さんがどうしても高校に行きたいと言われ、お母様は生活保護をやめられたのには感心しました。

 お金のやりくりが、大変だったでしょうね。

>私は小学校でも中学校でもその都度職員室に呼ばれて文房具をはじめとする学校生活で必要なものを受け取りました。
 その場での恥ずかしさといったら・・・。

 市は、この子の自宅へ送ってあげればいいのに。
 若い女の子の気持ちを汲み取ってあげればいいのに。気が利かないったらありゃしない。



高校生の多感な時、このレコードよく聴いていました。園まりさんのちょっと色気のある歌い方に痺れていました。 何も云わないで 園まり 1964
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あなた方もお母様の歳になれば分かると思います。

2024-03-18 00:25:56 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「言いわけ」というタイトルで、79歳の女性が投稿されていました。

 「こんなことをしたら危ないでしょ」「なんでそんな汚いことするの」と日々、娘や息子に注意されたり、怒られたりします。

 「ごめん」と謝ればいいのに、すぐ言いわけをして「言いわけはいいから」と、またまた怒られる始末です。

 今日も「きちんと栓を閉めておいてね、こぼれるから」と娘からの注意です。

 「きちんと閉めてあるよ」と言ったものの、栓がゆるんでいました。

 「閉める力が弱くなったのかなあ」と、また言いわけをしてしまいました。

 「ごめん」と言って栓を直せば良かったものを。

 日に日に面倒くさいと感じることが多くなり、その分、娘や息子に注意され、怒られることが増えてきました。

 気をつけてやっているつもりでも、うっかり怒られるようなことをやってしまい、またそこで言いわけをしてしまいます。

 「わけのわからない言いわけはいいから」と言われ、口答えしてしまったことも。

 ある時、息子に注意され「ごめん、気をつける」と言ったら、娘は「急にどうしたの?」と言い、息子は黙っていました。

 その場は、本当にいい雰囲気を感じました。

 今もこれからも面倒を見てもらう子どもたちに、自分勝手な言いわけをしないようにと、心から思いました。

 以上です。

 息子さんや娘さんと同居されている弱みかな?

 それにしても母親に怒らなくても良いのにと思います。

 注意するだけでいいのでは、たしかに何度も注意すると腹が立つでしょうが、79歳ともなれば握力も弱くなり、栓を閉めたつもりでもしっかり栓がしまっていない場合があると思います。

 あなた方もお母様の歳になれば分かると思います。

 あなた方も自分のお子様に叱られますよ!

 その時、お母様の気持ちが分かると思います。

 俺は、私は、しっかり栓を閉めたのになぁ、歳を取ると握力が弱くなってきます。

 私たち夫婦は子供たちと同居していないので、お互いに握力が弱くなっている事を知っているので怒ることなんてしません。

 「仕方ないな」と愛哀れむばかりです。




ふりむかないで
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日お墓参りに行って来ました。

2024-03-17 02:35:01 | 日記
 昨日お墓参りに行って来ました。

 20度以上ある暑い日で、快晴でした。

 彼岸の入りは明日でしたから、すいているかなと思って行きましたがとんでもなかったです。

 私のお墓まであと5メートルぐらいのところに、桶と柄杓が1つづつだけ置かれていました。

 私は手にバケツと杖を持っていましたので、ちょっとだけの間なのでバケツと杖をお墓に置いてから取りに行けばいいと思いました。

 お墓にバケツと杖を置いて、早速取りに行こうとしたら、若者が桶と柄杓を持って行ってしまいました。

 「しまった!」、バケツと杖を持っていても、桶と柄杓を持って行けば良かったと後悔しました。

 桶と柄杓を探しに、お墓の駐車場の方まで行きました。
 
 歩くとすぐ足が痛くなりますが、やむを得ず30メートルぐらい歩いたところで桶と柄杓が1対ありました。

 かみさんが「薬局で除草剤を買ってから来る」と言ってましたが、なかなか来ません。

 かみさんがいれば、私に代わって桶と柄杓を探しに行ってもらえるのに。苦笑

 私は、お墓の掃除を始めました。

 かみさんがやっと来て「雑草取りをしてないの?」、「それどころではなかった、桶と柄杓がなかったので探しに行って来たんだから」と言い返しました。

 雑草取りも終わって、お花を飾ってお参りしました。

 いつものように心の中で「家族全員が、健康で過ごせますようにお守りください」と祈って。

 無事お墓参りも終えました。

 あまりの暑さに、かみさんが「水筒を持ってくれば良かった、これじゃ熱中症になる」とぼやいていました。




いのちの歌 - 竹内まりや
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする