まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第30番「宝厳寺」~西国三十三ヶ所巡り・9(われは湖(うみ)の子)

2014年11月24日 | 西国三十三所
この連休は穏やかな天候ということもあり、あちらこちら観光客で賑わったというニュースが流れた。また一方では長野で大きな地震があり、幸い死者はなかったものの、大糸線も不通になるなどの被害があった。関西では「南海トラフ地震」による津波災害が懸念されているが、長野から新潟にかけての一帯も結構地震が頻発しているところである。今後大きなのが来ないことを願うばかりである。

さて、前回の長谷寺、法起院に続く西国三十三ヶ所巡りは、一気に滋賀は琵琶湖に浮かぶ竹生島に飛ぶ。そんな巡礼の仕方があるかと怒られるかもしれないが、鉄道好きとしては続けて同じ路線に揺られるよりは、都度乗る路線を変えたほうが刺激に富むところである。

今回は竹生島ということで、遊覧船で渡る必要がある。遊覧船は琵琶湖汽船とオーミマリンの2社があり、前者は長浜、近江今津からの往復、そして両港を横断するルートがある。後者は彦根からの往復である。12月7日までは通常ダイヤだが、それ以降は冬期ということで減便される。この時期に宝厳寺の目が出たのはよかったのだろう。滋賀までの往復にはJRの秋の関西1デイパスが使えるのも大きい。

ルートを検討したところ、やはり単純に往復するよりは琵琶湖横断ルートの方が面白そうである。また、渡った後のルート選択を考えると、近江今津から竹生島に渡り、長浜へ抜けたほうがよさそうだ。また、近江今津から乗ることにしたのが、「琵琶湖周航の歌発祥の地」ということもあった。それは後で書くことにする。

朝の東海道線の快速から湖西線の近江今津行きに乗り継ぐ。この線にはかつて新快速として鳴らした国鉄型の117系の姿を見ることがある。今回、原色ではなく緑一色の車両だったが、ゆったりと移動することができる。琵琶湖の向こうに朝日が昇るのも見る。

近江今津に到着。竹生島への遊覧船の時間には早すぎる時間だが、その間を利用して駅周辺を歩く。明治から昭和にかけて滋賀に大きな足跡を残したアメリカのヴォーリズの手による建築物が残されている。銀行(現在は資料館)、教会(現在は幼稚園を併設)、郵便局(現在は使われていないが、保存活動は行われているようである)の3点セットである。

そんなヴォーリズ通りから少し外れたところに、江若鉄道の今津駅舎というのを見つける。琵琶湖の西岸に沿って近江と若狭を結ぶことを目指して、浜大津から近江今津まで開通したが、その後は資金不足もあって計画を断念。国鉄湖西線の建設が決まると江若鉄道は用地を提供する形で廃止となり、今は江若交通というバス会社にその名を残している。この今津駅舎は江若鉄道関係で唯一現存する建物だという。今でも近江今津から小浜を結ぶ鉄道建設の構想はあるらしいが、目処は立っていないようである。舞鶴と敦賀を結ぶ高速道路も全通したこともあり、余計に遠のいた感がある。今はいずれ敦賀から南下する北陸新幹線をどのルートで通すかに注目が行っているのではないだろうか。

湖畔に戻り、遊覧船乗り場で乗船券を買い求める。ホームページによれば、長浜への横断ルートは乗り継ぎ便が指定されており、それだと竹生島の滞在時間は45分しかない。それだと厳しいなと思い、帰り便を遅らせることができるのか窓口で聞く。すると別にどの便に乗っても構わないとのこと。確かに乗船券に「何時発」と書かれているわけでもない。また今日は連休中で臨時便も出ているので、帰りのタイミングに合わせて乗ればいいとのことである。

出航まで時間があるので、琵琶湖周航の歌記念館を訪れる。「われは湖の子 さすらいの」で始まるこの歌、加藤登紀子の代表的なナンバーの一つとしてご存知の方も多いだろう。何かこう、旅情をそそるというのか。遊覧船乗り場の横にも歌詞を書いた石碑が建てられているし、遊覧船乗り場に至るまでの道にも歌詞が書かれたパネルが並んでいる。

琵琶湖周航の歌というのは加藤登紀子が唄うということで書かれた歌謡曲、または琵琶湖の観光キャンペーンの曲なのかなと思っていた。作詞:小口太郎、作曲・吉田千秋というのもそうしたプロの作詞家・作曲家という感じで見ていたが、ここに来てこの曲の奥深さを見ることになった。

小口太郎というのはプロ作詞家でも何でもなく、長野の岡谷出身の科学者である。彼が旧制第三高等学校(現在の京都大学)に在学中、所属していたボート部の琵琶湖一周の漕艇中にこの歌詞を思いついたとされている。ここ今津に宿泊した時に、同部員が「小口がこんな歌をつくった」として仲間に紹介し、当時広まっていた「ひつじ草」のメロディに合わせて唄うとこれがピタリとはまった。以後、三高の学生歌のような形で広まったという。そういうことから、今津が琵琶湖周航の歌の発祥の地とされている。

この小口太郎、東京帝国大学に進み、卒業後は同大学の研究所に入ったが、徴兵検査合格後に退職し、翌年わずか26歳でこの世を去った。一説では徴兵を苦にしての自殺ではないかとも言われている。資料館では小口の小学生時代の作文というのも残っていたが、とても今の小学生ではよう書かんやろなと思うくらいの達筆で、語彙、構成も豊富な文体である。幼い頃から秀才だったのだろう。それが早くにこの世を去ったとなると、歌詞も物悲しく感じられる。

歌詞については当初のものと現在広く唄われているものでは変更された個所もあり、なぜ変更されたかという研究も行われている。ただ、歌詞から見てとれるのは旅に託して「人生」を謳っているということである。歌詞そのものは写真をご覧いただくとして、解説書を読めば、1番で誕生、2番で青春(恋心)、3番で迷い、4番で信仰、5番で昔を振り返り、6番で安らぎ、心の触れ合い(浄土、熱き心)という流れになっているとか。気ままに琵琶湖を回っているのではない。3番の「今日は今津か長浜か」というのは、私などは「どちらに行こうか、勝手気ままな旅の最中」と感じていたが、実はあれは「行方の定まらない迷い」だと言われたら、考えさせられるところがある。

旅は人生、人生は旅ということをテーマにした、それだけ奥深い一曲なのである。「琵琶湖の観光キャンペーンで作った曲でしょ」と思っていた私、結構恥ずかしい。

名曲なだけに、いろいろな人がカバーしている。資料館ではそのうち26のバージョンを試聴できるということで、時間はそれほどないので1番だけでも聴き比べる。どうしても加藤登紀子のイメージが強いが、合唱形式のもよかったし、渡哲也、小林旭、フランク永井、舟木一夫などの男性スター達も唄っているのも意外だった。またニニロッソのトランペットやクロードチアリのギター演奏バージョンもよろし。

ちなみに、館内で映像とともにエンドレスで流れていたのは、「~Lefa~(リーファ)」という、滋賀を中心に活動している男性デュオのもの(公式サイトを見たが、「~Lefa~」という名前も「the Lake is especially fantasy area」という、琵琶湖に由来したもの)。長浜観光のPRということもあるが、歌謡界の大御所バージョンもよいが、こうした地元の人の美しい声で唄われるのが一番しっくり来るのではないだろうか。ユーチューブでも聴くことができるので、おすすめ。「結局、最後は観光キャンペーンやないか」ということは抜きにして・・・・。

さて、資料館で時間をつぶすうちに竹生島への出航時間が近くなった。乗船券を買ったのは早い時間で2番乗りくらいだったのが、今や狭い乗り場は人でごった返している。やはり連休の行楽というのもあるだろうが、リュックから納経軸が出ていたり、中には菅笠に金剛杖という本格派もいるなど、巡礼客も多いようだ。

すっかり前置きが長くなってしまったが、これから第30番・宝厳寺を目指して出航。もちろん、琵琶湖周航の歌が流れる。「われは湖の子 さすらいの 旅にしあれば しみじみと・・・・」。







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