雨の中、7時05分発の多気発新宮行きが出発する。終点の新宮には10時21分に到着する。所要時間は3時間超。このご時世、鈍行列車に3時間以上乗るということもなかなかないだろう。
2両編成の後ろの車両に乗る。ワンマン運転なので、途中紀伊長島、尾鷲、熊野市以外の駅ではドア扱いがない。私の他に乗客は数人いるが、中には時刻表、カメラを持参したその筋の人もいる。青春18が利用開始となり、これからそういう人も増えるだろう。
高速道路の高架橋を見る。伊勢自動車道に続く紀勢自動車道が昨年尾鷲まで全通し、紀勢線にとっても痛いのではないかと思う。特急南紀も走っているが、またバスやマイカーとの競合である。
栃原の手前で「神宮寺」の看板を見る。西国四十九薬師の霊場の一つ。西国三十三所巡りをする中で、その仲間というかライバルというか、新西国三十三観音とか、西国四十九薬師とか、近畿三十六不動とか、関西には多くのコースがある。中でも四十九薬師はエリアが広く、三重県にも4ヶ所ある。そのうちの一つが神宮寺だが、いずれこの栃原に降りる日が来るか。
三瀬谷、大内山と進むうちに乗客も減る。外は強い雨が降り続く。今は降ってもいいから、紀伊勝浦に着く頃には雨雲が通りすぎないかと願う。
ガラガラなのでボックス席で足を伸ばしているが、それでも空いているので、人の目がないのを幸い、普段してはいけないことを試してみる。つまり、ロングシートで横になること。ごくたまに、朝の電車で前夜からの酔っ払い客がシートに横になって周りの顰蹙をかっている光景を見る。ただこれからするのは、靴も脱いで完全に手足を伸ばして寝転がること。寝台車である。最後部がロングシートで、そちらにゴロリ。ただ・・・1分もすればもういいかと起き上がる。当然寝台ではないのだから幅が狭く、私の体だと少しの揺れで落ちそうだ。ならば床に新聞でも敷いて横になったほうが広々として・・・という問題ではなく、やはり列車の中でそういうことをしてはならないのである。ボックス席で前の席に足を投げ出すくらいがちょうどである。


牛乳で有名な大内山から梅ヶ谷と、相撲の大関・横綱の名前の駅を過ぎ、荷坂峠に差し掛かる。かつて伊勢から歩いて熊野古道、西国三十三所を目指した巡礼者にとっては難所で、鉄道も建設に苦労したところである。高速道路はトンネルで一気に抜けるのだろうが。

ただ、東から来る分には上りより下りが長いのか、エンジン音もさほど長く続かず、気がつけば前方に港が見えてきた。紀伊長島である。紀勢線には何回か乗っているが、この区間を松阪側から乗るのは初めてで、景色も新鮮に感じることである。



紀伊長島からは、今でこそ行政は三重県だが、かつての紀伊国である。海と山が交互に現れるリアス式海岸が続く。この辺りは東海や南海地震が発生した時には津波被害の危険性が高いとして、至るところに津波からの避難方向を示す矢印や、高台への誘導表示がある。今はシートに横になろうかというくらいのんびりと鈍行の旅を楽しんでいるが、この瞬間に地震が起こらないとは言えない。 駅ごとに現れる海岸や町並みを見て、「この町の人たちはいざという時はどうやって逃げるのかな」と想像する。
雨のため、せっかくの海岸風景も今一つかというところで熊野川を渡る。ここまでが三重県である。
早朝から延々と南下してきたが、同じ列車に3時間揺られてもなお同じ県というのは、三重県がそれなりに広いことを感じさせるところである。三重県の有名スポットとして伊勢神宮、鳥羽賢島、松阪、津、四日市、伊賀上野、名張、御在所岳、なばなの里・・・などあるが、まだその先に尾鷲や熊野市などのエリアがある。地味だが結構奥深さがあるところ。

新宮に到着。長く揺られたキハ48、本当ならもっと名残を惜しんでもいいのだが、次の乗り継ぎの時間が短い。青春18の旅なら、1時間あまり後に出る鈍行に乗るところである。しかし私は、早くに那智山に上がるということで、運賃・特急券別払いになるが、接続の特急くろしおに乗る。

こちらも最後尾のグリーン車はともかく、振り子式で知られる国鉄型の381系の編成である。この型式も早晩入れ替えになるはずで、ひょっとしたら乗り納めになるかもしれない。わずか15分ほどだが、乗ることにする。


新宮から三輪崎までの王子ヶ浜を過ぎる。和歌山県に入っても雨は降り、むしろ雨足が強くなっているのではと思う。まあ仕方ない。
紀伊勝浦に到着。ここから大阪方面に乗る客は結構いたが、ここで下車したのは私だけ。それでも、新宮で1時間待ちで鈍行に乗り継ぐことを考えると、本数もおよそ1時間に1本の那智山行の早い便に乗ることができるのはプラスである。
改札を出ると、駅前に人だかりができている。この3月1日に紀伊勝浦駅にエレベーターができて、「バリアフリー記念」ということでイベントをやっているようだ。これが大阪近辺なら「○月○日からエレベーターが使えます」という程度の扱いなのだろうが、紀勢線でもここまで来ればそれは一大イベントなのだろう。これで地元客や観光客の利用が増えるかどうか。
結局、紀伊勝浦まで来ても雨の止む気配はなく、那智山に向かうことになる。ここまで西国三十三所巡りをする中で雨に降られたことはないが(雨の予報が出ていない日を選んでいるのかもしれないが)、まあ、こういうこともあるだろう。那智山までの往復割引きっぷを買い求めて、いざ再びの一番札所へ・・・・。
2両編成の後ろの車両に乗る。ワンマン運転なので、途中紀伊長島、尾鷲、熊野市以外の駅ではドア扱いがない。私の他に乗客は数人いるが、中には時刻表、カメラを持参したその筋の人もいる。青春18が利用開始となり、これからそういう人も増えるだろう。
高速道路の高架橋を見る。伊勢自動車道に続く紀勢自動車道が昨年尾鷲まで全通し、紀勢線にとっても痛いのではないかと思う。特急南紀も走っているが、またバスやマイカーとの競合である。
栃原の手前で「神宮寺」の看板を見る。西国四十九薬師の霊場の一つ。西国三十三所巡りをする中で、その仲間というかライバルというか、新西国三十三観音とか、西国四十九薬師とか、近畿三十六不動とか、関西には多くのコースがある。中でも四十九薬師はエリアが広く、三重県にも4ヶ所ある。そのうちの一つが神宮寺だが、いずれこの栃原に降りる日が来るか。

ガラガラなのでボックス席で足を伸ばしているが、それでも空いているので、人の目がないのを幸い、普段してはいけないことを試してみる。つまり、ロングシートで横になること。ごくたまに、朝の電車で前夜からの酔っ払い客がシートに横になって周りの顰蹙をかっている光景を見る。ただこれからするのは、靴も脱いで完全に手足を伸ばして寝転がること。寝台車である。最後部がロングシートで、そちらにゴロリ。ただ・・・1分もすればもういいかと起き上がる。当然寝台ではないのだから幅が狭く、私の体だと少しの揺れで落ちそうだ。ならば床に新聞でも敷いて横になったほうが広々として・・・という問題ではなく、やはり列車の中でそういうことをしてはならないのである。ボックス席で前の席に足を投げ出すくらいがちょうどである。










早朝から延々と南下してきたが、同じ列車に3時間揺られてもなお同じ県というのは、三重県がそれなりに広いことを感じさせるところである。三重県の有名スポットとして伊勢神宮、鳥羽賢島、松阪、津、四日市、伊賀上野、名張、御在所岳、なばなの里・・・などあるが、まだその先に尾鷲や熊野市などのエリアがある。地味だが結構奥深さがあるところ。









