まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第14番「三井寺」~西国三十三ヶ所巡り・17(江若鉄道の思い出と「ジオラマ」)

2015年03月21日 | 西国三十三所
三井寺のお参りを済ませて、隣接する大津市歴史博物館に向かう。プランニングの時点で、3ヶ所回っても少し時間が残りそうだったので、石山坂本線のどこか沿線に行こうかと調べていたら歴史博物館があった。ここはまだ訪れたことがない。

博物館のホームページを見ると、ちょうど4月までの企画展で「江若鉄道の思い出」というのが開催されているとあった。琵琶湖畔の白髭神社の鳥居と、湖岸スレスレを走る気動車の写真。一発で、ここに行くことを決めた。

三井寺の大門から歩いて2~3分の博物館。エントランスを入ると「企画展のお客様ですね」と声をかけられる。常設展との共通で400円である。

そのエントランスにはジオラマがある。往年の三井寺下駅の様子で、いろんな型の気動車や客車が見える。貨物の扱いもあったようだ。展示資料は撮影不可だが、ジオラマはOKとのこと。

また各駅のレイアウトを絵巻物風に描いた絵図が置いていたり、モニターでは往年の走行風景の映像が流れる。私の産まれる前のことだが、ああいう車両がのんびり走るというのも体験したかった。

江若鉄道は、琵琶湖の西部を走り近江と若狭を結ぶことを目的として、1921年に三井寺下~叡山が開通。その後1931年に浜大津~近江今津まで伸びたが、その後は資金難等もあり、結局若狭まで至らずに1969年に廃止となった。

ただ、これは「超ローカル線でどうしようもなくなって廃止した」ということでもないようで、その答えは今走っている湖西線にある。近江と若狭だけでなく、関西と北陸を結ぶバイパス線として高規格で建設され、特急も貨物も湖西線を走ることになった。その建設用地を差し出す形になったわけで、今でも湖西線の駅間距離が比較的短いのも江若鉄道の名残と言ってもいい。江若の名前は今はバスで見ることができる。

とまあ、そんな歴史があったわけだが、地元の人たちには愛されていた路線だったのは確かなようだ。今回の企画はジオラマや写真、思い出話のパネルが中心である。

展示室内は大勢の見学者がいて、ジオラマやパネルを熱心に見ていた。現在の国土地理院の地図を拡大したものにかつての江若鉄道の路線を加えたパネルでは、かつて利用していたのか、地図を指でなぞりながら会話する人もいる。

先に挙げた白髭神社だが、私もクルマで初めて通った時に、宮島の厳島神社ほどのスケールはないが湖面に鳥居が浮かぶ姿にうなったものである。今の湖西線はちょうどトンネルに入るので見ることができないが、こうして古きよき鉄道の風情を追体験するのもよい。

浜大津駅の精巧なジオラマもある。当時は膳所から浜大津まで貨物線があり、江若鉄道は貨物駅を間借りする形で駅舎とホームがあった。これは知らなかった。また現在の浜大津駅は、京都地下鉄に乗り入れる大津線と石山坂本線が同じホームだが、かつては大津線の線路は交差点を北に曲がり、別々のホームだったそうだ。現在は湖岸の整備が行われ、そうした形跡を見ることがない。

かつての駅舎で唯一現存しているのは、終点の近江今津。その駅舎は、西国三十三所巡りで竹生島に渡る前に見た。

その後、いろいろ写真を見るが、特に夏は琵琶湖で泳ごうという家族連れで賑わった様子が伺える。客車の窓も扉も全部開け放って客が鈴なりになっていたり、浜大津での京阪との乗り換え客が交差点にあふれていたり。

これらの写真やジオラマは、廃止当時に大学の鉄道研究会に入っていたとか、あるいは職員だったとかいう人たちが提供したものである。お別れ列車のヘッドマークも作成したとか。また、思い出エピソードのパネルも60歳代以上を中心にあれこれ寄せられている。私はリアルタイムで体験していないので、こうした展示を見ると、「もう少し早く産まれていれば」と思うばかりである。

その江若鉄道、湖西線の建設と引き換えに姿を消したわけだが、その湖西線も10年後にはどうなるか。

今月、北陸新幹線が金沢まで延伸開業した。今のところ、東京と北陸が近くなったという効果しかないが、北陸新幹線の最終目的地は大阪である。東海道回りだけでなく、北陸経由での幹線ルートを確保する役割がある。現在は敦賀までのルートは決まっているが、その先のことはわからない。

候補は3パターンあるが、その一つが湖西線ルートである。まあそれは自然な発想だが、実際通すとなるとどうなるか。今の高架線を改良するのか、はたまたもう一本線路を通すのか。仮に新たに建設したとして、さすがに湖西線を今の並行在来線のように第三セクター化するということはしないだろうが、かつて江若鉄道を廃止に追いやった湖西線がどうなるかと考えるのも皮肉なものである。

なかなかに楽しんだ企画展示の後は、常設展示を見る。大津市は近江八景を持つ歴史風情あふれるところで、大津、膳所、坂本、堅田といった主要エリアの歴史展示が興味深い。それぞれのジオラマも、(撮影不可なので画像はないが)かなり精巧にできている。案内映像でも「ジオラマを近くで見ると当時の雰囲気に近づける」ようなことを言っていた。先ほどの江若鉄道のジオラマは直接関係ないが、こうした見せ方はなかなかなものと思う。

博物館を後にして、この日はこれで帰ることにする。JRの西国三十三所巡りのスタンプ、三井寺は大津か大津京駅で押してもらうことになっている。どちらも同じような距離だが、通るだけで乗り降りしたことがない大津京駅に向かう。石山坂本線の線路と並走し、皇子山球場を遠くに見て到着。駅前は高層マンションが建ち並び、京都、大阪への通勤にも便利がよさそうだ。

ここから新快速に乗れば一気に大阪まで戻ることができる。やって来たのは何と12両。余裕で座ることができた。

さて西国三十三所巡り、次は初めての京都編である。暖かくなってきたことだし、これからどんなペースで回ることになるか・・・・。
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