まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第12番「岩間寺」~西国三十三ヶ所巡り・15(岩間寺から石山寺へ)

2015年03月16日 | 西国三十三所
西国12番、岩間寺は奈良時代、元正天皇の病を法の力で治した泰澄大師がその褒美として建立した寺院である。

駐車場から入り、まず出会うのが「ぼけ封じ観音」。何でも「ぼけ封じ近畿十楽観音霊場」の一つという。さすがは観音さん、いろんなご利益をさずけてくれるものである。私もたまに大ボケをかましてしまうことがあるので、ここは一つ手を合わせておく。

足元にある仏足石を踏むとご利益があるというが、見事に雪で埋まっていた。

山門、仁王門がなく露天にさらされた仁王像を抜けると本堂へ。小ぶりな建物だが、ちょうど屋根に雪が積もっており、山の中の静かな寺らしい佇まいを感じる。まずは雪を払い、息を落ち着かせてお勤めをする。吐く息が白い。

本尊の千手観音は「汗かき観音」とも呼ばれている。毎晩、観音が厨子から出て136の地獄を駆け回り、夜通し人々を救済し、日の出の頃に本堂に戻る時には汗びっしょりになっているからというものだ。かなりタフな観音さんやなあ。

また、これは直接千手観音がそうというわけではないが、岩間寺は「雷除け観音」とも呼ばれている。ここを開いた泰澄大師だが、雷がよく落ちるので困っていた。そこで自分の法の力で雷を封じ込めた。雷に落ちる訳を尋ねたところ、雷は「大師の弟子になりたかった」と答えた。大師は雷を弟子にする代わりに、岩間寺に参詣する人には雷の災いを及ぼさないことを約束させた。そのためか「電力・航空関係並びに旅行安全にお札やお守りをお受けになって」「雷除けのお札は、家の中心柱に北向きにお貼りください」とある。確かに、雷による停電というのもあるし、過去には落雷が原因で航空機が墜落する事故もあった。そういえば、岩間寺に入る前に「NTT専用用地」への道があり、その先には巨大な電波塔があったが、雷除け観音の横にそうした施設があるのも、その信仰に守られているということか。

ぼけ封じ、汗かき、雷除けといろんな顔を持つところ、本堂内の納経所で朱印を受ける。書いていただいた後、男性から「入山料、まだでっしゃろ?」と言われる。すると横にいた僧侶が「いや、この人はもう払うてまっせ」と言う。この岩間寺、11番の上醍醐方面から山道を通ってやってきた場合、先ほどの駐車場とは反対側から入ることになり、入山料を取る人はいない。その代わり、ここ納経所で納めるシステムのようだ。ただ、何で僧侶が「この人は払うてまっせ」と気付いたのか。ふと納経所を見ると防犯カメラのモニターがあり、駐車場のところが映っている。先ほど歩いて来た私をそこで見たのかな。おそらく山道のほうにもカメラがあるのだろう。前の記事でも書いた「檀信徒」に言わせれば「檀信徒や東海自然歩道を歩く人たちを醍醐寺が監視している」ということになるのだが、このご時世、防犯カメラはどこにでも設置されているものであるし、それは考えすぎではないかと思う。

本堂と不動堂の間に池がある。ここが松尾芭蕉が「古池や蛙とびこむ水の音」の句を詠んだとされる池である。ただ似たような話はあちらこちらにあるようで、真偽のほどは定かではない。まあ、芭蕉が亡くなったのは大坂だが、その墓は膳所にある木曽義仲の塚の隣にある。琵琶湖の景色を愛で、大津にもたびたびやって来て滞在したこともあるから、その間に岩間寺にも来ていたのだろう。「観音霊験記」によると、岩間寺に参籠して本尊の霊験を得て、その俳風を確立したというが、もうここまで来れば言うたもん勝ちである。

帰りは裏手にある奥宮神社を通ろうと、裏口から出る。ここに「入山料300円 納経所でお支払ください」という立て看板がある。その向こうには巨大な桂の木がある。千手観音は泰澄がこの桂の木から造ったものとされている。ここから雪景色を見る。

奥宮神社と上醍醐への分岐がある。ちょうど滋賀と京都の境目である。上醍醐へは7キロ、完全な山歩きコースで、慣れた人でも2時間以上かかる難関である。奥宮神社へも完全に雪の積もった山道である。時々滑りそうになりながら、15分くらいで到着。

奥宮神社というから岩間寺との神仏習合の歴史があるのかなと思うが、神社の創建は昭和40年代と新しい。また神社の住所は京都府宇治市となっている。小ぶりな拝殿だが、表の龍の彫り物はなかなか立派であるし、こちらはこちらで岩間山と、麓の千町集落の氏神さんという風情である。

岩間寺でも「奥宮神社(琵琶湖展望台)」という案内表記だったのだが、いざ展望台に出ると・・・ごらんの天候。何も見えないがこれは仕方がない。

さてここから下山する。奥宮神社から下る道も結構勾配がきつい。幸い、ここまで来ると雪が再びみぞれ~雨に変わったため、雪に足を取られる心配はない。元の道との分岐点まで戻ると、先が見えてきたようでほっとする。ちょうど中千町のバス停を出発してからちょうど2時間で戻ってきた。ここから石山寺、石山駅方面のバスは30分に1本程度の頻度で走っており、10分ほど後でバスがやって来る。ただ、ここまで歩いてきて身体がその気になっているのか、このまま石山寺まで歩き続けることにした。徒歩で次の札所に向かうのは初めてである。交通量の多い中、滋賀大学の横を通り、20分あまりで到着する。

岩間寺は西国巡りをするようになって初めて存在を知った寺だが、石山寺はさすがに有名寺院。賑わっている様子である・・・。
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