
岩間寺から徒歩で石山寺に到着。先ほどの山の中とは異なり、水流豊かな瀬田川のほとりである。以前に一度来たことがあるが、それはもう20年以上前のことで、その時のことなどはほとんど覚えていない。実質初めてということで。

山門をくぐると貴族の格好のゆるキャラが出迎えてくれる。おおつ光るくんというそうだが、これは天智天皇を意識しているのか、あるいは石山寺~紫式部~源氏物語~光源氏という発想なのか。



入山料を支払うと如意宝珠をかたどった梅干しがついてきた。この時期「梅つくし盆梅展」というのが行われていて、境内のあちこちに盆梅が飾られている。盆梅展と聞くとどうしても長浜のそれをイメージするが、あそこまでダイナミックなものではなく、参道のちょっとしたアクセントのような感じである。

石山寺でダイナミックといえばこの硅灰石。天然記念物である。ちょうどこの上に多宝塔を見ることができる。石山寺の地名の石は、この硅灰石を指すようだ。寺の創建も聖武天皇の頃というからかなり古い。


本堂に到着。舞台造りのかなり大きな建物である。先ほどの岩間寺の本堂が2つ入るくらいだ。
ちょうど、30人くらいの団体が外陣にいる。出で立ちからして巡礼のバスツアーだ。先ほど石山寺に差し掛かった時、観光バスが追い越して駐車時に入って行ったが、確か尾張小牧ナンバーだった。あちらのほうから来たのだろうが、岩間寺の行き帰りでは見なかったので、後から行くのだろうか。観光バスでも結構キツそうだが。
ちょうどその団体が先達の音頭で開経偈を読み始めたところである。私もそれに入ってもいいかなと思ったが、せっかくこうして自力で(行き先はくじ引きとサイコロ任せだが)来ているのだから、お勤めもバスツアー便乗ではなく、単独でやったほうが観音さんも認めてくれるように思う。ということで、団体のお勤めを横でありがたく拝聴する。
団体のお勤めが尾張小牧・・・もとい終わり、「12時にバスに集合です」の先達の声で自由散策となったのを見て、私も開経偈から始める。そして納経帳と納経軸に朱印を受ける。「ようお参りでした」と愛想よく返していただく。

本堂の一角に別間があり、そこには紫式部の人形がある。手前にはロボットの「MURASAKI」。ここで源氏物語の構想を練ったそうだが、当時の都からの距離感で言えば、石山寺というのは都市から離れた別荘地で、東京から見た軽井沢とか、大阪から見た・・・どこやろう?という形の保養地だったのかな。構想ができたかどうかはともかく、ここで構想を練るのがステータスとか。ちょうどありがたい観音様もいらっしゃることだし・・・。
石山寺は紫式部だけではなく、蜻蛉日記の藤原道綱の母とか、更級日記の菅原孝標の女とかも日記に出しているし、清少納言や和泉式部も触れている。そんなこともあり、結構女性的なイメージから来る雰囲気がある。

多宝塔から奥に広がる梅林を歩く。盆梅展もいいが、こうした梅林も素晴らしい。石山寺にこうした梅林があること自体初めて知った。





梅に混じって寒桜も咲いている。冬から春に移る風情を楽しむ。
一通り回り、山門から出る。ちょうど昼時で、門前には何軒かのレストランも賑わう様子。石山寺門前の名物はしじみめしとのことだが、鯉や近江牛といった他の名物と組み合わせると結構高くつく。結局、土産としてしじみの佃煮と鮒すしを買い求め、昼食は石山駅に戻ってからとする。



次の三井寺へは、石山寺から京阪石山坂本線で乗り換えなしだが、JRの西国三十三所キャンペーンの岩間寺と石山寺のスタンプは石山駅でしかもらえないので一旦下車することになる。石山駅に隣接した日本海庄やでランチ。うーん、これが夕方なら「生一つ」「はい、喜んで!!」となるのだが・・・。


石山坂本線も独特の存在である。電車は電車だが特にぶっ飛ばすわけでもなく、ほとんどが専用軌道だが浜大津駅前の道路の上を走るのも珍しい光景だ。

三井寺に到着。朝は雨や雪だったのだが、ここに来て止んだ。午後の時間も十分に取ることができたので、早速本日3つ目の参詣で・・・・。