


明治の神仏分離、廃仏毀釈により「里前神寺」と「奥前神寺」はいずれも石鎚神社となり、その後、「里前神寺」が再興される形で現在の前神寺となり、「奥前神寺」は今宮道の最終地点に再興された。またロープウェイの開通にともない、「奥前神寺」が山上駅近くに移され、成就社となった。
・・・ここまで書いて何が何だかややこしい話になっているのだが、要は、現在の八十八所の前神寺は最初から弘法大師霊場の札所だったわけではなく、石鎚信仰と深く結びついた歴史があるということだ。













今回四国八十八所めぐりと合わせて石鎚山に登ろうと思ったのは、山開きの期間とは異なるが、こうした信仰の山、八十八所とも縁のある山ということで、一度見てみようと思ったからである。5月の大型連休後半は天候にも恵まれそうだし、何とか行けるだろう。









