まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第16回四国八十八所めぐり~石鎚神社

2018年05月03日 | 四国八十八ヶ所
前神寺にお参りする前に、その西の道から上る石鎚神社に参詣する。石鎚神社とは「四社」で成り立っていて、これから目指すのは口之宮の本社である。他には、ロープウェイで上ったところの中宮の成就社、そして石鎚山の頂上にある奥宮の頂上社、さらに松山側の土小屋遥拝殿がある。これから目指すのは口之宮という名だが、平地にもっとも近いことで多くの参詣者が訪れる本社、本宮である。

まずは山門をくぐる。門の両側には仁王像ではなく、大天狗、小天狗という2体の像が番をしている。この時点で、何やら普通の寺院とは違った雰囲気を醸し出している。

山門をくぐると、石鎚信仰に大きく寄与した人たちを顕彰する石碑が並ぶ。地元の伊予の各地だけではなく、海の向こうである安芸や備後、さらには九州の方たちの名前が並ぶ。第二次大戦後、石鎚山は昔ながらの神仏習合をベースとした石鎚本教というのを形成しており、これらの石碑は石鎚本教、石鎚信仰に対する寄付である。結構多いものだと思う。

石段を上がると石鎚本教の総本部といえる建物に出る。ちなみにこの会館は一般の人も宿泊できる(この連休中も宿泊サイトから予約可能の表示があった)。

その先の石段がある。戦前の内閣総理大臣・斎藤実の揮毫による碑文がある。「威烈輝千戴、徳澤溢四海」というもの。なぜ四国の石鎚神社に寄贈したのかはよくわからないが。

石段を上がると鯉が泳ぐ池があり、その先には石鎚山を信仰の山として開いたとされる役行者の像がある。石鎚山にも足跡を残していたとはね。そして修験道の跡を弘法大師空海がたどるわけだが、その大師像も拝殿への途中に立てられている。

由緒ありげな祖霊殿に出る。ここで手を合わせ、さらに石段を上ると拝殿がある一角に出る。こちらの拝殿も最近再建されたそうで、新しい感じがする。まずはここで手を合わせて、旅の無事への御礼、さらにはこの先の交通安全と、翌日(4月30日)に観戦する四国アイランドリーグの愛媛マンダリンパイレーツの勝利を願う。

拝殿の内陣では神官による祈祷が行われていた。祝詞を奉った後で神官は正面に供えられていた金色の幣を持ち、一人一人の頭から肩にかけて当ててやる。金色の幣というのは石鎚山独特のものだろうか。

拝殿前の広場から外を見渡す。北側の平野部は電車の走行もよく見える。一方で、朝列車で乗りつけた伊予西条の町並みは遠く見える。次の四国めぐりで横峰寺や石鎚山に挑むためのベースキャンプに予定している。

拝殿前の広場に休憩所があるので、ここでしばらく昼食を兼ねて休む。来る途中で買ったおにぎりがこの日の食事。その中で休憩所の壁に掲げられた年表を見る。長い歴史の中で多くの山岳信仰を集める一方で、廃仏毀釈の影響もあったようである。現在にいたる結果だけをみれば石鎚本教の勝利なのかもしれないが・・。

なお、石鎚神社では5月6日に、赤ちゃんによる泣き相撲が行われるとある。当日は片男波親方(親方の元・玉春日は愛媛県出身)ほか力士が登場という。6日か・・・順当なら横峰寺と石鎚山を回った後だなということで、ともかく予定になり得るところとしてインプットしておく。

拝殿から再び石段を下り、祖霊殿に戻る。この脇に、石鎚山からのご神水が湧いているという。小さな祠があり、ここで先に手を合わせて水を汲んでペットボトルに入れる。山の自然の水という感じで、この先の道のりでありがたくいただく。またこの脇には弘法大師の像も立つ。神社に弘法大師というのも珍しいかもしれない。ただこれも石鎚山というカテゴリーでくくると、十分あることかなと思う。

次はすぐ近くの64番の前神寺を目指す。一時は横峰寺、石鎚信仰の末寺のような存在だったというが・・・。
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