まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

雪の板谷峠越え

2019年01月08日 | 旅行記B・東北
12月31日、福島で迎える朝。スマホで列車の運転状況を確認する。前日は新幹線のダイヤが車両トラブルで乱れたり、山形線(奥羽線)の庭坂~米沢間が雪のため普通列車の運転を終日見合わせたりといろいろあったので、この日がどうなるか気になる。早朝の時点では特に運休の情報はないようだ。

この日の行程は、福島7時14分発の米沢行きの始発普通列車で板谷峠を越えて山形県に入り、米沢で後続の普通列車に乗り換えて山形に向かう。その後は山寺(立石寺)は外せないとして、もう1ヶ所どこに行こうか迷っている段階である(それにしても、行先選びに関して優柔不断なところが多いものだ)。もし山形までの区間が運休ならばいったん仙台に出て、仙山線で先に山寺に行こうかとも考えていた。

駅に向かう。昨日出ていた運転見合わせの看板もなく、山形線の列車案内も普通に出ている。予定通り乗ることにして青春18きっぷの日付印を入れてもらう。山形線=東北新幹線ということで、この区間は標準軌である。乗客は2両で10数人というところだ。

席に座って発車を待っていると案内があった。7時14分に福島を発車するが、2つ先の庭坂で後続の山形新幹線「つばさ121号」を先に通すため、40分ほど停車するという。定刻なら普通列車は米沢に8時01分着、「つばさ121号」は8時20分着で、普通列車のほうが先に着くのだが、この日は新幹線を先に通すという。前日の遅れのこともあるし、雪の影響もあるので客の少ないローカル列車が万が一前でつかえるよりも帰省客・旅行客が多く乗る新幹線を優先させるということか。40分の遅れとなると、米沢で乗り継ぐ予定にしていた8時06分発の山形行きには乗れず、次の9時39分発の山形行きに乗ることになる。後の予定にも影響するが、着いた時に考えることにしよう。

車掌が乗客一人一人に行き先を尋ねて回り、米沢まで行く客には新幹線への振替票を渡している。私のところにもどうするかやって来たが、少し迷ったうえでこのまま乗って行く旨を告げた。仮に米沢まで新幹線で行っても8時06分発の山形行きには乗り継げないし、山形まで乗ったならば別に運賃・特急料金がかかる。それなら鈍行で板谷峠をしたほうが面白いし、なかなかない措置を体験するのも旅行記としてはいいかなと思う。車掌に時刻表を見せて米沢9時39分発にはさすがに間に合うだろうと逆に尋ねると、「順調に行けば大丈夫だと思いますが、これから雪の深いところに行くのでリスクがないわけではありませんで・・」とのこと。もしそこまで影響が出るようなら山形新幹線全体のダイヤ乱れということだから、もう成り行きに任せることにする。

なお、今になってこういうことを書くのだが、この庭坂~米沢間の普通列車は、12月30日だけでなく、その前の28日と29日も運転見合わせとなっていた。28日と29日は当初午前中の運転見合わせとしてたが、年末寒波に除雪が追い付かず、結局終日運転を見合わせることとなったようだ。大阪を出る前はそうした状況であるとは知らなかった。つまりは4日ぶりに板谷峠を普通列車が走るということで、車掌が慎重になるのも無理はないことである。

車掌から振替票をもらって降りた客も多く、福島発車時点では乗客は数人になっていた。地元の客もいるので板谷峠を越えるのは2~3人というところか。まずは福島の近郊住宅地を走るが、前日の東北線と比べて線路上も雪が積もっている。

7時22分に庭坂に到着する。停車時間は40分ほどを見込んでいるが、あくまで「つばさ121号」を先に通すための措置である。時刻表から推測すると7時55分頃には庭坂を通過するようだが、その通り行くかどうか。

それまで列車が停まっていることには違いないのでいったん車外に出る。駅は無人だが待合スペースには地元の人たちによる新年を祝う俳句なども掲示されている。福島から庭坂までの区間列車も朝夕を中心に運転されているが、その先の板谷峠を越える普通列車は1日6往復しかない。

駅舎の外に、庭坂駅の名前の由来を記したプレートがある。それによると、庭坂の地名とは、平原の地を表す「庭」と、ここから吾妻山系への登り「坂」があることから呼ばれるようになったとある。米沢への街道の宿場町として栄えたこともあり、駅の近くには蝦夷征討に来た坂上田村麻呂が千手観音を奉納したとされる清水寺やいくつかの神社があるというが、さすがにそこまで行くだけの停車時間はない。

雪に覆われた駅前を少し見る。またホームに戻ると駅に派遣されていた保線担当の係員が車両前部に着いた雪を払っているところである。そうするうちに駅にポツポツと乗客が集まってきたが、7時56分発の福島行きに乗る客である。

そろそろ「つばさ121号」が来るかなと跨線橋の上で待つ。遠くにヘッドライトが灯るのが見えて、それが少しずつ近づいてくる。そして無事に庭坂駅を通過していく。さてそうなればこちらの米沢行きも出発が近い。結局40分停車までは行かず、32~33分の停車での発車となった。車内に残っていたのは私のほかに2人だけだった。

これから板谷峠ということで少しずつ高度を上げる。福島の平野部を見下ろすようになったところで何やら警報音がして停車した。車掌の案内では、他の列車で異常を検知する警報がなったため、いったん全列車を停めるとのことだった。さては雪の影響でこの先行けなくなるかなと一瞬心配したが、特に異常はなかったようで数分停車の後発車した。やれやれ。

庭坂からの区間はかつてはスイッチバック駅が続いたが、山形新幹線の運行のために改良工事が行われ、各駅はシェルターで覆われている。車窓もますます雪深くなる中、2両の鈍行列車はモゴモゴ言いながらよく走るなと思う。途中で赤岩駅を通過する。雪の深いところで周りに民家があるわけでもなく、以前は冬季全列車通過だったのだが、2017年3月のダイヤ改正から通年全列車通過となり、事実上の営業休止になっている。究極の「秘境駅」とも言えるだろう。

福島県から山形県に入った最初の板谷駅に停車。駅に入る手前にかつてのスイッチバックの遺構がある。かつてはこの区間の鈍行列車は機関車に牽引された客車列車だったから、スイッチバックに入るのもなかなか手間取ったことだろう。私が鉄道旅行で奥羽線に乗った時にはすでに山形新幹線が運行されて鈍行列車も電車化されていたから、そうした体験ができなかったのは残念である。

続いては峠駅に着く。するとホームにある人影が見えた。「峠の力餅」の立ち売りである。峠駅の開業以来120年近く、5代に渡っての立ち売りで、今でもこうして残っている。ちなみに山形新幹線の車内でも「峠の力餅」は売られているが、それはのれん分けした別の店舗の製造によるもので、オリジナルは峠駅または駅前の店舗でしか購入できないという希少なものだ。甘党ではない私も思わず立ち上がってボタンを押して扉を開け、1箱購入する。この一品を購入できただけでも鈍行に乗った価値があると言える。これは帰宅後、正月の食卓のお供にいただいた。「生ものにつき早めにお召し上がりください」とはあったが、3日経過してもまだ餅の柔らかさが残っていた(固くなった場合は少し焼くといい感じになるそうだ)。

なお、記事を書くにあたって「峠の力餅」を売る「峠の茶屋」のホームページを開いてみたのだが、力餅にまつわるさまざまなエピソードやご主人の思いが綴られていて読み応えがある。それを通して見るに、この日のこの列車で「峠の力餅」を購入できたのは実にラッキーなことだったと思う。

続く大沢駅では意外にも乗客があった。地元の人ではなく大きなカメラをぶら下げた旅行者のようで、逆に米沢方面から来て駅訪問でもした後の折り返しのようである。これで峠越えは終わったが米沢に来て積雪量がまた一段と多くなったように見える。

結局40分ほどの遅れで米沢に到着。次の9時39分発の山形行きには間に合うが、その間にどこかに行くには中途半端である。外も湿った重い感じの雪が降り続いていて、除雪車も稼働している。乗り継ぎの時間は駅構内で過ごし、土産物の購入・発送に充てる。

さてこれから山形県内を回ることにして、その行先はどこにしようか・・・。
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