まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

妖怪と海上交通の境港

2019年01月25日 | 旅行記F・中国
境港駅に到着。これからしばし境港の町並みをぶらつくことにする。

早速、水木しげるの妖怪ワールド全開ということで、駅前のロータリーに妖怪や鬼太郎のキャラクターの銅像が並ぶ。これらの像は公募により寄贈されたもので、後ろには寄贈者の名前のプレートがある。そのある一体に、「宮川大助」の文字があった。漫才師の宮川大助・花子の大助さんと、娘さんの名前がある。大助さんが境港の出身ということで寄贈したそうだが、漫才で花子さんから妖怪扱いされていたネタがあったなあと笑ってしまう。

当然ながら沿道の土産物店も鬼太郎、妖怪一色である。中には千代むすびという地酒の蔵元もあるが、そこも鬼太郎キャラクターのラベルを施した瓶やワンカップを並べている。

水木しげるロードは、1993年に境港市が町の活性化として妖怪の銅像23体を置いたのが始まりという。できた当初は銅像が壊されたり盗まれたりする事件が起こったが、逆にそのニュースで知名度が広がり、観光客が増えた。その後も銅像は増えていったが、市の財政難もあり活性化も頭打ちの感じがあった。そこで行政だけでなく、観光協会や商工会、さらには水木しげるのプロダクションも協力して官民一体で盛り上げるようにして、妖怪ブームや朝ドラの影響もあり、今では銅像は200体にも上る。今や外国からも多くの観光客を集めるまでになっている。2018年の夏にはロード全体がリニューアルされた。

妖怪神社というのがある。高さ3メートルの御影石と樹齢300年の欅の木を御神体とする。2000年1月1日午前0時に開かれたというから、古くから妖怪伝説を持つというよりは水木しげるロードの観光にリンクした神社と言える。

境内に目玉石というのが安置されている。神社開創に立ち会った水木しげるが、御神体の一部を差して「ここに目玉をつけると面白い」と言った。すると後でその部分がポロリと落ちた。これは偶然なのか予め仕組んでいたのかの詮索はさておき、目玉といえば目玉おやじということで、この目玉石、さらには妖怪神社自体もパワースポットになったとされる。まあ、信じる信じないは人それぞれ。

水木しげる記念館に着く。今や境港観光ならここには必ず来なければ・・というくらいのスポットである。初めてなのでどんな感じなのかなと入る。

まずはゲゲゲの鬼太郎のキャラクターについて、その設定が紹介される。合わせて、水木しげるの作品の概要が出てくる。鬼太郎だけではなく多くの作品を残した足跡がわかるようになっている。

世界各国を回った足跡も紹介されている。やはりその地の妖怪にも関心があったか、さまざまなものを持ち帰っている。ただこれらを見てみると、民族学・民俗学のフィールドワークに似ているなと思う。単なる鬼太郎の作者だとか妖怪マニアの漫画家とかいうのではなく、水木しげるは漫画を表現のツールにした民俗学者と言える。柳田國男の漫画版というと失礼かな。『遠野物語』の漫画版も出しているし、『今昔物語』の漫画版もある。以前に水木版の『今昔物語』を書店で手にしたが、さまざまある話の中で、いわゆる奇怪現象について取り上げた話について漫画にまとめていたのが印象的だった。

また『コミック昭和史』も独自目線の作品である。水木しげるが太平洋戦争の戦地で左腕を失うなど多くの苦難を強いられたからか、その期間の描写には力が入っている。記念館にて文庫版の全冊セットが売られていたが、荷物になるので購入は見送り。ただ、いずれはしっかり読んでみたいと思う。

少し、水木しげるロードから離れてみる。境港が妖怪や水木しげるで人気なのもここ最近の話で、元は漁港や海上交通の拠点として賑わったところである。水産物の水揚げも多いし、隠岐の島、さらにはウラジオストクへのフェリーが出ている。

海岸に出る。もっとも砂浜が広がるわけではなく、美保湾から中海につながる入江の部分である。目の前には漁船の他に海上保安庁の巡視船が停まっているし、対岸の美保関には航空自衛隊のレーダー基地がある。

そうしたハードな面もあれば、漁港として海の幸をもたらすのも境港である。そんな海とともに歩む姿を紹介した「海とくらしの史料館」というのがあるそうだ。実は大阪に戻った後で、ある方のブログにてこうしたスポットがあるというのを初めて知った。少し足を伸ばせば行けたのではないかと思う。また境港に来ることがあれば訪ねてみよう。

また、先ほどは妖怪神社というのがあったが、水木しげる記念館の近くには大港神社というのがある。創建時期は不明だが少なくとも江戸時代には八幡宮として、航海の神として船乗りたちからの信仰を集めていたようだ。鳥居や石灯籠、手水鉢などは摂津や若狭、丹後の回船業者から寄進を受けたとある。境内の外周にある寄進者の石碑にも、鳥取、島根両県の漁業や海運関係者の名前が並ぶ。私としてはこちらの神社の歴史のほうが興味をひく。

時間が経つに連れて観光客も増えてきた。駅前で食事ということで、観光案内所のある建物に入っている回転寿司店か、駅前にある食堂の海鮮丼か迷った後、後者の「丼や」という店に入る。

前日は皆生温泉泊ながら夕食が駅弁だったこともあり(駅弁としては美味かったが)、境港まで来たのだからと思いきって特上海鮮丼を注文。やがて来た丼にはこれでもかと刺身が盛られている。

これで境港を後にする。昼間歩くには面白かったが、夜はどうなんだろう。駅前に立派な温泉つきビジネスホテルはあるが、先ほどの水木しげるロードのさまざまな店は皆夕方に閉まってしまうそうだ。まさか妖怪たちが「夜は墓場で運動会」をするわけではないだろうが、境港の魚で夜の一杯・・はちょっと淋しいかもしれない。

12時24分発の米子行きはまたも「鬼太郎列車」で、今度は目玉おやじとねずみ男の組み合わせである・・・。
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