まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第20番「東光寺」~西国四十九薬師めぐり・12(つまりは門戸厄神)

2020年01月21日 | 西国四十九薬師

正月3日、大阪近辺は晴れの穏やかな天候である。2日朝に大阪に戻ってからの通常の初詣はここ数年定例としている地元の葛井寺にて観音経のお勤めを行ったが(この参拝は西国三十三所めぐりにはカウントしない)、残りの休みを利用して札所めぐりも進めておきたい。まず3日は手近な西国四十九薬師めぐりということで、サイコロの出目で回ってきた第20番の東光寺に向かう。

東光寺という名前を聞いて、どこにある寺なのかピンと来ない方も多いと思う。私も札所めぐりのリストを作る際に、西宮の東光寺という名前を見た時は、西宮も広いからこれまで知らなかった寺もあるものだなと思っていた。

実はこの東光寺というのは寺の正式名だが、つまりは「門戸厄神」のことである。門戸厄神なら阪急今津線の駅名にもなっているし、厄除け祈願で特に関西では有名なスポット。私も訪ねたことがある。厄神明王とは愛染明王と不動明王が一体となったものであり、こちらが本尊なのだが、薬師如来も祀っているとある。東光という名称も東方浄土から光がさすという意味で、これは薬師如来を指すとされている。門戸厄神は関西の中でも有数の初詣で賑わうところで、あえてその気分を味わうために混雑する3日に出かけることにした。以後、この記事では東光寺、門戸厄神の両方の名称が出てくる。

普段の通勤ラッシュとも、週末の行楽日和ともちょっと違う正月ムードの阪急梅田から特急に乗り、西宮北口に向かう。ここで今津線の宝塚方面に乗り換えて1駅で門戸厄神に着く。

数年前に、この駅で乗り降りしたことが何回かある。当時私と同じ勤務先企業の支店に勤めていた50歳代の方がいたのだが、ガンと診断されて自宅近くの病院に入院していた。その様子伺いや、長期療養で休職扱いとなるための手続きのことなどで、上司とともに定期的に病院を訪ねるのに乗り降りしたのがこの駅だった。入院のベッドの横に、病気平癒を祈願してか門戸厄神の御札があったのを覚えている。しかしガンの進行が思ったよりも早く、また他の病気も併発したことで、残念ながら在籍のまま早くにお亡くなりになった。そんなことも思い出す。

さて駅から東光寺へは歩いて数百メートルのところ。途中に昔の道標もあるが、往復とも参詣者が絶えないので道に迷うことはない。細い道であるが両側に屋台が出て食べ物のいい匂いを出している。帰りに何か買うかどうしようか。

駅から歩くと南門から入るのが近いが、初詣期間中ということで出口専用に規制されている。そのため北側にある表門から入るよう誘導される。まあ表門から入ることは問題ない。

その表門に向かう参道、東光寺の外壁に当たるところに、劇画調に描かれた龍の壁画がある。厄神龍王という。龍は厄神明王の化身として描かれていて、碧眼の長さは30メートルにもなる。厄除け開運、そして「登竜門」ということで龍となったそうだ。原画はゲームのキャラクターのデザインも手掛けているイラストレーターの内野和正さんで、空を泳いだり、一方では森の中で眼光を光らせたりとさまざまな姿の龍が描かれている。ちょうどこの1月1日から公開されたばかりで、警備の係員は写真を撮るなら参道下のスペースがおすすめだと案内する。確かに30メートルもあれば、全体像を写すならある程度離れたところのほうがよさそうだ。

厄神龍王の壁画を見て進むとそのまま表門に着く。42段の男厄坂、33段の女厄坂と上るが、階段の脇には厄除けで落とす1円玉の受け皿が置かれている。厄除けとして階段に小銭を落とすのはたまに見る光景だが、受け皿が置かれているのは散乱防止というか、しっかりしている。

阪神淡路大震災後に再建された中楼門をくぐると、正面の本堂である厄神堂にかけてものすごい人だかりである。ロウソクと線香をお供えするのだが、窓口でそれらを受け取り、ロウソクの燭台は隣のスペースだからよいとしても、線香をあげる香炉までは離れている。その中を線香を持って大勢の人が移動するので、この辺りはやや煙たいくらいの状況にもなっている。

まずは厄神堂で手を合わせる。大勢の人がお堂の幅いっぱいに広がって次々にやってくる。

東光寺を開いたのは平安時代、嵯峨天皇と弘法大師空海によるとされている。嵯峨天皇の41歳の厄年に当たり弘法大師が厄除け祈願を行ったが、その時に出てきたのが愛染明王と不動明王が一体となった厄神明王である。この厄神明王はあらゆる災厄を打ち払うとされており、弘法大師は三体の厄神明王像を刻み、それぞれ高野山の天野大社(丹生都比売神社)、石清水八幡宮、そして東光寺に祀った。今でもこの三社寺は「日本三大厄神」と称されるが、現在残されているのは東光寺だけだという。またその先を見るといわゆる八幡神も厄神と称するところがあり、私がこれを書く中で連想した加古川線の厄神駅も、宗佐厄神八幡神社から取られた名前という。神社と寺の両方が出るから、神仏習合の一種なのだろう。

続いて右手の薬師堂に向かう。西国薬師の本尊としてはこちらになるが、やはり厄神堂に比べるとお参りする人が少ないように思う。薬師如来は、「あらゆる病をことごとく除き、身も心も安楽になる」という仏だが、ここ東光寺にあっては門戸厄神という名前で知られるように、すべての災厄を打ち払うという点で厄神明王に主役を譲るかのようである。ここでお勤めとする。

厄神堂と薬師堂の間に納経所があり、長い列ができている。本尊なら「厄神明王」と墨書してもらうところだが、私の場合は西国薬師のバインダー式の朱印である。「薬師のバインダー」と言うと、あまりそれを頼む人がいないのか一瞬慌てたような反応だった。

また、先ほどの厄神龍王関連のグッズも扱っているようで、その中に厄神龍王の朱印というのもあった。これは龍のイラストが描かれた台紙に墨書と朱印が印刷されたものである。一つの記念と言えば記念になる。普段、自分が回っている札所本尊以外の朱印はいただかないのだが、何かありがたそうなので1枚求める。

この後は厄神堂の後ろを回る形で、稲荷明神や奥の院の不動明王に手を合わせる。境内にはさらに大黒堂、愛染堂、延命魂、弘法大師堂と並ぶが、この中では延命魂と弘法大師堂に長い列ができている。延命魂とは、高野山奥の院の弘法大師御廟近くにかつて生えていた杉の幹と根を切り出したものだが、その樹齢は800年もあったそうだ。特に根は直に触れると延命や病気平癒のご利益があるという。

初詣の大勢の客ということで流れに沿う形でのお参りとなった。こうした札所めぐりもいいだろう。この後、おみくじを引く人でまた長い行列ができているが、私の場合はおみくじよりも、次のお参り先について薬師如来(今回は門戸厄神明王も入るかな)とサイコロによるご神託をいただかなければならない。その出目とは、

1.舞鶴(多祢寺)

2.たつの(斑鳩寺)

3.丹波(達身寺)

4.加茂(浄瑠璃寺)

5.福崎(神積寺)

6.奈良北(般若寺)

西から北への出目が多いところで、出たのは「1」。薬師如来と門戸厄神明王が示したのは日本海、舞鶴である。この時季で舞鶴が出たか・・。もっともこの冬は暖冬傾向だから雪の心配はほぼなさそうで、ならば早いうちに行ってしまおう。なお多祢寺に行くならば西国三十三所の札所で同じ丹後の成相寺、松尾寺もセットで行くつもりで、移動手段も変則ルールを適用する予定だ。これについてはその時に詳しく。

さてこれで門戸厄神東光寺のお参りを終えて、次々にやって来る初詣客とすれ違いながら駅に戻る。結局屋台では買い物をせず、このまま梅田に行って立ち飲みにでも入ることにする。

門戸厄神から西宮北口まで1駅戻り、梅田方面に乗り換えようとしていったんコンコースに上がると、日本盛のスタンドを見つけた。もっともここは立ち飲みスタンドではなく、蔵元直送の生しぼりたて原酒の量り売りをする店である。お土産で300mlの生原酒を注文すると、空の瓶を取り出して後ろにあるサーバーに注ぎ、そこで封をする。初めて見る光景である。

一般に店舗で売られている日本酒は殺菌のために加熱され、さらにアルコール度数の調整のために水を加えて出荷されるのに対して、生原酒は熱や水を加えないものである。昔は酒を造っていた人たちしか飲めなかったという貴重なものだが、今は保存技術が進んだためかこうして「駅ナカ」でもいただけるものになった。これは地元ならではだろう。ただし一般の日本酒と比べると賞味期限が購入後1週間と短く、必ず冷蔵庫で保管するように言われた。

この生原酒の画像がないのが残念だが、帰宅後何日かしてお神酒代わりにいただいた。水で調整していないためにアルコール度数が18~20%ほどのままで、ちょっときつく感じる。それでもこれが日本酒元来の味なのかなとふわ~っとした心持ちになる。どっしりした味だが、先の新潟旅行から持ち帰ったアテともよく合った。

さて令和2年に入ったが、西国薬師めぐりもこれからが本格的になっていく・・・。

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