まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第4番「施福寺」~西国三十三所めぐり3巡目・10(施福寺からの下り道を歩こう)

2020年01月28日 | ブログ

槇尾中学校前からのオレンジバスである。バスはバスでも12人乗りのマイクロバスで、月曜日~土曜日が1日5往復、日曜日・祝日が1日8往復する。これからの乗るのは9時40分発の便である。少し前に泉大津、和泉府中方面から来たバスから乗り継いできた施福寺お参りの人に加えて、小学生の子どもたちも3~4人乗って来る。まさか子どもたちだけで西国めぐりか?と思ったが、外では母親が見送っていて、運転手に「お願いしますね」と言っている。

マイクロバスは山道を走り、途中で青少年の家に立ち寄る。子どもたちはここで降りて行った。槇尾山までの途中はフリー乗降区間だそうだ。またぞろぞろ歩くトレッキングのグループも追い越す。この人たちも施福寺か、あるいはダイヤモンドトレイルめぐりか。

10分ほどで参道入口に到着する。折り返しのバスを待つ人が何人かいる。この人たちは1時間前のバスで到着して、そこから参道を往復してきたのだろう。私の場合、今からだと急いで往復すれば折り返しは11時発の便に間に合うと思うが、別に間に合わなければ12時発の便でもいいかなということで出発する。この日は施福寺をお参りすれば予定終了だ。

さて坂道に向かう前に、赤い鳥居をくぐって満願滝弁財天に向かう。実はこれまで2回施福寺を訪ねているが時間が早かったために門が閉まっていて入ることがなかった。せっかくなので行ってみる。参道の左手にお堂があり、その奥には稲荷大明神の祠と、滝が落ちる岩場がある。

満願滝は落差50メートルあるという。この時季だからか水の量は少なく見えるが、その昔、役行者や弘法大師空海も修行をしたという。施福寺は山岳修験の寺として栄えた歴史があり、役行者が法華経を奉納したという話も残っている。法華経の最後の8巻目を意味する「巻尾」を納めたのがこの山ということから「巻尾山」と呼ばれ、後に「槇尾山」となったそうだ。また弘法大師空海が剃髪したのも施福寺とされている。山中に多くの塔頭寺院を持っていたが、この弁財天もそうしたお堂の一つが残ったものだろう。

さて、施福寺がパワースポットであり、さまざまな仏の世界が広がっていることをアピールする立看板に迎えられての坂道。まずはコンクリートで所々に段差を設けた道である。「観音八丁 登れば足守の馬頭さん」の看板がある。一丁が約109メートルだから、八丁だと900メートルほどの道のりである。ふと「胸突き八丁」という言葉が頭に浮かぶ。元々は富士山の頂上までの残り八丁が険しい道だったことから「正念場」という意味に転じたものだが、施福寺の場合はバスを降りていきなり「さあ胸突き八丁だ」と言われているようなものである。

この八丁から六丁までのコンクリートの坂が急で、目の前のコンクリートが壁に見えなくもない。これを上がると山門がある六丁。まずは門を護る仁王像や、健脚を願って奉納された草鞋に手を合わせて門をくぐる。

ここからは石積みの階段が続く昔からの姿を残す。石垣が残るのは過去の塔頭寺院の跡である。道幅も狭くなる中、上り下りで行き交う人も結構いて、その都度挨拶をしてすれ違う。胸突き八丁のうち残り三丁、二丁という辺りが結構しんどい。これは札所めぐりで坂道を上がる時に感じるのだが、だいたい全体の6~7割くらいのところがきつく、それを越えると先が見えてきて少し楽になる。

ここも残り二丁というところで木々の向こうに遠方の景色を望むスポットがある。天気が良く、大阪湾の向こうの六甲の山々や神戸の建物群もくっきりと見える。これで気持ちをリセットしてもうひと踏ん張り。

残り一丁となり、弘法大師空海が剃髪をした場所跡とされる愛染堂や、髪を納めた御髪堂を過ぎると最後の階段でようやく本堂エリアに着く。結構時間が長く感じたが、時計を見ると八丁のところから20分くらいだった。

しばらく息を整えてお参りとする。そうする中で参道をやれやれという感じで上って本堂に着く人が結構いる。冬にしては暖かく天気もよいのでちょっと体を動かそうという感じかな。確か参道入口近くの駐車場には多くのクルマが停まっていた。

納経所にて重ね印と、これまで埋まっていなかった西国1300年の記念印をいただく。また西国曼荼羅の八角形の用紙に朱印・墨書をいただのだが、八角形の用紙を出した時、それを手にした係の人が「うーん」という顔をする。そして「ちょっとシワよってるんで、(書き置き分と)替えることがでけへん。100円で買ってもらわな」と言う。用紙にシワがあるとは気付かなかったが、持参のケースから取り出す時にできたのかもしれない。

これまでの経験で、八角形の用紙を出すと書き置き分と交換する形でいただくことが多かったのだが、シワがよったのを他の人に出すわけにはいかないから、朱印代の500円とは別に用紙代として別に100円取るということなのかな。そう考えていると「いや、このまま書いてええんやったら別にいりまへんが」という。用紙に極端な折り目がついたならともかく、シワといっても見た目にもほとんど目立たないレベルだから別に支障はない。むしろ書き置きを渡されるより持参の用紙に直接書いていただいたほうがありがたい。

「本堂内では日本唯一の方違観音や足守の馬頭観音などが拝観いただけるので、よろしければ」と納経所に来る人には声がかかる。拝観料は500円だがせっかくなので拝んでいくことにする。先達用の朱印帳によると前回施福寺に来たのが2016年4月で、西国1300年の記念事業が始まって間もなくのことだった。従来、内陣は5月の期間限定だけ公開していたのを西国1300年記念事業を機に通年公開されている。

まずは正面の中央に弥勒菩薩、そして西国三十三所の本尊である十一面千手観音が祀られている。この前に座ってお勤めをする人もいる。

さらに奥に進んで、方違観音。「凶と出た方角をよい方角に変えてくださる」ということで、転勤・転職・旅行など、何かの方角・方向が変わる時にそれがよい方角・方向に向かうようにするというご利益があるとされる。

本尊の裏手に当たる面には、「立体曼荼羅」とでもいうべき数々の仏が安置されている。弘法大師、元三大師、伝教大師、弁財天はじめ七福神、釈迦涅槃像、さまざまな菩薩像・・・。中央にいると前後左右から護られているような感覚になる。

そして馬頭観音。日本唯一とされているのが、座っている足の裏が正面を向いているというもの。ちょっと普通の人間ではできない座り方だが、世界には体が極端に柔軟な人も多くいるから、この座り方も可能かもしれない。お参りする人の足腰が丈夫であるようにとの願いが込められているが、特に足の裏は「第二の心臓」とも言われるほど人体にとって大きな役割があるだけにそうした思いが強く込められているのだろう。

前回は「ちょこっとだけダイヤモンドトレイル」ということで「裏参道」から下りて、そのまま1時間半ほどかけて金剛寺まで歩いた。それはバスの乗り継ぎの関係で、先ほど上って来た参道を下りてもオレンジバスの時間まで間隔が開き、またそのまま槇尾中学校前、横山高校前に戻っても金剛寺に向かうバスの間隔が開くためだった。結果としては待ち時間の合計よりも歩いたほうが早かった。

今回はそうした別ルートを取ることもなく、先ほどの「表参道」をそのまま下る。しんどそうな顔で上がって来る人とすれ違うが、下りは速いペースで進む。特に山門を出た六丁から八丁にかけての急なコンクリート坂は、下手にブレーキをかけるよりもそのまま大股で走るように歩いたほうが足にも負担がかからないように感じた。バス停まで来た時にはちょうどバスが出たばかりだったが、今回はこのまま槇尾中学校前まで歩いて行こうと思う。下り坂ならそれほど負担にもならない。

槇尾川に沿って下り道を歩く。オレンジバスで上って来た時には気づかなかったが、道端には本堂への道標となる丁石を見つける。これが少しずつ数を増やしていくわけだが、途中、なくなったか見落としたかで番号も結構飛んでいる。

一方では道路工事が進んでいる。槇尾川の治水対策ということで河川の改修事業が行われている。河川の幅を広げたり河床を掘り下げたりするもので、そのために今の道路に替わる新たな道路を造っている。また新たな植林事業も行われている。元々は治水対策としてダムの建設が進められていたが、大阪府の橋下知事の時に事業が中止となり、改めて検討した結果、河川の改修工事を行うことで進められることになった。ダムの建設というのはいつも賛否が別れるものだが、結局はどちらが正しいのだろうか。昨年秋の台風、豪雨で東日本の広い範囲で冠水被害が生じた時は、ダム推進派の声が大きかったように思うのだが。槇尾川の河川改修が治水対策としてベストだったのかは、また後の世で判定されることだろう。

それでも、もしダムができていたらこうした丁石や、なぜかある釣り堀などもなくなったかもしれないなと想いながら下る。丁石もいつしか三十近くまでカウントされる。この後三十四丁、さらに文字はよく見えなかったがおそらく三十五、三十六丁らしき丁石もあったが、果たしてどこまで続いていたのだろうか。

山道も終わり、いつしか集落に出てきた。みかんなど柑橘類の畑もあり、道端では無人販売のスタンドもある。たまにはこうして歩いて周りの景色を見るのも悪くないなと思う。

槇尾中学校前までどのくらい時間がかかるかなと思ったが、参道入口から45分くらいで槇尾中学校前の奥にある槇尾山口のバス停に着いた。するとちょうどそこに泉北高速の和泉中央駅行きの便がやって来た。別にどこの駅行きでもよかったのでそのまま乗り込む。

和泉中央からは南海直通の急行に乗ってそのままなんばに出る。昼はちょっと回ったが、西国三十三所の中でも徒歩でのアクセスが結構厳しい中に入る札所をお参りしたことで、やれやれの一杯である・・・。

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