まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

糸魚川から直江津へ

2020年01月04日 | 旅行記C・関東甲信越

12月30日。この日は前日の快晴とはうって変わって、太平洋側は晴れ、日本海側は曇りまたは雨という典型的な冬の気圧配置となる予報である。ただ暖冬傾向のためか雪とまではならないようだ。

糸魚川で宿泊したホテルジオパーク。朝食は「簡易」朝食ということで、何種類かのパンとゆで卵、マカロニサラダのセルフサービス。これまでの宿泊記事を見ると、同じ簡易朝食でも焼き魚の和定食だったり、うどん・そばとおにぎりだったり、ホテル側も試行錯誤していることがうかがえる。パンそのものは美味しくてよかったが、人によっては物足りなく感じるかもしれない。ただ、気軽に買いに行けるコンビニが近くにないのも実情である(糸魚川駅のコンコースにセブンイレブンがあるが、コンビニというよりはキオスクの置き換え版という店構えである)。

この日は8時21分発の直江津行きに乗ることとして、それまで少し駅の周りを歩くことにする。まずは駅からの道をまっすぐに進んで国道8号線に突き当たったところの展望台に向かう。そこまで徒歩5分。糸魚川は「日本海に一番近い新幹線の駅」ということをさりげなくアピールしている。

ここは目の前にテトラポッドが並ぶ日本海、目を転じれば黒姫山など北アルプスの山々を見ることができる。海と山の景色を同時に楽しめるスポットだが、この季節である。ここに来て雨が落ちている。また日本海も前日のように穏やかとはいかず、色も暗く見える。

駅に戻る途中、商店街の一角に入る。昔からの雪国の知恵である雁木が広がる通りもある。

糸魚川といえば、2016年12月に大規模な火災が起こったことが思い出される。焼けたのが駅の北側から日本海にかけて、昔からの町の中心部だったところである。火元は町の中華料理店の火の不始末からで、周辺が雁木造りの通りや木造家屋が密集する一帯だったことと、強い南風にあおられたことで被害が大きくなった。幸い死者は出なかったものの、147棟に延焼、約4万平方メートルが焼失した。

現在は復興が進められ、被災した建物も再建されたり新たな区画整理も実施されている。商店街のメインストリートには、七福神にヒスイの女神である奴奈川姫を加えた「八福神」が並ぶ。火災では一部の石像が行方不明になったが、後の作業で無事に見つかり、今は町の復興を温かく見守っている。一日も早く福が舞い降りるのを願うところである。

さて出発のためにホームに向かうと、ホームの一部を切り取って行き止まり式にしている大糸線乗り場にキハ120が停まっているのが見える。前の記事では引退したキハ52について触れたが、大糸線も久しく乗っていない路線なのでまた訪ねてみたいものである。特に非電化の糸魚川~南小谷は列車本数が少なく、また過去にはしばしば河川の被害で運休になることがあったため「難所」のイメージがある。そんな中で、実は2019年の10月~12月31日まで(つまり、この旅の期間中も該当)、新潟・庄内エリアのディスティネーションキャンペーン「日本海美食旅」を契機とした沿線活性化のため、この期間限定で大糸線増便バスというのを出している。通常ダイヤなら途中駅までの折り返しを含めて9往復のところ、4往復のバスを朝、午前、午後、夜に運行し、区間も南小谷ではなくその先の白馬まで結んでいる。

実際にバスに乗ったわけではないので何とも言えないのだが、こうした「バスによる増発」で思い出すのは、廃止前の三江線である。便数を増やして利用客が増加するかの試みだったのだが、一面では鉄道を廃止してバス転換した場合のシミュレーションの意味合いもあった(結果的にそうなった)。大糸線の場合は観光キャンペーン期間内の利便性向上の位置づけだったが、果たして成果はどうだったか、また今後の大糸線に何か影響が出るのだろうか。

8時21分発の直江津行きは1両のワンマン運転。この時間だとさすがに青春18~第三セクター乗り継ぎの旅行者の数は少なく、海側の席に座ることができた。この先、海に近い区間を走るがやはり海の色は前日よりも暗く感じる。

トンネルも多い。その中にあるのが筒石である。この区間を通るたびに「越後つついし親不知」という、水上勉の作品および映画から来る厳しく暗いイメージを連想してしまう。物語は戦前の話で、北陸線は今のようなトンネルではなく海沿いの厳しい地形の中を走っていた時代。名立のゆるキャラがホームでお出迎えする現在とはもちろん時代背景は違うが、名前のインパクトというのは強いものがある。

9時02分、直江津に到着する。えちごトキめき鉄道、JR東日本、北越急行(厳密には犀潟から乗り入れ)の3社の車両が集まる要衝である。この先のコースだが、宿泊は長岡である。このまま信越線に乗り継げばスムーズに長岡に着くのだがいくらなんでも早すぎる。そのため、いったん北越急行に乗車して越後湯沢に出ることにしている。

一方で、直江津では駅弁を調達したい。以前にいただいた「磯の漁火」や「鱈めし」あたりがお目当てで、直江津駅前のホテルハイマートで作られるものである。ただ、北陸新幹線が開業してから販売の拠点が上越妙高駅に移ったということも聞く。ひょっとしたら直江津では駅弁が手に入らないかもしれない。

駅弁の販売について別に電話で訊くほどのことでもないが、前日までに時刻表を開いてコースを見たところで、9時44分発の妙高高原行きでいったん上越妙高に行くことにしていた。そして駅弁を購入して、次の列車でさらに新井まで南下する。するとその折り返しが11時03分発の北越急行直通の越後湯沢行きとなるのでちょうどよい。駅弁は昼食というより、夜の長岡まで持っていくつもりだが。

そんな中、乗り換えのために橋上の通路に出ると、心配をよそに駅弁の販売コーナーは健在だった。「鮭めし」にも食指が動くが、予定通り「磯の漁火」と「鱈めし」を調達。つまみ用の「するてん」まで手に入れた。そうすると別に上越妙高までわざわざ行かなくてもよくなった。のみならず、直江津から9時32分発の越後湯沢行きに乗ることができ、上記の予定より2時間早く動ける。それならばそのまま越後湯沢まで行ってしまおう。

2両編成の越後湯沢行きの車両はローカル仕様のボックス席。まずはガラガラなのでボックス席を占領する形で出発する。犀潟までは信越線の線路を走るが、ここからは一時北陸への最速ルートを形成していた路線で、今でも「日本最速のローカル列車」を有する北越急行ほくほく線に突入する・・・。

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