越後湯沢始発の13時13分発の上越線長岡行きに乗る。やって来たのはE129系という初めて乗る形式である。
新潟地区の電車区間(信越線、上越線、白新線、越後線など)の車両といえば長く115系が占めていた。独自の塗装を施したりシートを張り替えたり寒地らしくドア横に風よけのパネルがあったりしたのだが、2014年にE129系が導入されて以降、順次置き換えが進められた。現在ではごく限られた車両数、運用になっているという。私が鉄道旅行をやりだした頃には各地の幹線やローカル線でバリバリ活躍していた「万能選手」も新潟からそろそろ全面引退という日が来るようだ。
一方で新しい車両には新しい車両の良さがある。今の車両だから全面ロングシートでもおかしくないのだが、E129は通勤輸送と旅行移動の両方取りをしているようだ。1両の半分がロングシート、もう半分がボックスシート4つのセミクロスシートである。このボックスシートも窓が大きく、従来より広く感じる。この旅でボックスシートの相席になる場面はなかったが、向かいに座った人との膝どうしが当たることもないだろう。
ガーラ湯沢は強風のためこの日は営業休止だが、沿線の他のスキー場はやっているようだ。リフトは動いているがあまり人の姿は見えない。私自身やらないので何ともいえないが、スキー人口そのものはこのところ雪国新潟県ですら大幅に減っているようだ。
話はそれるが、関西でも滋賀や兵庫の北部にはスキー場がある。ただ伝えられるのは雪不足。人工雪も使ってどうにか営業しているのが実情のようだ。その中で見たニュースだが、神戸市内の小学校では毎年県北でスキー実習を行っているが、半数近くの学校が実習の取り止めを検討しているという。学習指導要領の改訂で英語やプログラミング教育上などが導入されるため、授業時間を確保する必要があるそうだ。
ただ思うに、学習指導要領だけではなく、そうしたことじたいをしない、させないということが大きいのではないのかな。スキーで万が一ケガでもしたら学校の責任が問われるし、子どもたちも暖かい部屋でスマホをいじるほうを望むのだろう。時代といえば時代だ。
さて六日市を過ぎると雪もなくなり、曇り空の下を走る。只見線が分岐する小出を過ぎる。この時間では列車もなく乗り換え客もいないようだが、今や只見線はインバウンド客も含めた超人気ローカル線で、満員御礼が続くという。三陸で津波に遭った路線は永久にバス転換が決まったが、只見線は巨額の費用をかけてでも鉄道で復旧させるだけの「価値」がある路線である。
信濃川と合流して平野となり、14時31分に長岡到着。ホテルのチェックインには早いのでそれまでどうするかだが、先ほどの車内で行き先の見当をつけていた。
荷物をコインロッカーに預けて、14時43分発の直江津行きに乗る。新幹線から乗り継いで来たらしい客で混んでいる。目指すのは長岡から4つ目の越後岩塚。
無人駅のホームから見えるのは神社の屋根。ここが目指す場所、宝徳山稲荷大社である。
ここに来ようと思ったのは全くの気まぐれだが、実は20年近く前に訪ねたことがある。
当時入っていた旅行サークルがあるのだが、ある年の年末年始旅行で信越を訪ねることをメンバー内で明らかにしたら、その中のNさんから「実家が長岡なので泊まりに来い」と誘われたことがある。時刻表にてそのようにプランニングして、正月に長岡でNさんの実家に泊めさせていただくことになった。雪が積もる庭のある屋敷にお邪魔して、客分のくせにアホみたいに新潟の酒を食らったのを覚えている。正月早々迷惑な客だっただろう。
その翌日に、面白いところがあるとNさんがクルマで連れていってくれたのが宝徳山稲荷大社だった。雪の中に社殿の鮮やかな朱色の柱があったのを憶えている。今はサークルそのものがなくなったし、泊めていただいたNさんはその後同じサークルにいた女性と結婚したのだが今はやり取りもないし(そもそもサークルも消滅)、Nという名字もどこにでもあるものなので長岡で特定することも無理。まあ、昔の思い出ということでいいだろう。
その帰りに送っていただいた越後岩塚駅も何となく憶えている。宝徳山稲荷大社までは徒歩5分ほどで、少し坂を上ると境内の入口に到着した。巨大な鳥居が出迎える。
それにしても大きな建物だが、何やら怪しげな宗教組織に見えなくもない。それでも歴史をたどると起源は縄文時代までさかのぼるという。持統天皇の時代には越の国の一ノ宮の格式を持っていたそうだが、平安時代以降はあちらこちらに移り、現在地に鎮座するのは江戸時代後期だという。そこから増改築を繰り返して現在にいたるが、前回来たのが20年近く前で記憶がはっきりしないとはいえ、ここまで大きかったかなと思う。
道順に従い内宮に入る。初詣の準備が進められているが、祈祷も行われている。この先は撮影禁止のため画像はないが、ここではまず五色のローソクを供えるのが流儀という。高説を唱える神社の方から300円で五色が2本ずつ入った箱をいただき、神殿右手のローソク立てに向かう。説明板によるとローソクの色と並べる順は決まっていて、左から緑(身体健全、交通安全、学術増進)、赤(商売繁盛、金融順行)、黄(火難防止、五穀豊穣)、白(家内安全)、紫(心願成就)とある。火はどうするかというと、すでに立っている他の白のローソクで自分の緑のローソクをつけ、以下、赤、黄、白、紫とリレーしていく。他人のローソクから火をもらうのって、確か他人の業をもらうことになるとして、これまでの西国や四国の札所めぐりではタブーとされていたが、ここはそうしたことはないのだろうか(まあ、説明板にわざわざそう書いてあるから問題ないのかな)。
ローソクの色とご利益というと道教や陰陽道的なものを感じるが、宝徳山稲荷大社ではこういうものだろう。続いて左手のローソク立てにて同じように五色お供えして、最後に正面で手を合わせる。何だか勝手が違うが、これでお参りとする。
奥にはさらに巨大な、地上6階建てはあろうかという本宮がある。お社を通り越してビルである。ただ、冬の間は閉鎖という。最初は雪や凍結のためかと思ったが、春と秋の祭りを境として参拝場所を本宮と内宮とで入れ換えるのだそうだ。冬から春にかけては先ほどの内宮で祈祷も執り行うという。まあせっかく来たので外側だけでも見て行く。絵馬が飾られている一角があり、志望校への合格や安産祈願のお願いもある。その中には「私に親権が得られますように」という何やら複雑な家庭事情のお願いもあるのだが、まあそれらも含めてあらゆるご利益があるのがこの宝徳山稲荷大社なのだろう。
訪ねた時には地元の人らしい人がクルマでお参りに来る姿がいろいろ見られたが、ただ私には、やはり一神社の域を超えて、何かの教団の本部があるように見えてしまう(別にやましいことはしていないだろうが)。さらには少し離れて奥宮もあるが、それはパスした。
予定より早く動けたために一つお参りできたことでよしとして、越後岩塚から長岡に向かう。そろそろ外が暗くなってきた・・・。