まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

西国四十九薬師めぐり~高野山奥の院から和歌山へ

2021年07月17日 | 西国四十九薬師

高野山をめぐる西国四十九薬師めぐり。目的の2ヶ所は回り終えたので奥の院に向かう。ここまで思ったより時間をかけたこともあり、千手院橋前からバスで奥の院口に向かう。

一の橋の手前に新しいお堂が建っている。別格本山の清浄心院の護摩堂「鳳凰奏殿」、位牌堂「永山帰堂」である。毎月中旬には護摩行が執り行われるそうだ。

さて、一の橋から奥の院への参道に向かう。およそ2キロの間に数多くの墓石、慰霊碑、祈念碑が並ぶ。その数20万基と言われているが、正しい数を把握している人はいないのではないか。

諸大名の墓石も多く並ぶ。もっとも、亡骸そのものがここに葬られているわけではないが、弘法大師と一緒のところに墓を建てたいという信仰から来ている。諸国を回った高野聖が宣伝に努めたからだとも言われている。

また一説では、「56億7000万年後に起こること」をより近くで見るため・・というのもある。弥勒菩薩の信仰である。弥勒菩薩は兜率天にて修行中だが、釈迦入滅の56億7000万年後の未来にこの世に現れて悟りを開き、人々を救済するとされている。一方、弘法大師空海も入定後は兜率天に上り、弥勒菩薩に仕えていて、56億7000万年後に再び現れるという。その時には高野山で説法をするとされていて、大名家の墓石、慰霊碑はそれを見るための「特等席」だという。

それにしても56億7000万年後って・・・想像できない。仮に弥勒菩薩が現れるとして、それまで人類は生き延びているだろうか。

少しずつすれ違う人が増え、御廟橋に着く。この先は今も弘法大師が修行を続けているとされる聖域である。

燈籠堂では新型コロナウイルスで亡くなった方々の供養が行われている。その奥の御廟前に回り、私もこちらでもう一度お勤めとする。とりあえず、薬師めぐりの途中で立ち寄らせてもらったということで・・。まあ、西国四十九薬師めぐりの結願は比叡山延暦寺なのだが。

なお、燈籠堂の地下はコロナ対策として立入禁止となっていた。

さてこれで奥の院まで参詣して、高野山めぐりはおしまいとする。帰りは近道で奥の院前バス停側に出る。

高野山駅に戻る。結局、高野山上で昼食を摂ることなく戻ったことになる。まあ、この後和歌山で一献ということにしているからそのまま行くことにする。

今回の高野山土産は・・こちら「般若湯」。

13時53分発のケーブルカーで下山し、極楽橋から橋本行きに乗り継ぐ。今度は1-2列の転換クロスシート車両である。こちらのほうが山岳ローカル線に似合っているように思う。

ブレーキ音を響かせながら高度を下げていく。各駅に停車し、橋本に到着。

この日は橋本でJR和歌山線に乗り換え、和歌山に向かう。15時29分の発車までしばらく時間があるのでベンチで列車を待つ。

和歌山線には2020年から新車として227系が導入されている。和歌山線、紀勢線の105系を置き換えるにあたり、長時間鈍行に揺られることからクロスシート車の導入を期待した鉄道ファンも多かったと思うが、結果としてはロングシートが継続することとなった。まあ、短距離利用の地元客が多いからそうなるのだろう。

列車は紀ノ川沿いに走る。車内ものんびりした雰囲気で、淡々と進んでいく。

粉河で対向列車との行き違い。翌日、再びこの駅までやって来て、西国三十三所めぐりの第3番・粉河寺に参詣する予定だ。

16時34分、和歌山に到着。この日は和歌山駅前での宿泊である・・・。

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