まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第7回九州西国霊場めぐり~かつての炭鉱路線を乗り継いで・・

2022年01月02日 | 九州西国霊場

12月30日、山陽線を乗り継いで小倉に到着。この日は札所めぐりを前に久留米に宿泊するのだが、このまま鹿児島線の快速にでも乗れば13時すぎに到着する。何ならその時間からでも予定の2ヶ所を回ることができるかもしれない。ただそうしなかったのは、同じ移動日ならちょっと変わったルートをたどろうという思いがあった。

まず乗るのは、小倉10時46分発の日田彦山線、田川後藤寺行きである。ここは気動車に乗ってみよう。

その前に腹ごしらえ。ちょうど田川後藤寺行きが停まっている2番ホーム上にあるスタンドでかしわうどんをいただく。北九州駅弁当が運営する店舗で、7・8番ホーム上にあるのと同じ味わいである。小倉駅構内のかしわうどんはもう1社、JR九州フードサービスも運営しており、3・4番ホーム上と、連絡通路で営業している。それぞれ好みがあるようで。ちなみに5・6番ホームにはラーメンのスタンドがあるが、こちらもJR九州フードサービスの運営。駅ホームにラーメン店があるのも福岡らしいが、こちらは昼前からの営業である。

田川後藤寺行きは近郊の利用客のほかに、大きな荷物を持った帰省らしい家族連れも見られる。私もでかい荷物を抱えている。広島から大阪に向かうのにいったん九州に渡り、札所めぐりも盛り込んでいるが、それでも帰省は帰省。

分岐駅の城野でしばらく停車して、日田彦山線に入る。しばらくは小倉近郊の住宅地が並ぶが、だんだんと景色も山がちになる。それでも結構なところまで北九州市小倉南区が続く。日田彦山線は田川地区の石炭を輸送する目的で敷かれた路線だが、炭鉱がなくなった後も石灰石の採掘が行われ、専用線も敷かれていた。

それはそうと、線名の「日田彦山線」である。2017年7月の豪雨のために添田~夜明間が不通となり、復旧に向けてJRと地元は協議を重ねたものの、結局鉄道での復旧は断念し、BRTの運行に切り替えることになった。九州西国霊場めぐりの第1回で英彦山を訪ねた時、現在の代行バスに乗り、工事中の駅構内などを見る機会があったが、鉄道としては日田にも彦山にも行かない路線というのも何だか妙なものである。かつて香春~添田を走っていた「添田線」の名前でええやん・・とすら思ってしまう。

桜の名所としても知られる採銅所、かつてセメントの積み出しでも賑わった香春を過ぎる。

かつて炭鉱で栄えた田川伊田を過ぎる。ホームには「炭坑節発祥の地」のプレートが掲げられている。「月が出た出た~月が出た~ヨイヨイ」の「炭坑節」を耳にした方は多いだろう。その後に「三池炭鉱の上に出た~」と続くので、「炭坑節」は三池炭鉱があった大牟田の歌かなと思われるが、江戸時代から田川で歌われていた民謡に歌詞をつけたものだという。各地の炭鉱が自分のところの名前をつけて歌うようになり、その一つだった三池炭鉱が国内最大規模だったから広まったとも言われている。一時、「炭坑節」のルーツをめぐって田川と大牟田で論争があったそうだが、結局は田川に軍配が上がった。

その田川の中でも伊田、後藤寺という要衝が続いていて、それぞれが町の中心を名乗っている。12時01分、その一方の田川後藤寺に到着。ここからは後藤寺線に乗り、もう一方の炭鉱線の中心だった筑豊線に出る。現在は福北ゆたか線の愛称が一般的になっているが。

12時19分発の後藤寺線新飯塚行きはキハ40の炭鉱、もとい単行。きっちりとボックス席を確保する。全国的に見てもこの形式が走る路線も徐々に少なくなっているが、日田彦山線、後藤寺線ではもうしばらくその活躍が見られそうだ。

まずは次の船尾に到着。駅周辺に巨大プラントが並ぶが、炭鉱ではなくセメントの工場。麻生セメントの田川工場で、その名からして、言わずと知れたあの方が関係する地元グループ企業の一つである。

そのセメント工場を抜けた後にゴルフ場と接する区間もあり、またその後、新飯塚の手前には遠方にボタ山らしきものを目にすることができる。

九州西国霊場めぐりで英彦山を訪ねる前に泊まった新飯塚に到着。駅に入る手前、線路際にあるホテルに泊まったのも思い出だ。その時は町中での一献はなかったが、次に機会があればそうした時間も作りたいものだ。この日は向かいのホームに停車中の12時44分発の博多行きに乗り継ぐ。

12時54分、桂川に到着。博多には向かわず、ここで下車する。桂川から分岐する原田(はるだ)線に乗るためである。

原田線・・・文字通り桂川から原田を結ぶ線だが、正式な「筑豊本線」の一部である。筑豊線は現在では区間によって線名(愛称)が分断されていて、若松~折尾が若松線、折尾~桂川が福北ゆたか線、そして桂川~原田が原田線として案内されている。博多への近道となる篠栗線桂川~吉塚間が開通してからは、桂川~原田は完全なローカル区間となり、本数も極端に減った。そして現在は原田線としてあたかも別路線の案内である。

本数が少ない中、土日祝日のみ運転という13時22分発の原田行きがある。今回、広島から久留米に行くのにいろいろ乗るとか、時間を気にして(わざわざ岩国まで先行して前泊して)いたのはこの区間に乗るためである。まあ、乗り遅れても1時間後に毎日運転の列車はあるのだが・・・。

時間があるので一度外に出る。駅舎も新しい感じの橋上駅である。いっぽう、ホームに隣接した「売店」は昔からのようで、小さなコンビニも兼ねているので少しのぞいてみる。桂川駅の近くにある蔵元の「寒北斗」という銘柄の酒が一押しで、四季それぞれ限定の「シビエン」というシリーズの冬版というのを買い求める。この記事を書いている時はまだ口にしていないが、どんなものか楽しみである。

この13時22分発の原田行き、時刻表を見ても原田からの折り返し列車が来るわけでもないようだ。直前になり、飯塚面から1両のキハ40がやって来た。先ほど後藤寺線で見かけた何人かも同じく乗る。わざわざ狙ってこの列車を選んだのかな。

この区間に乗るのもずいぶん久しぶりである。初めて乗ったのは30年以上前で、その時は原田から50系客車列車に乗ったのを覚えている。その時も列車本数は少なかったのではないかと思う。使われなくなった長いホームの跡が残る。

冷水峠の長いトンネルを抜ける。江戸時代には長崎街道が通じていたがかなりの難所だったという。ここに長崎街道があるのは、小倉と長崎を最短ルートで結ぶこともあったが、福岡の黒田藩が他の大名たちに自分の城下町を通らせないためにこのルートを支持したともされている。

トンネルを抜けると筑紫野の開けた地に出る。工業団地もや大型店舗も広がる。13時50分、終点の原田に到着。新興宗教の「善隣教」の広告板が出迎える。

これで鹿児島線に入り久留米に向かうのだが、時間はまだ早い。もう少し寄り道していこうか・・・。

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