まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第7回九州西国霊場~第19番「観音寺」(河童の田主丸、牛鬼退治の伝説が残る古刹)

2022年01月07日 | 九州西国霊場

善導寺から久大線に乗って田主丸に到着。駅舎が河童をあしらった造りになっていることで一部では知られている。またホームにも河童の像が建つ。

駅舎にも登場するくらい、田主丸には河童に関する伝説が多い。その中で知られているのが「九千坊(くせんぼう)」率いる河童の一族。かつては9千匹の河童が球磨川に棲んでいたという。その九千坊だが、加藤清正の家来の「尻小玉」を抜くなどさまざまな振る舞いをしたために、清正の怒りを買い、球磨川を追われた。その後、悪さをしないことを条件に久留米の有馬氏から筑後川に棲むことを許され、久留米の水天宮の守り役として、領民を水害から守ったという。

さてこれから向かう観音寺だが、ホームの案内標にも「石垣山観音寺」の文字がある。地元としても名所なのだろう。南東2.5キロ、徒歩30分とあり、一応駅からの徒歩参詣の許容範囲内である。

駅近くの踏切で特急「ゆふいんの森」に遭遇し、そのまま南下する。何度か道がジグザグとする。先ほどの善導寺と同じく駅周辺には庭木の栽培が目立つ。

またほかにぶどう園が立ち並ぶ。今はシーズンオフだがぶどう狩りを楽しむことができる。この耳納連山の麓が条件的に適しているのかな。そういえば、田主丸のホームの駅名標にも、河童がぶどうを口にしているイラストがあった。

県道に出て観音寺に到着。いったん境内の横を過ぎて、東側の山門から入る。

観音寺は天武天皇の勅願で開かれ、筑後国でもっとも古い歴史を持つ寺院とされる。後に行基により伽藍が建立されるとともに、平安時代には慈覚大師円仁により天台宗に改められた。以後、現在は寺の規模も小さなものだが、観音信仰が受け継がれている。

観音寺には牛鬼伝説というのがある。ある夜、真夜中に鳴る鐘の音に住職が驚いて目が覚めるが、鐘堂には誰もいなかった。その後、同じように真夜中に鐘が鳴ることが続き、その都度、牛や馬、さらには村の娘子どもがいなくなる出来事が起こった。そこで住職が宝剣を持って鐘堂に隠れてその正体を突き止めようとしたところ、頭は牛、体は鬼という牛鬼が現れた。そこで住職がお経を唱えると牛鬼は苦しみ、そのまま息絶えた。それを聞いた村人たちは、頭を都に送り、手を観音寺に奉納し、耳を近くの山に納めた。その耳を納めた山が現在の耳納山の名前になったという。

この牛鬼退治を行った住職が、観音寺中興の祖である金光上人とされる。金光上人は後に浄土宗の僧として東北地方に念仏を広めた人物で、現在も顕彰されている。

ちょうどこちらでも大晦日ということで境内の清掃の最中である。納経所の扉も閉まっている。先ほどの観興寺の件もあるからさてどうしたものかと思うと、寺の方から「ご朱印ですか?」と声を掛けられる。「どうぞ、本堂の中でお待ちください」と本堂の扉を開けてくれる。

せっかくなので中でお灯明を上げてもう一度お勤めとする。それが終わるころに寺の方が来て、朱印と寺の行事案内のちらしをいただく。「バタバタしててすみません。どうぞごゆっくりお参りを。(ろうそくの)火だけ消しておいてください」との対応。こちらこそ恐縮である。

しばらく本堂の中にいて、火を消して扉を閉めて寺を後にする。ともかくこれで今回の目的地である久留米市の2ヶ所を回り終えた。福岡県にはまた戻るが、次回からは新たな県である佐賀県に入る。とりあえず佐賀市近辺の2~3ヶ所で組んでみようかと思う。

これで田主丸駅まで歩いて戻るが、晴れてはいるが風がきつい。思わず上着のフードをかぶる。河童の駅舎の待合室にたどり着いた時はほっとした。

時刻は11時半を少し回ったところ。思ったよりも早くこの日の行程が進んだように思う。久留米行きの列車までは時間があるが、バスで戻ってもいいかなという中で、ふと11時43分発の日田行きの文字が目に留まる。いったん日田まで行き、1時間足らずの時間で折り返して久留米まで戻り、鹿児島線の快速で小倉に向かうことにするか。日田で特に観光する予定はないが、乗っているだけで青春18きっぷの元を取ることはできる・・・。

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