1927年に開業した坂本ケーブル。坂本駅、延暦寺駅ともに当時の姿を残している。ケーブルカーの運行は30分に一本で、出発の5分前から改札が始まる。「ほうらい丘、もたて山でお降りの方は予め係員にお申し出ください」というアナウンスがある。このケーブルカーには2つの中間駅があり、関西私鉄では数少ない「秘境駅」にもランクされている。これらの中間駅もこの企画での訪問対象となっており、果たして訪れることはあるのかなと思う。
全長2025m、標高差484mを11分で結ぶのは「福」号。もう1台「縁」号というのがあり、車体にはそれぞれの文字が天台座主の揮毫により書かれている。後ろ向きに着席し、引っ張り上げられる形で出発。坂本は蒸し暑かったが、ケーブルカーの窓が開いておりじわじわと風が入ってくる。
時折動物の木彫り人形が沿線に見られ、木立の中、高度を上げていく。眼下に琵琶湖の眺めも広がる。
一つ目の中間駅であるほうらい丘を通過する。坂本ケーブルの建設中に発掘された石仏をこの地に集めて安置したとか。その石仏とは織田信長の比叡山焼き討ちで亡くなった人たちの霊を慰めるものというが、駅のすぐ横に洞窟があり、こういう駅で一人放り出されても、あまり居心地のよくなさそうな感じである。
ケーブルカーは途中で「縁」号と交換し、トンネルも抜ける。さすがにトンネルの中は冷んやりとしてよろしい。
もう一つの中間駅であるもたて山も通過。ここから歩いて10分ほどで紀貫之の墓へ行くことができる。紀貫之はもたて山から見る琵琶湖の風景を愛し、この地に葬るよう願っていたとか。やはり貴族ともなるとやることがなかなか贅沢である。
11分の時間があっという間に過ぎ、延暦寺駅に到着。黄色に近いクリーム色の駅舎は登録有形文化財である。改札口、待合室もレトロな雰囲気が漂う。階段を上がった2階は元々貴賓室だったそうだが、現在はホールとして開放されており、比叡山や坂本の四季の風景写真が飾られていた。
このテラスが展望台であり、やや霞んではいたが大津の街並みから琵琶湖大橋までを見渡すことができる。ここまで来ると下界に比べて少し涼しさを感じる。
さて、ここまで来たのだから駅前散策は延暦寺である。東塔、西塔、横川と3つのエリアがあるが、それらを全て回ると一日仕事になるので、今回は最も近い東塔地区を訪れる。読みは「とうどう」である。ちょうど延暦寺発祥の地であり、本堂にあたる根本中堂があるのが東塔地区なのでちょうどよい。ケーブル駅から歩いて10分ほどで、木立の中を歩く。
延暦寺に来るのも子どもの時以来である。鉄道メインであちこち出かけている割には、メジャーな観光地(延暦寺を観光地と言えば怒られるだろうが)にはあまり行っていない。人ごみがあまり好きでなかったり、やはり私の性格的にどこかマイナーなものを好むところがあるのだろう。この企画でもいろいろな駅を回り、それぞれの駅の周囲でポイントを見つけてようとしているが、なかなか有名なところは出てこない。
ともかくもお参りをしよう。境内には「一隅を照らす」という言葉が目立つ。比叡山を開いた最澄の言葉である。この言葉で思い出したのは、私の中学校の担任のM先生。名前で検索していったら、府内のとある中学校の校長をされていた。広島のとある島の出身で、もちろんカープファンだし、「ワシは教師になる前は寺に入っていた(本当か嘘か)」という経歴を持つ社会科の先生だったが、卒業アルバムに「照一隅」という言葉を寄せていた。
その「一隅を照らす」というのは、社会の片隅を照らす、社会の片隅で頑張っている人たちに感謝や思いやりの心を持つ(光を照らす)ということだと思っていた。
ところが、根本中堂まで来て、最澄が書いた「山家学生式」の冒頭部分が刻まれた石碑を見て、本当の意味は違うものだと知らされた。「一隅」というのは自分の置かれた場所とでもいうもので、「一隅を照らす」とは、一人ひとりが自分の与えられた持ち場で、世のため人のため輝けるように全力を尽くすこと。そのことで社会全体が幸福になるということだが・・・。中学校を卒業して長い月日が経っているというのに、ずっとその間誤解していたことになる。アカン奴やなあと苦笑する。
まあここで改めて最澄の教え、M先生の教えに触れたということで、気持ちを新たに根本中堂にお参りする。現在の建物は江戸初期に再建されたもので、中に入ると灯りも抑えられ、荘厳な感じを漂わせる。今は夏の日中だからまだ弛緩した感じだが、冬の早朝などにこの堂宇に入ると、言われなくても背筋が伸びることだろう。
本尊は薬師如来だが、内陣の土間が低いために参拝者と同じ高さにある。仏も人もひとつという教えを表していると、堂内でお札などを扱っていた僧侶が参拝客に解説をしている。その本尊前の「不滅の法灯」は、創建以来1200年の間一度も絶えることなく灯り続けているという。まあ、延暦寺そのものが織田信長の焼き討ちを含めた戦乱で何度も消失しているのだから、科学的に同じ日がずっと灯り続けていることはあり得ない。ただそう考えるのは野暮なことで、仏の教えは絶えることなく受け継がれているという意味を表しているということでいいだろう。オリンピックの聖火も同じようなものだ。
この後は境内のいくつかの堂宇を回り、大鐘もついたところでそろそろ延暦寺を後にする。西塔、横川エリアもまた訪れることがあるだろう。再び根本中堂の前に戻り、こちらで次のサイコロである(なんちゅう不謹慎な・・・)。
延暦寺の「じ」(または「し」)で始まるのは、
1.七道(南海本線)・・・堺の入口の駅。
2.島ノ関(京阪石山坂本線)・・・浜大津の次の駅、滋賀県庁が近かったかな。
3.下新庄(阪急千里線)・・・大阪市内に戻る。
4.近鉄下田(近鉄大阪線)・・・久しぶりの奈良県。
5.尺土(近鉄南大阪線)・・・吉野特急も停車する。
6.修学院(叡山電車)・・・修学院離宮の見学は事前予約がいるはず。
展開とすれば、坂本ケーブルで折り返してそのまま坂本から南下した島ノ関か、あるいは比叡山を西に越えて八瀬遊園から叡山電車に乗る修学院がいいかな。いっそのこと奈良県まで南下するのもよいか。そこで出たのは・・・「3」。
う~ん、この中では最も地味なところかもしれない。早く次の駅を探すことになるかな。
坂本ケーブルに再び乗車する。今度は急坂を前向きに下るので結構スリルがある。「ほうらい丘駅で下車がありますので、しばらく停車します」と放送があり、線路の途中で停まる。ケーブルカーの特性上、上りと下りで均衡にならなければならないため、相手が停車している間はこちらも停車する。それにしても、ほうらい丘のようなところで下車があるものだ。
ゴトゴトと下りて行くと、ほうらい丘では一人の男性がホームを掃いていた。そのために下車したというところだろう。30分清掃して、次の便で今度はもたて山まで来るのかもしれない。
ケーブル坂本に到着。坂本駅までの連絡バスが出ているとの案内があり、江若交通の社名が書かれたバス停に向かう。するとそこは「スルッとKANSAIは使用できません」とある。あらあら。交通手段として「スルッとKANSAI3day」が使用できるもの以外は認めていないのがこの企画だけに、また駅まで歩くことにする。今度は坂本駅まで下りだから足が進む。結局バスよりも若干早く到着した。
来た道を浜大津、三条と乗り換える。次の下新庄は阪急千里線であるが、これまで何回か行った祗園四条~河原町への徒歩連絡にするか、三条から大阪市内の北浜まで特急に乗り、地下鉄堺筋線から阪急千里線に出るか。三条からやってきたのが1-2列式の3000系で、1人席に座ることができたので、結局休みがてら北浜まで向かうことにする。どうもこの企画、大阪~京都へは京阪、大阪~神戸は阪神というのが定番である。
これは想定外だったが、京阪の地下区間から地上に顔を出すと、これまで何とか持っていた天気も崩れ、結構な雨になっていた。四条大橋を傘を差して渡らなければならないところだった。
雨のまま北浜に到着。乗り換えたのはちょうど北千里行きであった。阪急経由なら河原町、淡路と2回乗り換えのところ、1回で済んだのもよかった。
高架工事の進む淡路駅を過ぎ、下新庄に到着。学生時代は通学路として通過していた駅だが下車するのは初めて。ただ、駅前は住宅地で特にめぼしいものはなかったように思う。
淡路に続き下新庄も高架工事が着工されており、2008年から工事を始めて高架駅の完成が2018年、周辺の整備も含めた工事完了は2020年の予定というから息が長い。2014年8月の駅の周りは、そんなに工事が進んでいるようには見えないのだが、そこはあと4年もあればできることなのだろう。そう言えば駅のすぐ南を新幹線が走っているのだが、その高架橋をさらにまたぐのだからかなりの高さになるだろう。新幹線を見下ろす駅というのもそうあるものではない。
雨も降ってきたし、そろそろ夕方近くのためこの夏2回目も繰り越しとする。下新庄の「う」で始まるのは・・・
1.梅屋敷(生駒ケーブル)・・・比叡山の次は生駒山か。
2.魚崎(阪神本線)・・・灘五郷の玄関駅。
3.浮孔(近鉄南大阪線)・・・こちらも、何かめぼしいものはあったか。
4.太秦広隆寺(京福嵐山線)・・・「暴れん坊将軍」のテーマ曲が耳に残る。
5.宇多野(京福北野線)・・・洛西の風情あるところ。
6.畝傍御陵前(近鉄橿原線)・・・古代のロマンを感じる。
ケーブルあり、路面電車ありとバラエティに富んでいるが、そろそろ「う」で始まる駅のネタも少なくなってきている。果たして・・・出たのは「5」。宇多野である。
また京都市内ということを考えればこれから行ってもいいのだが、まあ、天気の良い時に訪れることにしよう。
この日は大坂の鬼門、都の鬼門それぞれに建立された寺社を訪れることになった。果たして、魔物除け、厄払いになったことだろうか・・・・?