まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第15回四国八十八所めぐり~オレンジフェリーで四国上陸

2018年02月12日 | 四国八十八ヶ所
2月10日の19時前、ニュートラムのフェリーターミナル駅に到着。外は結構な雨が降っている。駅からフェリーターミナルへの連絡通路は屋根がついているが、隙間から雨が吹き込んでくる。

まずは乗船手続きを行う。申込書には東予港からの連絡バスの利用の有無と行き先を選択するところがあり、今治の欄に○をつける。乗船券と一緒にバスの整理券が渡される、フェリーは定刻では翌朝6時に到着し、連絡バスは6時20分に出発とある。

ロビーでしばらく待つ中、19時30分に乗船開始となる。他の乗船客と連絡通路をぞろぞろと歩く、USJの袋を持った客も目立ち、四国から大阪に遊びに来た帰りなのかなと思う。乗船には一度外の桟橋を歩く必要があり、備え付けの傘を差して乗船口を目指す。乗り込むとまずはエスカレーターに乗り、案内所のあるロビーのフロアに着く。上の階へはホテルのエントランスのような凝った造りの階段が続いている。

今回購入した2等寝台はロビーから1階上にある。1室が8名定員で、2段ベッドが4つ並ぶ。私が指定されたのは幸いにも下段の寝台。寝台のスペースとしては、昔に乗ったことがある向い合せの2段式の寝台列車よりも狭い感じがする。それでも各寝台の照明のところにコンセントが1つあるのは便利だ。まずは荷物を置いてパブリックスペースに向かう。

まずは食事にする。「一期一会」ならぬ「一期幾会」というのをモットーとしているそうだ。レストランはカフェテリア方式で、陳列棚に並ぶものをトレイにとってお会計である。私が行った時はまだガラガラだったが、その後は団体客も来るなどして行列ができていた。瀬戸内航路らしく鯛の造りもある。これはセット料金で宇和島風の鯛めし膳にすることもできるが、とりあえず単品でいただく。またカツオのタタキもあり、鯛とカツオで「瀬戸内対太平洋」という贅沢な共演も可能だ。いずれも船内での食事ということを考えればなかなかの味である。乗り物の中で何か食事を・・となると、やはりこうしたフェリーがもっとも充実していると思う。

何せ、コイン式の生ビールのサーバーまで置かれている。最初の1杯はレジで注文すれば係の人がレジ横のサーバーで注いでくれるが、お替わり、または並ぶのが面倒臭い人はセルフサービスで呑むというもの。

一通り飲み食いした後で、次は入浴。10人くらいが一度に浸かれる浴槽があるが、最初のピークが過ぎた頃だったか、浴室には4~5人ほどがいるくらいだった。まだ出航していないので浴槽の湯が揺れであふれることもなく、ゆったりと浸かることができる。浴室は翌朝までいつでも入れるそうで、さらに事前に申し込めば到着後もしばらくは船内に滞在できるサービスもあり、タイミングが良ければ浴槽の独り占めもできそうだ。今回は到着後20分でバスが出てしまうので、さすがに朝風呂とまではいかないだろうが・・。

入浴後、最上階のフリースペースへ。こちらは窓に沿ってソファーとテーブルが並び、自動演奏のピアノが数々のメロディーを奏でる。乗船して間もなくはガラガラだったが、いつしかソファーが全部埋まる感じになっていた。まだ出航前で寝るには早いが、レストラン以外でフリーに、食べ物を広げたりおしゃべりしながら過ごせるのはここくらいである。寝台や桟敷スペースだと他の乗船客への配慮もあってなかなか難しいだろう。

19時30分の乗船から2時間半が経過した22時、外の景色が少し変わったようである。出航したようだ。どんな感じか甲板に出てみる。幸い雨も小降りになり傘はいらないが、やはり風は冷たく感じる。20人くらいは甲板に出ていたが、風の冷たさに短い時間で船内に戻る。夏の晴れた夜ならともかく、この時季長く外にいられるものでもない。この後に大阪湾から神戸港、さらには明石海峡大橋の景色を見られるのだろうが、遅い時間でそこまで起きるわけにもいかず、早々に船内に戻る。そろそろ寝ようと寝台の部屋に戻ると、8つのうち7つにカーテンがかかっていた。寝台の中の照明が灯っているところもあるのでまだ起きている人もいるのだろうが、すでに高イビキがする寝台もある。私も支度をそこそこに横になる。寝つきは早かったようである。

・・・翌朝、5時前に目が覚める。洗顔等のついでにロビーのフロアや、最上階のフリースペースをのぞく。この時季、外は真っ暗で何も見えない。そんな中で、ソファーで一夜を過ごした客がちらほらと見える。おそらく2等桟敷スペースの客だろうが、見知らぬ人と隣合わせの雑魚寝を嫌ってこうしたスペースに陣取っているのだろうか。中にはソファー横のコンセントにスマホのコードをつなげている客もいたが、この人なぞは最初からここを狙って陣取ったクチだろう。

レストランでは5時半から朝食が用意されている。バイキング形式で、案内所で食券を購入する。5時半というと結構早い時間に思うが、私の場合は通常の出勤日でもその時間に朝食を取っているので、普通に胃袋に収まる。和洋さまざまなメニューがあり、この先のエネルギーになりそうだ。一方、この時間でそこまで食事はできないという客向けには案内所でコーヒーとゆで卵が売られていて、それをレストランの席で食べる人もいる。

6時、外はまだ暗い中で東予港に到着。これまでと全く違う四国への上陸の仕方ということで新鮮な感じがする。順番に下船となり、クルマ以外の客は松山、今治、新居浜各方面の連絡バスに向かう。私の乗る今治行きは観光タイプのバス1台が停まっていて、席の半分くらいが埋まったところで出発する。このバスは今治駅や今治桟橋までノンストップというわけではなく通常の路線バスの便の一つとして運転されるようで、途中の小さな停留所ごとにアナウンスが流れる。そして、いくつかの停留所で降車ボタンが押される。この人たちはそれこそ大阪からの帰りにフェリーを利用した感じだろう。

外が少しずつ明るくなり、今治の中心部に入ってきた。7時すぎに今治駅に到着。バスはこの後今治桟橋から今治営業所に向かうが、ほとんどの客がここで下車する。

さて、11日は今治市内の札所めぐりの第2弾である。駅を起点として、56番の泰山寺に始まり、以下、57番栄福寺、58番仙遊寺、そして59番国分寺を回る。宿泊は今治市内である。今回は札所以外にも訪ねてみようというスポットもあるのだが、まずは国分寺まで行ったところでどう動くかを決めることにする・・・。
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第15回四国八十八所めぐり~大阪からオレンジフェリーにてアクセス

2018年02月11日 | 四国八十八ヶ所
四国八十八所めぐり、区切りのぶつ切りでシリーズ第15回である。今回のターゲットは、今治市内の6ヶ所のうち、前回12月に訪ねた延命寺、南光坊の次となる4ヶ所である。第56番の泰山寺以下、栄福寺、仙遊寺、国分寺と回る。

これらの札所は徒歩でも1日で十分回れると思う。そこで、今治駅を朝に出発して夕方に戻ってくる行程を考える。ただ今治で丸1日なら、前後も休日でないと厳しい。ということで、2月の建国記念の日の連休に予定を入れる。前回の四国めぐりから2ヶ月近く開いたが、3月4月になかなか予定がつかないので、ここで行くことにする。

今治にはどうやって行くか。新幹線で岡山に出て、瀬戸大橋から予讃線に向かう特急に乗り換えるのがもっともスムーズだろう。また、前に乗って感じたが、福山まで行って高速バスに乗るのも案外早く着く。こちらはしまなみ海道をフルに通るコースである。また、安く行くなら阪神と瀬戸内運輸が運行する大阪~今治の高速バスがある。ちなみに今治までは6時間の長丁場だが・・(所要時間で比べるなら、今治よりさらに西の松山に行くバスのほうが短い)。

そんな中、「大阪から海路で四国に行けないか」と思った。現在は、和歌山~徳島、神戸~高松という便があるが、長く乗船するとなると、大阪南港~東予港を夜行で結ぶオレンジフェリーとなる。以前は松山行きのさんふらわあもあったと思うが、本四連絡橋や四国の高速道路が整備される中、フェリーの活躍の場が減っている事実がある。少し前まで当たり前に運航していた宇高国道フェリーもなくなったほどである。

今回、フェリーでゆったりもしたいし、これまでになかった手段で四国にアプローチしてみようと思う。オレンジフェリーには昔に東予港から大阪南港まで一度だけ乗船したことがあるが、大阪からは初めてである。東予港からは松山、今治、新居浜に無料の連絡バスが出ていて、中予から東予を結ぶことができる。今回は大阪南港から乗船して、東予港から今治駅まで出ることにする。これだと朝の7時すぎには今治に着くことができる。今治へは夜行バスが出ていて早く着くのだが、居住性では夜行バスよりはフェリーのほうが快適だろう。今回は2月10日の夜に南港から乗船、11日に今治の札所を回ることにして、2等寝台を予約する。6960円とは2等の雑魚寝シートより1000円高いが、それだけの価値はあると思う。また、出港は22時だが、平日は20時、土日の便は19時30分から乗船できるとある。車両、特にトラックの積み込みに時間を要することもあるのだろうが、オレンジフェリーとしては早くに乗船してレストランでの食事や入浴を楽しんでもらおうというものだ。これも他の交通手段との差別化だろう。私も、今回の札所めぐりは寺そのものと同じく、このフェリーが楽しみである。

後は気になるのが天気。さすがに今治では雪は降らないだろうが、10日の大阪は結構な雨。この雨雲が今後どうなるか。それを少し気にしながら、夕方になって地下鉄にて住之江公園、さらにニュートラムでフェリーターミナル駅に向かう・・・。
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第28番「成相寺」~西国三十三所めぐり2巡目・20(宮豊線を楽しむ)

2018年02月10日 | 西国三十三所
成相寺の参詣を終えて、ケーブルカーで降りてきた。時刻は12時すぎ、まずは昼食としよう。ケーブルカー乗り場の近くにある松井物産に入る。ついでに土産物も買うことに。

事前予約であれば松葉ガニのついた特別料理があるそうだが、出かけようと決めたのが前日のことだし、事前に店をチェックしていたわけではない。メニューで出ているものを見る限りでは普通のうどんやラーメン、海鮮丼といったところだが、その中のブリしゃぶに目が留まる。ブリしゃぶは丹後の天橋立、伊根が発祥の料理ということで、冬のおすすめメニューだという。また、鯛とイカの刺身、さらに松葉ガニの半身がセットになった御膳である。こちらをいただく。

まあ、カニのほうはごく小ぶりの茹でガニで、身もほっそりしたものだが、それでもカニはカニである。シーズンでもカニを食べる機会というのはそうあるものではないから、味噌の部分も含めて美味しくいただく。

ここではカニよりも寒ブリのほうが印象的だった。身が厚く切られていて歯ごたえもある。刺身にしてよし、ブリしゃぶも、少し長めに鍋に浸したほうが全体が温まってよい感じだった。参詣も終えたことだし、こうしたものが目の前にあるとビールが進む。

これからどうするか。伊根に向かってもいいし、もう少しゆっくりしてもいい。ただここで選んだのは、再び遊覧船で天橋立駅に戻ること。もう少し乗り鉄を楽しむことにする。向かうのは、京都丹後鉄道の宮豊線の終点・豊岡である。

13時33分発の快速丹後路で豊岡を目指す。この列車、福知山から特急たんごリレー3号として運転された「丹後の海」車両で、天橋立からは快速となる。今回の成相寺の参詣の記事で、「1月に京都丹後鉄道に乗って大雪で危うく帰れないところだった」と書いているのだが、その時往路に乗って来たのがこのたんごリレー3号だった。この時は宮津に着いたところでみるみる雪の量が増えた。ただ6日は青空の下を走る。車内が空いていることもあり、先頭のフリースペースに陣取る。ここからだと前方の景色を見ることもできる。

かつて加悦鉄道が走っていた与謝野、京丹後大宮を過ぎ、峰山に近づく。

1月のことを思い出す。ここは列車交換が可能な駅で線路のポイントがあるのだが、そのポイントが凍結してしまったために、乗っていた列車が手前でストップしてしまった。峰山で降りるために上着を着てデッキに立っていたのだが、駅の手前で動かなくなったので再び客席に戻り、運転再開を待つ。待つ間にも雪が降り続いたが、1月には新潟で列車が一晩立ち往生したトラブルがあったばかり。まあ、ここから駅の手前だし、すぐ横には民家も国道もあってクルマは普通に走っていたから、いざとなれば降ろしてはもらえるのだろうが・・などと考えていたが、同行していた上司は「どっかで泊まること考えた方がええんとちゃうか?」とスマホで宿の検索をしていた。

その時は復旧作業が進み、1時間停まったところで峰山駅に到着。やれやれと下車してタクシーを呼んで目的地に向かい、除雪車が出動したり沿道の人たちが歩道の雪かきをしているのを見る。所用を済ませて駅に戻って来たのだが、駅の券売機には「本日の列車は運転とりやめ」の貼り紙があった。思わず「えっ?」となったが、たまたま窓口にいた係の人が、「最後の一本が網野から峰山に向かっている」と声をかけてくれた。先ほど乗った車両は豊岡まで行かずに網野で運転を取り止め、宮津まで引き返すとのこと。これで宮津まで出ると、福知山までの宮福線は動いていたのでそのまま遅ればせながら大阪まで戻ることができた。その日は宮豊線、宮舞線は運休と言うことになり、もし峰山の出先から戻るのが10分遅れていたら、完全にアウトだった。もしそうなったらどうしていただろうか。

・・・そんなことを思い出したりしながら、この日は雪もほとんどない峰山駅では普通に列車交換してそのまま発車した。これも繰り返しになるが、この6日は福井、石川で豪雪となり、在来線鉄道は全面運休、国道でもクルマが立ち往生した日である。この冬が異常気象なのだろうが、冬の旅ではこうしたリスクはつきものであると、改めて感じたところである。

列車は内陸部を走る。天橋立に比べれば積雪量は多いが、降るということはなかった。太陽の照り返しがまぶしく感じるくらいである。トラブルが起こることもなく、のんびりした特急車両の旅が続き、京都府から兵庫県に入る。14時37分、豊岡に到着。

私の旅の好みとしては、なるべく「循環ルート」を取りたいところで、帰りはJRに乗って帰ることを考えていたが、せっかく天橋立、京都丹後鉄道のフリーきっぷを持っているのである。宮豊線に乗ることもなかなかないだろうからと、復路も同じ車両に乗ることにした。

こちらは網野まで普通列車、網野からは特急たんごリレー6号として運転される。先ほどと同じ景色であるがそれも楽しみ、網野まで戻る。宮津までは網野始発の普通列車が先行するが、結局福知山へはたんごリレー6号で着くことになるためそのまま乗っておく。

さてこれで西国2巡目も20ヶ所に到達した。2巡目はゆったりペースでもう2年を過ぎているが、1300年の記念行事はまだまだ続く。鉄道の旅、周辺の観光と合わせて引き続き楽しみたいところである・・・。
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第28番「成相寺」~西国三十三所めぐり2巡目・20(青空と雪の寺)

2018年02月09日 | 西国三十三所
天橋立を眼下に望む成相寺。この寺には今昔物語でも紹介されている「身代わり観音」の伝説がある。

この寺で修行をしていた僧が、冬になって食べ物がなくなり、深い雪のために里にも出られなくなった。本尊の観音に「今日を生きるだけの食べ物を施してください」と念じたところ、境内に狼に追われた鹿が入って来て死んだ。仏に仕える身として殺生はいけないとわかってはいるが、ただ明日へ生きるためにはどうしても耐えられない。鹿の脚の肉を刀で切り取り、鍋で煮て食べた。

僧の様子を心配してやって来た里の人たちは、鍋に木片があるのを見つける。そして、本尊の観音像の脚の部分が切り取られているのを見る。仏様を煮て食べたのかと里の人が問い詰めたことで、僧は「鹿が出てきたのは観音様が身代わりになったのか」と知る。その木片を観音像に当てるとぴったりで、そして元の姿に戻った。これを見て里の人も感激し、いつしか成合(成相)寺とよぶようになったという。

由来について長々書いたのは、今回成相寺を訪ねたのが雪の時季で、当日6日は青空が広がっていたが、伝説の舞台はこうした雪の中だったんだろうなという思いを馳せることにある。

さて現在の成相寺は車道がついていてクルマで直接アクセスできるが、結構急な勾配である。果たしてこの時季上がれるのか。除雪はしているだろうが、道に不慣れなら行かないほうがいいかもしれない。公共交通機関なら傘松公園までケーブルカーで上がり、登山バスとなる。ただ、この日は路面凍結のため運休とのことだった。

さてどうするか。ここまで来たからには無茶だが行ってみたい。凍結で無理ならそこで引き返すことにして、坂道を歩き始める。寺までは1~2キロの距離だが、ここは登山バスや関係車両しか入れないから他のクルマを気にすることはない。

日向では路面が乾いたところもあるが、日陰に入ると路面が真っ白である。その中で、なるべく凍ってなさそうなところを選ぶと先に進むことができる。少し歩いたところで、前からミニ重機がやって来た。道端に避けて通過を待つ。路面の凍結部分の氷を踏み潰すように走る。さらにその後ろに登山バスが続く。あれ、運休ではなかったか。

栗田半島や、沖合いの冠島、沓島という景色も見られる中で歩き、汗すら出てきたところで20分ほどで成相寺の山門に着く。ここで仁王像を見るが、山門の周りは吹きだまりのようになっていた。ただここまで来れば本堂は近い。

最後は石段である。人一人が通れるだけの幅がきちんと除雪されているのに感心する。

本堂の前には雪がうず高く積まれているが、正面はきちんと除雪されている。本当にひどい時はどうしようもないのだろうが、このくらいの雪なら除雪して参詣の人たちを受け入れようという、寺の姿勢なのだろう。

手水場はさすがに凍結がひどく、水はあるが柄杓が氷で固まっている。行儀悪いが直接手で水をすくって洗う。

本堂に入る。こんな日で、さすがに参詣者が供えるろうそくや線香の姿はなかったが、外陣、内陣の灯りはついているし、本堂の中の納経所もガラス戸は閉まっているが中で一人じっと待っている。寺のほうではこんな雪の中でも訪ねてくる参詣者のために最大限の受け入れ準備をしているのだなと思う。もちろん成相寺単独ではなく、傘松公園や、登山バスを運行する丹後海陸交通もいろいろバックアップしてのことだろうが、改めて感心する。

お勤めをして、内陣を拝観した後に納経所のガラス戸を開ける。若い女性の方だったが、この雪にどうということもなく、ごく普通の対応である。登山バスが運休の中で歩いたからといって「すごいですね~」というわけでもなく、かと言って呆れるわけでもなく、普通に墨書、押印して「入山料も一緒にいただきますね」とごく普通に対応した。朱印300円、カラー御影200円に加えて、成合の入山料500円で合計1000円ちょうどだった。こんな日に参詣者がどのくらいいるかわからないが、寺としては「平常運転」というところだろう。

この上に天橋立の展望台への遊歩道があるのだが、さすがにこちらは雪で埋もれている。足跡があるので踏み入れると、くるぶしは完全に覆われる。この先行けないこともないのだろうが、雪中行軍をするとなるとためらわれる。展望台はあきらめて引き返す。

そろそろ下山しようと引き返すと、ちょうど登山バスが方向転換するところ。助手の人が道の雪を払ったり、凍ったところをガリガリと削っている。バス停に向かうと扉が開いたので乗れるか尋ねると、まだ試運転中だという。

それなら仕方ないなと歩いて下りることにして、山門の前を過ぎる。後ろからバスが来たので先に行ってもらおうと道端に避けると私の前で停まり、「乗りますか?この次の12時から動くことになりました。お金はいいです」と声がかかる。これは観音様の思し召しかとありがたく乗せていただく。傘松公園に戻ると運転手が係員に「12時から行くで」と言う。まあ平日だし、観光客、参詣者は午後から増えるのだろうからこれで十分なのだろう。

これで成相寺参詣を終え、そのままケーブルカーで下りる。ちょうど昼で、さてこの後はどうするか・・・。
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第28番「成相寺」~西国三十三所めぐり2巡目・20(冬の天橋立に行ってみないか)

2018年02月07日 | 西国三十三所
先の記事でもこの冬の寒波のことにも触れたのだが、2月6日は北陸に大量の雪が降り、特に福井、石川両県の鉄道が全面運休となった。中には6日の時点で翌日7日の運休も決めた路線もある。普段の通勤通学もそうだが(学校は休みにするのだろうが)、大学入試などは大変なのではないかと思う。また道路のほうでも1500台が一晩中立ち往生したともあった。物流にも支障が出ている。改めて、雪国というのは厳しいと感じる。

そんな中でタイトルに「西国28番 成相寺」などと書いているのは何だろうか。成相寺は天橋立を展望する笠松公園の上にある寺だが、6日は京都北部も大雪の予報である。わざわざその中を行くのかという話である。

先の週末に出勤したぶんの振替休日を6日に取った。スケジュール上その日しかなかったのだが、これをどう使おうかと考えた中で、あえて冬の厳しい時季の成相寺を思いついた。先月、仕事で丹後に来た時に雪のために危うく帰ることができなかったことがあったというのに、そこは寒さを味わおうというところだ。西国めぐりの中で雨に遭ったことはあるが、雪というのは滋賀の岩間寺だけ。成相寺は1巡目では夏だったので、冬の雪景色というか、厳しい自然の中にあるというのも見ておいたほうがよいだろう。

・・・とまあ長々と書いているが、つまりは振替休日の鉄道旅行をしようというものである。天橋立という日本三景、メジャーな場所に行くのだから少しでも休日の混雑を避けることもある。朝の列車でまずは天橋立を目指し、成相寺に向かう。その後どう動くかは状況次第で、大雪で列車の運休が出るなどの場合は途中でも断念して引き返すことにする。

朝の6時、大阪から篠山口行きの列車に乗る。前回1巡目で成相寺を訪ねた時も平日の振替休日で、早朝の列車に乗った。福知山線の特急こうのとりは、大阪からの最初の便でも8時台とゆったりしており、早い時間に福知山や豊岡、城崎温泉を目指すなら早朝の鈍行、快速に乗ることになる。

宝塚や三田で乗り降りがある中で、私は早朝に自宅を出たこともありウトウトする。7時23分に篠山口に着いたところでようやくシャキッとする。4分接続の福知山行きは2両編成。

さて、これから目指す宮津から天橋立にかけては雪雲がデンと居座っているのだろうが、ここまで雲がほとんどない晴天が広がる。しかし油断はできない。先月丹後に行った時も、福知山まではよく晴れていて、雪など全くなかった。その時は宮津から強い雪が降り、目的地の峰山の手前で1時間立ち往生した。それでその後運休に巻き込まれることになったわけで・・・(その時の動きだけでブログ記事1本書けるくらいだ)。

福知山に到着。よく晴れているし、日陰には少し雪があるものの、普段の生活には影響なさそうな感じである。地元の人たちもホッとしているのではないだろうか。

ここで京都丹後鉄道に乗り換える。天橋立のフリーきっぷを窓口で買う。3090円とは一見高く感じるが、京都丹後鉄道全線乗り放題で、自由席なら特急にも乗れる。また天橋立の路線バス、遊覧船、笠松公園へのケーブルカー、成相寺への登山バスが乗り放題で、十分元は取れる。京都丹後鉄道で特急料金を気にしないのは大きい。

福知山のホームで待つのは特急たんごリレー号で、その名も「丹後の海」車両。車両は以前から走っていたものだが、水戸岡鋭治さんのデザインにて木目調の、フリースペースつきの内装に生まれ変わったものである。こう書いては失礼かもしれないが、全国の列車の内装をプロデュースする水戸岡さんにしてみれば、「丹後の海」なんかは朝飯前にデザインするんだろうなと思う(朝飯前にされる程度というのは、鉄道会社から見れば失礼だろうが)。

京都方面からの乗り継ぎもあり、観光客とビジネス客が混じる中で発車する。新しく開通した第三セクター線らしく高架区間が多いところで快走する。大江に停車しても晴れていたが、この先はどうか。

・・・旧国なら丹波から丹後に移った。トンネルも越えた。沿線には雪景色で、民家も屋根に雪を乗せているが、青空は変わらない。丹後でも青空とは事前の天気予報からすれば意外だが、地元の人たちはホッとしていることだろう。その先に雪雲が広がる様子もなく、これはこのまま大雪に遭うことなく行けるかなという感じがしてきた。この時に、福井や石川が大変なことになっているとは全く思っていなかった。「京都の天気予報外れたやん」ということしか感じていなかった。一夜が過ぎて、丹後が晴れていたのはたまたま雪雲が少し北を通過していっただけのことだったと思う。

9時30分に天橋立で下車する。対岸の笠松公園、そして成相寺を目指す。前回は天橋立の松林、砂州を歩いたのだが、今回はまず船で対岸を目指す。10時の出航までの時間は智恩寺へのお参りである。

智恩寺は日本三文殊の一つであるというのは多くの方が認めている。ここと奈良桜井の安倍文殊院は日本三文殊に含まれるが、三つ目がいろいろ説が分かれているようだ。四国八十八所めぐりで高知の竹林寺を訪ねた時、そこで日本三文殊というのがデカデカと書かれていたのを覚えている。ただそんな中でも智恩寺は(天橋立のお陰もあってか)揺るぎない地位のようだ。

境内に雪が残っていたり、手水に氷が張っている。ここは本堂で手を合わせる。

本堂の縁側には猫もたむろっている。この場所が暖かいんだろうなあ。

智恩寺を抜けて船着き場に向かう。10時発の便は宮津から来るそうで、砂州の付け根の橋が回旋して船がやって来る。先に乗っているのは大陸からの家族旅行が一組で、智恩寺から乗るのは私だけである。周りはうっすら雪化粧で、風は少しあるものの波は穏やかで、真冬の日本海とは思えない感じだ。のんきにかっぱえびせんをカモメやトンビにやりながら渡っていく。

丹後の一ノ宮である籠神社にもお参りして、脇道からケーブルカー乗り場に向かう。その道は雪が積もるというよりは積もった雪が氷状になっていて、沿道の人たちがガリガリ削っていた。凍っているぶん滑りやすくなっていて、気をつけるよう言われる。こちらこそ、地元の人たちの苦労にアタマガ下がる。

ケーブルカーに乗るのは4分間だが、高度が上がるに連れてあの形がはっきり見えてくる。

そして股のぞきの笠松公園に着く。天気予報から雲や雪で覆われたモノトーンの景色を想像していたのだが、まさかこんな青空の風景を見ることになるとは思わなかった。これは何の巡り合わせだろうかと考えてしまう。

そして、この上にある成相寺をそのまま目指すことに・・・。
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今年は何試合くらい観戦かな

2018年02月05日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
「史上最強」が今年だけで何回来るねん、という感じの冬の寒さである。特に日本海側の雪は例年の倍以上の地域もあり、私も先日仕事で丹後半島に出かけたが、雪によるポイント凍結で列車が1時間立ち往生したり、その後順次運休となって危うく帰れなくなるところだったりということがあった。

そんな中ではあるが、プロ野球のキャンプも始まっている。今年はスポーツが大相撲の騒動やら平昌五輪の話題が増えるからそれほど大きくも取り上げられていないようだが、その中で目立つ選手が中日にテスト入団した松坂投手だろう。ブルペンに入った、打撃練習でホームランを放ったとかで、中日の選手が全国ニュースで連日取り上げられるのもなかなかないのではと思う。本当に試合で投球が見られるのかどうかはわからないが、年俸1500万円というのを考えれば、ここまでは広告宣伝費としてペイできているのかな。以前の試合をナマで観たことがある者としては、往年の剛球は難しいとしても、打者に真っ向から向かっていく姿をもう一度見てみたいと思う。

さて、今季のオープン戦、公式戦の日程が出たところで、どの日に観戦に行こうかあれこれ考える。あくまでバファローズの試合として見ると、先ほど出た松坂の中日とは・・名古屋で平日である。まあ、これは1軍の交流戦の話で、松坂が出るのはナゴヤ球場の2軍の試合・・かもしれない。これなら土日試合もあるだろう。またカープ戦となると大阪だがこちらも平日の試合。ちょっと厳しいかな。土日ならDeNA戦が面白いかな。

これとは別に、独立リーグの日程も気になるが、こちらはまだまだ先にならないと日程が出ない。BCリーグなら関西の滋賀や、近いところで福井、石川には行きたい。また、四国八十八所めぐりと四国アイランドリーグ観戦の組み合わせは今年もやりたい。札所は現在今治まで進んでいて、今月今治シリーズをやるので、春先には東予地方に行っているはずだ。うまく行けば愛媛、そして夏場には香川の試合が観られるかもしれない。

まあそれはいいとして、今年こそは10月の終わりまでバファローズの試合が観られることを期待したいし、ポストシーズンのチケットが取れるのかどうかの心配をしてみたいものである・・・。

(余談)
話は少し遡り、この年始に、ファンクラブにて「お年玉プレゼント」の募集をしていた。ふと応募してそのままにしていると、1月下旬にオリックス球団から荷物が届いた。ファンクラブの入会特典には早いなと思いつつ開封すると、1軍に出場するある選手のサイン色紙が入っていた。これにはびっくり。サインの右上には「優勝」の文字があった。2014年、あと少しのところでそれを逃した悔しさをモロに感じている選手だけに、自分のためにも実現してほしい。応援します・・・。
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相撲協会理事選挙で一段落するのかな?

2018年02月02日 | ブログ
3月の大相撲大阪場所のチケットの先行抽選発売というのにエントリーしていたのだが、結果は見事に落選。元々何席くらい設定されていて、競争率がどれくらいだったかはわからないが、相撲の人気は(地方場所ということもあり)まだまだ続くようである。2月4日が一般発売開始だが、果たして取ることはできるのだろうか。

さて、大相撲といえば2日に理事選挙が行われ、貴乃花親方だけが落選ということになった。事前の予想でもこうなる可能性が高いとされていて、協会側、貴乃花親方側双方とも想定の範囲内だろう。このまましばらくは一段落というところではないだろうか。

それにしても、昨年九州場所中に発覚した日馬富士の貴ノ岩への暴行に端を発して、貴乃花親方の対応、白鵬の横綱としての「品格」、立行司のセクハラ、大砂嵐の無免許運転、春日野部屋の元力士の暴行、他にも何があったっけ・・・と、大相撲もワイドショーにネタを提供し続けている。いろんな人がいろんなことを言うのにもウンザリだ。一方で初場所の土俵はといえば、ケガからの復活で見事に初優勝した栃ノ心は立派だとしても、上位陣が休場や連敗と何だか締まらない感じだった。春場所はもう少し熱の入った優勝争いをしてほしい。

・・・と、元力士たちが運営していることが今や批判の対象になりつつある大相撲だが、こういう話になると私が思い出すのは、プロ野球の名監督として知られる三原脩のエピソード。

プロ野球機構も昔から頓珍漢な施策を出してくることがあり、その機構の人間もどこかから出向してきたとか、野球のことをよく知らないとか言われることがある。その中で三原脩は「現場のことがわかっている人たちが組織を運営すべき」として、元力士が自ら運営する日本相撲協会を理想としていたそうである。自身は日本ハムの球団社長となり、その理想に近づこうとしたもののなかなか思うようには行かなかった。今は元選手がGM職などの肩書きで現場とフロントの橋渡しをするところも増えているが、球団経営となるとまだまだそこまで行かないようだ。

野球と相撲という背景の違うことで一概に言えないが、もし三原脩が今の相撲協会のゴタゴタを見たらどういう感想を持つだろうか。また、野球や相撲だけでなく、一般の会社にも当てはまることだと思う。組織の運営はどういった人たちで構成するのがよいか、結構難しいテーマではないだろうか・・・。
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第11番「鏑射寺」~近畿三十六不動めぐり11(武田尾廃線歩き)

2018年02月01日 | 近畿三十六不動
鏑射寺最寄り駅の道場から各停で1駅、武田尾に到着。駅ホームの半分以上がトンネルの中で、ホームの先のほうが武庫川にかかる橋の上である。「秘境駅」の名を世に広めた牛山隆信さんのサイト「秘境駅へ行こう!」によると、武田尾は全国の秘境駅ランキング第196位という位置付け。まあ、日中でも列車は15分に一本あるし、駅から路線バスの便もあるから、秘境駅ランキングとしては微妙な位置付けなのかもしれないが、普通に町の通勤電車に乗る者からすれば周りには何もないところ。何でこんなところに駅があるねん、という感じである。

この駅に降りたのは、帰りに福知山線の廃線跡を歩いてみようということからだ。現在は福知山、さらにはその先の城崎温泉まで電化され、途中の篠山口まで複線化、さらにはJR東西線の開通により関西のJRの近郊区間の一端を担う福知山線だが(塚口~尼崎間での列車脱線事故は今でも痛ましい記憶として残っているが)、元々は大阪と山陰線を結ぶといいつつも武庫川沿いに細々と走る線だった。1986年に複線電化されたのにともない元の線は廃止となったが、その時私はまだ中学1年生で、JR乗りつぶしに目覚めたばかりの頃だった。福知山線に初めて乗ったのは新線のほうで、旧線は乗ることがなかった。

その廃線は立入禁止であるが、武庫川の渓谷の景色がよく、またトンネルや鉄橋の跡を通るスリルがあるということで、ハイキングコースとして多くの人が訪ねることになった。JRや自治体としても建前上は立入禁止としつつも、実態は黙認状態、何かあれば自己責任というスタンスだった。

それが、2016年に廃線跡の整備や安全対策を行い、公認の?ハイキングコースとして、生瀬~武田尾ルートの出入りが自由になった。あくまで自己責任というスタンスだが、西宮、宝塚の新たな観光スポットにしようということだろう。私もこの機会に初めて足を踏み入れてみる。ハイキングなら桜や紅葉の時季がいいのだろうが、真冬というのも面白いだろう。

大阪、宝塚方面から来る人が多いことから、ハイキングコースは生瀬、または西宮名塩がスタート地点となっているが、今回は道場から来たこともあり、武田尾から行くことにする。時刻は12時過ぎ、鉄橋の下の駅前でおにぎりの昼食としてまずしばらく歩く。駅の周りは、武田尾温泉と廃線跡をセットとした観光、レジャーのポイントにしようということか、広場の整理など工事が行われている。駐車場も結構な台数分あるがこれは月極め契約用だ。周りに住宅地が広がるわけでもないが結構埋まっていて、どういう人が利用するのかと思う。

廃線跡ハイキングの入口に差し掛かる。ここからの4.7キロがハイキングコースとして旧線の上を歩く。線路はとっくの昔に剥がされたが、枕木は朽ちたものはあるがその形を止めているのも多い。歩幅を取るのが案外難しい中、昔の姿を想像しながら歩く。旧線の頃は城崎から鳥取方面へのディーゼル特急が走っていたそうだし、ディーゼル機関車が客車を引っ張っていたそうだ。私ももう10年早く生まれていれば、そうした汽車旅を楽しむことができただろう。

右手に広がる武庫川の渓谷も、対岸に道路がないためか自然が残されている印象である。線路は川ぎりぎりに敷かれていたようで、低いフェンスから下を覗き込むと結構スリルがある。

トンネルに差し掛かる。コース上には6つのトンネルがある。トンネル内は照明がない旨の看板があり、ここからは懐中電灯が必須となる。リュックの中から取り出して足元を照らす。ここにも枕木が残っている箇所があり、よく見ないとつまずいてしまう。

今は何も咲いていないが、道沿いにはさまざまな木も植えられているし、親水公園や「桜の園」というのも整備されている。こうしたところがちょっとした休憩ポイントになっている。また、川の眺めのよいところには枕木を再利用したベンチもある。ちょっと座るのは寒そうだが、昼食を取るグループもいる。

3つ目のトンネルに入る。この長尾山第1トンネルは300メートルと、ここまでの2つより長い。真ん中の辺りは前後からの光も届かず、懐中電灯だけが頼りだ。ここで電池が切れたらえらいことだが、予備の電池はリュックに入れてきたよな・・よし、ちゃんとある。

トンネルの向こうに錆び付いた鉄橋が見える。第2武庫川橋梁で、ここで武庫川が左手に移る。この橋梁も以前は立入禁止で、こっそり来ていた人たちは横の作業用通路を渡っていたという。コース整備で新たに真ん中に木の橋を渡していて、安心して渡ることができる。廃線跡で鉄橋をこのように整備したところはなかなかないのでは。鉄橋を渡り終えるとすぐにトンネルに入るのは実際の乗り鉄旅ではよくある車窓だが、それを生身で体験するとは面白い。

鉄道は元々極端な急勾配に敷かれないので、先ほど鏑射寺までの坂道を上り下りしたことを思えば平坦なコースである。途中、子どもたちの団体や親子連れとも結構すれ違ったが、距離はそこそこあるがそれほどしんどくないのではと思う。トンネルの暗闇もスリルある探検気分ではないだろうか。

この辺りは急流で滝ができていたり、対岸に巨大な岩がそびえる。当然、人家などはない。最初にここに鉄道を敷こうと工事に携わった人たちはかなりの苦労があったのではないかと思う。

そして、この区間最長の413メートルの北山第2トンネルに入る。この距離だと、途中で完全な闇となる。ちょっと止まり、わざと懐中電灯を消してみる。当然周りは何も見えない。また、ここまで暗闇だと目が慣れる気配もない。何だか「修行」の気分である。普段の生活だと夜といっても町中は何かしらの灯りが煌々と照らしているし、田舎の山の中でも月明かり、星明かりはある。本当の暗闇というのには滅多に出会わない中で、こんなところがあったのかとうなるばかりだ。

まあ、そんな「修行」も長く持たず、すぐに懐中電灯をつける。そして再び歩くうちに少しずつ前方が明るくなってきた。トンネルを抜けると粉雪である。まあ、雪だからまだよかった。雨だと傘を差さなければならないが、雨の中で廃線跡を歩こうとまでは思わない。この日の歩きも、道場や武田尾で雨が降っていれば取り止めにしたと思う。

最後に319メートルの北山トンネルを抜けて、廃線跡歩きも終盤である。前方に中国自動車道の高架が見えてきて、武庫川の対岸にも住宅地が見えてきた。武田尾駅からほぼ休憩なしで歩いたからか、1時間半ほどで生瀬側のスタート地点に到着した。

この後は国道176号線を歩く。車道はひっきりなしにクルマが行き交うし、一応歩道はあるが狭い。粉雪が舞う中、1キロあまりで生瀬駅に着いた。

廃線跡、そして前後の武田尾、生瀬の両駅への道を合わせると7キロほどのコースだったが、武庫川の流れを中心に歩きを楽しめるコースというのを実感した。なるほどこれなら以前から闇で歩いてみようという人が多かったのもわかるし、JRや自治体も後追いながら一般に開放したハイキングコースとしたのもうなずける。同じような年代に複線電化で新線付け替えとなったのが山陰線(JR嵯峨野線)で、こちらは旧線にトロッコ列車を走らせて人気だが、生瀬~武田尾の旧線を公開のハイキングコースにしたのも楽しみ方の提供である。

大阪、宝塚側の玄関口である生瀬駅には「廃線敷」コースのパンフレットもあれば、窓口では無人駅の武田尾から帰る人のために武田尾発の乗車券も発売するとある。桜や紅葉の時季は両駅ともごった返すのだろう。

この後は生瀬から宝塚に出て、快速に乗り継いで大阪に戻る。鏑射寺に廃線跡、大阪から比較的近いところでこうしたスポットを楽しめたのは新たな発見で、実のある一時であった・・・。
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