松尾寺駅からいよいよ寺への往復である。3キロほどの道のりで、次の敦賀方面の列車は2時間半後の13時46分発。駅から寺までは徒歩50分とあり、特に何事もなければ間に合うだろうし、寺での時間もそれなりに取れそうだ。
木造の駅舎は昔ながらの造りで、もちろん無人駅。かつての駅務室のスペースは集会所として使われるのか、会議用の机と椅子が並ぶ。
駅にこのような張り紙が2枚あった。駅にトイレの設備はあるものの、集会での利用時や工事の際の関係者用として普段は使用できないとある。私は先ほど西舞鶴で済ませたばかりだからいいが、松尾寺駅まで普通に列車を乗り継ぎ、駅でトイレを済ませてから寺に向けて歩こうか・・という人には厳しいだろう。まあ、無人駅で駅舎すらないとか、路線バスでやって来るのと変わらないが、近くにコンビニがあるわけでもなく(昔は国道から山道への分岐のところにあったそうだが)、張り紙では近所の民家にトイレを借りるのも迷惑と書かれているのを見ると、どないしたらええねんと怒る客もいることだろう。事実、張り紙の1枚には抗議の落書きがいくつもあった。ホームの上で用を足すぞという内容もある。元からないのならまだしも、あるのに使えないということに腹を立てている感じがする。
まあ、これは仕方ないのかな。松尾寺に徒歩で訪ねる人が多ければ何らかの手は打つのだろうが、わずかな人数ではね。これは西舞鶴、東舞鶴の駅、あるいは小浜線の車内であらかじめ済ませて・・・と気を付けるしかない。
トイレのことを書いている間に、同じ列車から降りた人たちはとっくに先に向かっている。私も寺に向けて歩き始める。徒歩であれば駅の南の国道27号線には行かず、少し東に歩いて線路の下をくぐり、集落の細道を行く。近畿自然歩道もこのルートをとっている。しばらくすると未舗装となる。轍があるのでクルマも通れるのだろうが、周りの田畑の作業用の位置付けらしく、クルマは入れない。前方に一人、さらに前方大きく離れて一人が歩いている。
田畑の中を進み、松尾寺に続く車道に合流する。前方に見える山の中腹に松尾寺がある。案外近いのかなと感じる。途中で前を歩いていたうちの一人を追い越す。
ここから勾配が急になるところで、直進すれば未舗装の道がある。西国古道ウォーキングを薦める団体による道しるべがあるが、確か途中で崩れているところがあったような。通行禁止とは出ていないが、ここは車道をそのまま上ることにする。近畿自然歩道は車道ルートをとっている。確かに勾配は急だが、これまでの札所めぐりの中でもこのような上りは何ヵ所か経験している。少し休みながらも、急な区間は15分ほどだ。そしてふと前を見ると、あれ、先ほど追い越したはずの人が前を歩いている。この人は西国古道の山道をそのまま歩いたのだろう。そのほうが結構近道になるのかな。西国の場合、四国とは異なり徒歩で回る人などめったにおらず、そのためにこうした徒歩道に関する案内はほとんどない。
駅から40分ほどで山門の下の石段に着き、最後の上りとなる。ともかく松尾寺に到着だ。山門の仁王像がパネルなのはともかくとして、境内に入る。一応、ここにも桜の木がある。山の中だからかこの日はまだ満開ではなかったが、春の雰囲気は十分である。それどころか、歩いて来たこともあり少々暑いなとも感じる。
正面の本堂に向かう。中から「どうぞ上がって中でお参りください」と声がかかり、靴を脱いで外陣に入る。正面には馬頭観音のお前立ちの像がある。松尾寺は西国三十三所で唯一馬頭観音を本尊としており、家畜の供養、交通安全(昔は馬が貴重な交通手段だったことから)、果ては競馬が当たりますようにというところまで受け持っている。もちろん、寺としては一般的な病気平癒や心願成就のご利益もあるとしている。
こちらで一通りのお勤めを行い、山門を出て右手の本坊で先達用納経帳に朱印をいただく。先日総持寺にて、掛け軸に替わる新たな取り組みである額縁用の台紙と各札所の八角形の用紙をいただいたが、この2巡目では出さず、これまで通りカラーの本尊御影を買い求めるにとどめる。それは、いつかまた3巡目を行うということを意味する・・のかな?
納経所にて、宝物殿の見学を申し出る。筆を片手に係の人が奥に「宝物殿お願いします」と声をかけると、奥から係の女性が出てきた。普段鍵をかけているようで、「準備しますんで、どうぞおいでください」と言われるが、こういう時に限って巻物の納経軸を片付けるのに手間がかかる。
山門をくぐって右手の新しい建物が宝物殿である。とは言っても常時開けているわけではなく、春と秋の期間限定である。この春は3月18日~5月20日まで開けている。3月末というタイミングで訪ねたのは宝物殿を見たいというのもある。納経所から急いで向かうと、先ほど奥から出てきた女性が出迎えてくれる。
収蔵スペースは思ったより小ぶり。解説をしてくれるとのことで中に入る。当然室内は撮影禁止なのでブログとしては文章だけになる。
まず目に入ったのは阿吽の仁王像。本来なら山門の両側に並び立つ像である。長年立っていたが損傷が激しくて修復に出したのだが、歴史的価値なども踏まえて、山門には置かないほうが良いのではとなったそうだ。松尾寺の山門は雨が吹き込むし、冬は深い雪に覆われる。そうした環境に長い間仁王像を置いていたのが損傷の原因とされている。ただ、宝物殿の中なら間近に見ることができる。仁王像を上から下まで眺める機会はそうあるものではなく、係の人に言わせれば東大寺の仁王像にも引けをとらないそうで、パネルの現物を見る中で迫力を感じる。
他には快慶の作とされる阿弥陀如来像や、国宝の普賢菩薩像の模写がある。他にも地蔵菩薩や松尾寺の仏舞の面も飾られている。
「実は今回の展示のメインがこちらで・・・ただ、一般の博物館で何も案内なければそのまま通りすぎるものかもしれません」と言われて紹介されたのが、終南山曼荼羅。見る限りではくすぶった感じの絵で、終南山という言葉も初めて聞くので、案内がなければそれこそスルーしていただろう。解説によると、終南山とは中国の西安の近くにある山で、仏教と道教の霊山という。中国に仏教が伝わった当時の漢の明帝が北斗七星の神に会ったという説話が描かれているそうで、太陽や星への信仰、あるいは五臓六腑や三尸の虫(庚申信仰に出てくる)なども登場する。終南山を描いた曼荼羅が日本で現存するのは、松尾寺と香川の道隆寺(八十八所の一つ)だけとのことで、国の重要文化財に指定されている。「欠けているところもありますが、もっと研究の対象になってもいいと思いますよ」と。
孔雀明王と如意輪観音の仏画を見て、これで一回り。最後に、「これは寺の秘宝でして」と、笑いながらケースに入った松の木の一部と松ぼっくりを紹介する。松尾寺は708年、中国から渡ってきた威光上人が開いたとされており、今年が「西国三十三所の1300年より10年早い1310周年」という。上人がこの地を訪ねた時、青葉山を見て、故郷の山に似た霊地と感じて、中腹にある松の木の下で修行した。すると馬頭観音を感得したので、この地にお堂を建てた。もうお察しかと思うが、寺ではこれがその時の松の木であるとして伝わっている。「そんなん嘘や思いますけど、まあ、言い伝えですから」と係の人が笑ったところで、宝物殿の見学にもオチがついた。
宝物殿には30分ほどいて、時刻は13時前。列車には間に合うが、寺の境内で昼食というにはちょっと余裕がない。食事は駅に着いてから、あるいは次の車内として、参道を戻る。途中、未舗装の道への案内が出る。先ほどここを近道で上った人もいたことだし、どんなものか行ってみる。
こちらは自然の山道。石がデコボコしていたり、大雨によって倒れたらしい木が道を塞いでいたりする。まあ、通れないわけではない。下りということもあり、10分ほどで車道に出た。行きの上りが15分あまりだったから、確かにショートカットの効果はありそうだ。このまま駅に戻ったのは発車の10分ほど前だった。待つ間に、ホームに設置されたガラス張りの待合室で昼食とする。
やって来た敦賀行きはワンマンの2両編成。ここから久しぶりの小浜線乗り通しで・・・。
木造の駅舎は昔ながらの造りで、もちろん無人駅。かつての駅務室のスペースは集会所として使われるのか、会議用の机と椅子が並ぶ。
駅にこのような張り紙が2枚あった。駅にトイレの設備はあるものの、集会での利用時や工事の際の関係者用として普段は使用できないとある。私は先ほど西舞鶴で済ませたばかりだからいいが、松尾寺駅まで普通に列車を乗り継ぎ、駅でトイレを済ませてから寺に向けて歩こうか・・という人には厳しいだろう。まあ、無人駅で駅舎すらないとか、路線バスでやって来るのと変わらないが、近くにコンビニがあるわけでもなく(昔は国道から山道への分岐のところにあったそうだが)、張り紙では近所の民家にトイレを借りるのも迷惑と書かれているのを見ると、どないしたらええねんと怒る客もいることだろう。事実、張り紙の1枚には抗議の落書きがいくつもあった。ホームの上で用を足すぞという内容もある。元からないのならまだしも、あるのに使えないということに腹を立てている感じがする。
まあ、これは仕方ないのかな。松尾寺に徒歩で訪ねる人が多ければ何らかの手は打つのだろうが、わずかな人数ではね。これは西舞鶴、東舞鶴の駅、あるいは小浜線の車内であらかじめ済ませて・・・と気を付けるしかない。
トイレのことを書いている間に、同じ列車から降りた人たちはとっくに先に向かっている。私も寺に向けて歩き始める。徒歩であれば駅の南の国道27号線には行かず、少し東に歩いて線路の下をくぐり、集落の細道を行く。近畿自然歩道もこのルートをとっている。しばらくすると未舗装となる。轍があるのでクルマも通れるのだろうが、周りの田畑の作業用の位置付けらしく、クルマは入れない。前方に一人、さらに前方大きく離れて一人が歩いている。
田畑の中を進み、松尾寺に続く車道に合流する。前方に見える山の中腹に松尾寺がある。案外近いのかなと感じる。途中で前を歩いていたうちの一人を追い越す。
ここから勾配が急になるところで、直進すれば未舗装の道がある。西国古道ウォーキングを薦める団体による道しるべがあるが、確か途中で崩れているところがあったような。通行禁止とは出ていないが、ここは車道をそのまま上ることにする。近畿自然歩道は車道ルートをとっている。確かに勾配は急だが、これまでの札所めぐりの中でもこのような上りは何ヵ所か経験している。少し休みながらも、急な区間は15分ほどだ。そしてふと前を見ると、あれ、先ほど追い越したはずの人が前を歩いている。この人は西国古道の山道をそのまま歩いたのだろう。そのほうが結構近道になるのかな。西国の場合、四国とは異なり徒歩で回る人などめったにおらず、そのためにこうした徒歩道に関する案内はほとんどない。
駅から40分ほどで山門の下の石段に着き、最後の上りとなる。ともかく松尾寺に到着だ。山門の仁王像がパネルなのはともかくとして、境内に入る。一応、ここにも桜の木がある。山の中だからかこの日はまだ満開ではなかったが、春の雰囲気は十分である。それどころか、歩いて来たこともあり少々暑いなとも感じる。
正面の本堂に向かう。中から「どうぞ上がって中でお参りください」と声がかかり、靴を脱いで外陣に入る。正面には馬頭観音のお前立ちの像がある。松尾寺は西国三十三所で唯一馬頭観音を本尊としており、家畜の供養、交通安全(昔は馬が貴重な交通手段だったことから)、果ては競馬が当たりますようにというところまで受け持っている。もちろん、寺としては一般的な病気平癒や心願成就のご利益もあるとしている。
こちらで一通りのお勤めを行い、山門を出て右手の本坊で先達用納経帳に朱印をいただく。先日総持寺にて、掛け軸に替わる新たな取り組みである額縁用の台紙と各札所の八角形の用紙をいただいたが、この2巡目では出さず、これまで通りカラーの本尊御影を買い求めるにとどめる。それは、いつかまた3巡目を行うということを意味する・・のかな?
納経所にて、宝物殿の見学を申し出る。筆を片手に係の人が奥に「宝物殿お願いします」と声をかけると、奥から係の女性が出てきた。普段鍵をかけているようで、「準備しますんで、どうぞおいでください」と言われるが、こういう時に限って巻物の納経軸を片付けるのに手間がかかる。
山門をくぐって右手の新しい建物が宝物殿である。とは言っても常時開けているわけではなく、春と秋の期間限定である。この春は3月18日~5月20日まで開けている。3月末というタイミングで訪ねたのは宝物殿を見たいというのもある。納経所から急いで向かうと、先ほど奥から出てきた女性が出迎えてくれる。
収蔵スペースは思ったより小ぶり。解説をしてくれるとのことで中に入る。当然室内は撮影禁止なのでブログとしては文章だけになる。
まず目に入ったのは阿吽の仁王像。本来なら山門の両側に並び立つ像である。長年立っていたが損傷が激しくて修復に出したのだが、歴史的価値なども踏まえて、山門には置かないほうが良いのではとなったそうだ。松尾寺の山門は雨が吹き込むし、冬は深い雪に覆われる。そうした環境に長い間仁王像を置いていたのが損傷の原因とされている。ただ、宝物殿の中なら間近に見ることができる。仁王像を上から下まで眺める機会はそうあるものではなく、係の人に言わせれば東大寺の仁王像にも引けをとらないそうで、パネルの現物を見る中で迫力を感じる。
他には快慶の作とされる阿弥陀如来像や、国宝の普賢菩薩像の模写がある。他にも地蔵菩薩や松尾寺の仏舞の面も飾られている。
「実は今回の展示のメインがこちらで・・・ただ、一般の博物館で何も案内なければそのまま通りすぎるものかもしれません」と言われて紹介されたのが、終南山曼荼羅。見る限りではくすぶった感じの絵で、終南山という言葉も初めて聞くので、案内がなければそれこそスルーしていただろう。解説によると、終南山とは中国の西安の近くにある山で、仏教と道教の霊山という。中国に仏教が伝わった当時の漢の明帝が北斗七星の神に会ったという説話が描かれているそうで、太陽や星への信仰、あるいは五臓六腑や三尸の虫(庚申信仰に出てくる)なども登場する。終南山を描いた曼荼羅が日本で現存するのは、松尾寺と香川の道隆寺(八十八所の一つ)だけとのことで、国の重要文化財に指定されている。「欠けているところもありますが、もっと研究の対象になってもいいと思いますよ」と。
孔雀明王と如意輪観音の仏画を見て、これで一回り。最後に、「これは寺の秘宝でして」と、笑いながらケースに入った松の木の一部と松ぼっくりを紹介する。松尾寺は708年、中国から渡ってきた威光上人が開いたとされており、今年が「西国三十三所の1300年より10年早い1310周年」という。上人がこの地を訪ねた時、青葉山を見て、故郷の山に似た霊地と感じて、中腹にある松の木の下で修行した。すると馬頭観音を感得したので、この地にお堂を建てた。もうお察しかと思うが、寺ではこれがその時の松の木であるとして伝わっている。「そんなん嘘や思いますけど、まあ、言い伝えですから」と係の人が笑ったところで、宝物殿の見学にもオチがついた。
宝物殿には30分ほどいて、時刻は13時前。列車には間に合うが、寺の境内で昼食というにはちょっと余裕がない。食事は駅に着いてから、あるいは次の車内として、参道を戻る。途中、未舗装の道への案内が出る。先ほどここを近道で上った人もいたことだし、どんなものか行ってみる。
こちらは自然の山道。石がデコボコしていたり、大雨によって倒れたらしい木が道を塞いでいたりする。まあ、通れないわけではない。下りということもあり、10分ほどで車道に出た。行きの上りが15分あまりだったから、確かにショートカットの効果はありそうだ。このまま駅に戻ったのは発車の10分ほど前だった。待つ間に、ホームに設置されたガラス張りの待合室で昼食とする。
やって来た敦賀行きはワンマンの2両編成。ここから久しぶりの小浜線乗り通しで・・・。