JRの豊川駅から歩いて豊川稲荷に向かう。駅前から車道が伸びて、両側が商店街になっている。実は一本入ったところが昔からの参道で、飲食店や土産物店が並んでいるというのは、豊川稲荷に着いて初めて気づいた。
初めて気づいたといえば、豊川稲荷に来ること自体が初めてなのでそうなのだが、稲荷神社につきものの朱色の鳥居が見えない。それどころか、豊川稲荷の正門である総門は屋敷の門構えのようである。
総門をくぐると山門があり、仁王像が立つ。そうかと思えば左手には石造りの鳥居や狐の像もある。私がイメージする稲荷神社とは趣が異なる。日本三大稲荷の一つとされているが(伏見稲荷、祐徳稲荷と合わせて三大稲荷とされているが、伏見稲荷以外については諸説あるそうだ)、こういう感じなのかな。
これは私が知らなかっただけだが、豊川稲荷は神社ではなく曹洞宗の寺院である。正式には「妙嚴寺」といい、本尊は豊川吒枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)である。手に宝珠を持ち、白狐に乗っているという。元々は古代インドの民間信仰から生まれた仏教の神だが、日本では神仏習合で稲荷神と同一視された。
妙嚴寺が開かれたのは嘉吉元年(1441年)のことで、以後は今川義元や徳川家康の保護を受ける。江戸時代も大岡忠相や渡辺崋山などの歴史上の人物や、一般大衆からも篤い信仰を受け、豊川稲荷として栄えた。ただ、明治の神仏分離によって、稲荷神と吒枳尼眞天が分離され、鳥居も外された。今のように鳥居が建ち、狐の像が見られるようになったのは戦後のことだという。だから歴史はあるといっても伏見稲荷とは系統がだいぶ違う。日本三大稲荷に諸説があると先に書いたが、「日本三大稲荷『神社』」とする向きは豊川稲荷は対象外としている。こんなところにも日本の神仏の複雑な関係が見える。
ということで、本殿に向かう。明治末に着工、昭和の初めに完成した建物である。正面には吒枳尼眞天の真言「おんしらばった にり うん そわか」の札がある。それならば、数珠は持ってきていないが般若心経のお勤めをしなければなるまい。少し横にずれてブツブツとやり、最後に豊川吒枳尼眞天の真言を7度唱える。全く思っていなかった展開である。今回のサイコロの出目も、吒枳尼眞天や狐が呼び寄せたものかもしれない。
境内はこの後奥の院に続く。豊川稲荷の見どころは本殿よりもむしろ奥の院だそうで、元々吒枳尼眞天が祀られていたところだという。そこで向かうとまず目に飛び込むのが両側に立てられた数多くの幟。伏見稲荷の拝殿の奥から一ノ峯に続く千本鳥居のようなものである。地元の個人や企業に交じって、県外からも多く奉納されている。
その間には諸仏を祀るお堂もあるし、腹を撫でるとご利益が授かるという大黒天の像もある。曹洞宗の寺だがなぜか弘法大師も祀られている。道元はどげんした・・?
その中に奥の院のお堂があり、ここでも吒枳尼眞天の真言を唱える。
境内の最も奥、奥の院の奥(ややこしいな)に「霊狐塚(れいこづか)」というのがある。鳥居をくぐり、両側に吒枳尼眞天の幟と、何対もある狐の像を見る。
で、たどり着いたのは・・無数の狐の像。ゴツゴツした岩があり、その方向に狐が向いている。狐の像は願い事がかなった人たちが御礼の意味で奉納したそうだが、狐がこれだけ集まるというのはシュールな感じ。珍スポットとして紹介されることが多いそうだが、パワースポットとしても人気があるのだという。インスタ映えするとしてスマホであれこれ撮っている人がいるかと思えば、狐の多さに圧倒されたか泣き出す子どももいる。
何だか圧倒された感じを抱きながら参道を戻り、これで境内一周となる。時刻はちょうど昼時ということで食事にする。駅から続く昔からの参道に向かう。ちょうど総門の前の角に行列ができている店がある。豊川はいなり寿司発祥の地とされており、地元もいなり寿司で町を盛り上げようとPRに熱心だ。その「門前そば山彦」に入る。豊川のいなり寿司の店でも老舗だという。いなり寿司とそばというのはよく合うが、ここは愛知ということできしめんもある。
いなり寿司は「ミックス」を注文。五目いなり(ひじき、ニンジン、しいたけ、くるみ、タケノコ)と、葉山葵のいなりの組み合わせである。甘く煮た揚げに五目飯というのはなかなか見られない。また葉山葵のピリ辛というのも面白い。この店は昔ながらの味を守っているが、他の店ではいなり寿司に鰻を乗せたり、いなり寿司そのものを揚げてみたり、あるいはハンバーガー風にアレンジしたりと、いろいろ加工しているのもあるそうだ。最も美味しいのは昔ながらのスタンダードないなり寿司だと思うのだが、また機会があればこうした変わり種を試すのもいいかもしれない。
駅に戻る。ここで折り返すとして、行きに乗った飯田線ではなく名鉄の豊川線に乗る。こちらの駅名は豊川稲荷。これで国府まで出て、名古屋本線に乗ることにする。途中の駅で乗り換えて名鉄の支線に寄り道というのも面白そうだ。2両編成の列車に揺られ、豊川市内の近郊区間をトコトコと走る。
国府からの列車乗り継ぎで名古屋、岐阜方面のホームに移ると、リュックを背負いウォーキング姿の人たちであふれかえっている。改札の外にも乗車券を買う行列ができていた。何かのイベントかとスマホで検索すると、当日(4月7日)、トヨタ車体の健康保険組合主催のウォーキングイベントで豊川稲荷駅から国府駅まで歩くというのがあったそうだ。途中、佐奈川堤、赤塚山公園という地元の桜のスポットを通り、三河国の国分寺跡も経由する10.5キロのコース。ちょうど昼過ぎで完歩した人たちがホームに来たところに当たったようだ。それにしても桜・・・今年の傾向からして途中のポイントでもほとんど散ってしまっていたのではないだろうか。花に絡めたイベントというのは難しい。
やって来た特急はウォーキングの客で満員となる。私ももちろん立った状態で移動する。旧東海道の宿場町に近いルートを快走する。その中で、この列車をどこで降りるか考える。乗り鉄、名鉄乗りつぶしにこだわるなら新安城まで行って西尾線~蒲郡線とたどるのが面白そうだ。
ただ結局下車したのは次の東岡崎。そしてホームの向かい側で待っていた各駅停車で岡崎公園前に向かい、ここで外に出る。以前一度訪ねたが、岡崎での途中下車ということにした。西尾や蒲郡はまたの機会として楽しみにしておく。
岡崎で下車したのは桜の名所である岡崎城跡に行くというのもあるし、その前に名古屋の味覚の原点というべきスポットに行ってみようということで・・・・。
初めて気づいたといえば、豊川稲荷に来ること自体が初めてなのでそうなのだが、稲荷神社につきものの朱色の鳥居が見えない。それどころか、豊川稲荷の正門である総門は屋敷の門構えのようである。
総門をくぐると山門があり、仁王像が立つ。そうかと思えば左手には石造りの鳥居や狐の像もある。私がイメージする稲荷神社とは趣が異なる。日本三大稲荷の一つとされているが(伏見稲荷、祐徳稲荷と合わせて三大稲荷とされているが、伏見稲荷以外については諸説あるそうだ)、こういう感じなのかな。
これは私が知らなかっただけだが、豊川稲荷は神社ではなく曹洞宗の寺院である。正式には「妙嚴寺」といい、本尊は豊川吒枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)である。手に宝珠を持ち、白狐に乗っているという。元々は古代インドの民間信仰から生まれた仏教の神だが、日本では神仏習合で稲荷神と同一視された。
妙嚴寺が開かれたのは嘉吉元年(1441年)のことで、以後は今川義元や徳川家康の保護を受ける。江戸時代も大岡忠相や渡辺崋山などの歴史上の人物や、一般大衆からも篤い信仰を受け、豊川稲荷として栄えた。ただ、明治の神仏分離によって、稲荷神と吒枳尼眞天が分離され、鳥居も外された。今のように鳥居が建ち、狐の像が見られるようになったのは戦後のことだという。だから歴史はあるといっても伏見稲荷とは系統がだいぶ違う。日本三大稲荷に諸説があると先に書いたが、「日本三大稲荷『神社』」とする向きは豊川稲荷は対象外としている。こんなところにも日本の神仏の複雑な関係が見える。
ということで、本殿に向かう。明治末に着工、昭和の初めに完成した建物である。正面には吒枳尼眞天の真言「おんしらばった にり うん そわか」の札がある。それならば、数珠は持ってきていないが般若心経のお勤めをしなければなるまい。少し横にずれてブツブツとやり、最後に豊川吒枳尼眞天の真言を7度唱える。全く思っていなかった展開である。今回のサイコロの出目も、吒枳尼眞天や狐が呼び寄せたものかもしれない。
境内はこの後奥の院に続く。豊川稲荷の見どころは本殿よりもむしろ奥の院だそうで、元々吒枳尼眞天が祀られていたところだという。そこで向かうとまず目に飛び込むのが両側に立てられた数多くの幟。伏見稲荷の拝殿の奥から一ノ峯に続く千本鳥居のようなものである。地元の個人や企業に交じって、県外からも多く奉納されている。
その間には諸仏を祀るお堂もあるし、腹を撫でるとご利益が授かるという大黒天の像もある。曹洞宗の寺だがなぜか弘法大師も祀られている。道元はどげんした・・?
その中に奥の院のお堂があり、ここでも吒枳尼眞天の真言を唱える。
境内の最も奥、奥の院の奥(ややこしいな)に「霊狐塚(れいこづか)」というのがある。鳥居をくぐり、両側に吒枳尼眞天の幟と、何対もある狐の像を見る。
で、たどり着いたのは・・無数の狐の像。ゴツゴツした岩があり、その方向に狐が向いている。狐の像は願い事がかなった人たちが御礼の意味で奉納したそうだが、狐がこれだけ集まるというのはシュールな感じ。珍スポットとして紹介されることが多いそうだが、パワースポットとしても人気があるのだという。インスタ映えするとしてスマホであれこれ撮っている人がいるかと思えば、狐の多さに圧倒されたか泣き出す子どももいる。
何だか圧倒された感じを抱きながら参道を戻り、これで境内一周となる。時刻はちょうど昼時ということで食事にする。駅から続く昔からの参道に向かう。ちょうど総門の前の角に行列ができている店がある。豊川はいなり寿司発祥の地とされており、地元もいなり寿司で町を盛り上げようとPRに熱心だ。その「門前そば山彦」に入る。豊川のいなり寿司の店でも老舗だという。いなり寿司とそばというのはよく合うが、ここは愛知ということできしめんもある。
いなり寿司は「ミックス」を注文。五目いなり(ひじき、ニンジン、しいたけ、くるみ、タケノコ)と、葉山葵のいなりの組み合わせである。甘く煮た揚げに五目飯というのはなかなか見られない。また葉山葵のピリ辛というのも面白い。この店は昔ながらの味を守っているが、他の店ではいなり寿司に鰻を乗せたり、いなり寿司そのものを揚げてみたり、あるいはハンバーガー風にアレンジしたりと、いろいろ加工しているのもあるそうだ。最も美味しいのは昔ながらのスタンダードないなり寿司だと思うのだが、また機会があればこうした変わり種を試すのもいいかもしれない。
駅に戻る。ここで折り返すとして、行きに乗った飯田線ではなく名鉄の豊川線に乗る。こちらの駅名は豊川稲荷。これで国府まで出て、名古屋本線に乗ることにする。途中の駅で乗り換えて名鉄の支線に寄り道というのも面白そうだ。2両編成の列車に揺られ、豊川市内の近郊区間をトコトコと走る。
国府からの列車乗り継ぎで名古屋、岐阜方面のホームに移ると、リュックを背負いウォーキング姿の人たちであふれかえっている。改札の外にも乗車券を買う行列ができていた。何かのイベントかとスマホで検索すると、当日(4月7日)、トヨタ車体の健康保険組合主催のウォーキングイベントで豊川稲荷駅から国府駅まで歩くというのがあったそうだ。途中、佐奈川堤、赤塚山公園という地元の桜のスポットを通り、三河国の国分寺跡も経由する10.5キロのコース。ちょうど昼過ぎで完歩した人たちがホームに来たところに当たったようだ。それにしても桜・・・今年の傾向からして途中のポイントでもほとんど散ってしまっていたのではないだろうか。花に絡めたイベントというのは難しい。
やって来た特急はウォーキングの客で満員となる。私ももちろん立った状態で移動する。旧東海道の宿場町に近いルートを快走する。その中で、この列車をどこで降りるか考える。乗り鉄、名鉄乗りつぶしにこだわるなら新安城まで行って西尾線~蒲郡線とたどるのが面白そうだ。
ただ結局下車したのは次の東岡崎。そしてホームの向かい側で待っていた各駅停車で岡崎公園前に向かい、ここで外に出る。以前一度訪ねたが、岡崎での途中下車ということにした。西尾や蒲郡はまたの機会として楽しみにしておく。
岡崎で下車したのは桜の名所である岡崎城跡に行くというのもあるし、その前に名古屋の味覚の原点というべきスポットに行ってみようということで・・・・。