まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

青春18で東へ・・・行き先はサイコロで

2018年04月09日 | 旅行記D・東海北陸
先の記事では4月8日のBCリーグ観戦について書いたが、その前の日、7日は青春18きっぷを手に東に向かっていた。

北の方は年末年始や今年の西国めぐりで訪ねたし、西や南も何やかんやで訪ねている。とすると東へ向かいたい。岐阜や愛知には、行っているようで行ったことのないスポットも結構ある。ただそれらをどう回ろうかとなると、また迷ってしまう。・・・ということで、そうした時はサイコロである。とりあえず回るエリアを出目に挙げて、それに委ねることにする。

大阪6時21分発の米原行きに乗る。朝の時間だが大阪駅ホームの快速乗車口には長い列ができている。普通に京都あたりに出かける感じの客も多いが、いかにも青春18きっぷのヘビーユーザーという感じに見える客もいる。この列車は大阪始発ということもあり、まずはほぼ全員が座れた。

朝早いのでウトウトとしながら進む。まずはこの列車で米原まで行き、8時25分発の新快速豊橋行きに乗り継いで関ヶ原を越えるつもりだ。京都で乗客の半分が入れ替わるが、同じように京都から滋賀に向かう客が乗って来る。

シート越しに、前の席の男性客が行程を書いたメモが見える。メモと言ってもスーパーのチラシの裏に大きな文字で書かれているので、目に入ってくる。見える限りでは、この先新潟まで向かい、磐越西線で会津若松経由で郡山、磐越東線から常磐線と回って東京に出て、大阪に戻ってくる。2泊3日の行程のようだが、鈍行で乗り通すとなると結構ハード、途中で観光する時間もないだろう。これも純粋な乗り鉄の姿である。新潟までは北陸線~第3セクター乗り継ぎも検討したようだが、名古屋から中央線など乗り継いで向かうようだ(どういう乗り継ぎプランなのか、時刻表で推測してみようか)。

この前日の6日から天気が崩れていて、7日も朝のうちは近畿から東海にかけても雨が残る予報だった。また気温もぐっと下がるそうだ。外の空模様も冬を思わせる感じがして、雨も降ってきた。

米原に到着。乗り継ぎの新快速は同じホームの向かい側から発車する。早速乗車口には行列ができる。8両編成の運転とあり、それなら全員着席できそうだ。事実、車庫からの仕立列車のクロスシートには並んでいた全員が座り、それでも通路側に空席があった。

列車は雨の中、東へ進む。沿線には桜も多いが、残念ながら花が散っている。開花~満開が早かったぶん仕方ないのだが、ちょっと残念だ。

関ヶ原を過ぎる。ここまでだらだら書いて引っ張ったようだが、天下分け目?の行き先サイコロとする。もちろん、周囲の目もあるのでスマホのサイコロアプリだが。その出目は・・

1.岐阜~一宮~清洲など、尾張西部から名古屋(この辺りはJR、名鉄いずれに乗っても通過してばかり)

2.下呂温泉(ただし、美濃太田からは時間節約で特急に乗り換え)

3.恵那から明知鉄道(岩村城跡も含む)

4.太多線~多治見~豊田市(足助、香嵐渓も行けるかな)

5.豊橋、豊川稲荷、後は三河エリア(名鉄の三河エリアの路線にも乗れるかな)

6.知多半島を縦断(歴史のある半島、ともかくは南端の師崎を目指す)

関ヶ原から東に進み、行き先のエリアを時計回りに出目に充てる。それぞれ観光の面ではいろいろ新たな楽しみが期待できる。

外がどんよりした中で出た目とは、果たして・・・?
コメント

BCリーグ観戦記・滋賀対福島@甲賀(球場も試合も寒かった・・)

2018年04月08日 | プロ野球(独立リーグほか)
今季も独立リーグの試合観戦を何試合か行うことにする。四国アイランドリーグについては八十八所めぐりとの組み合わせで、現在回っている愛媛、そしてその後に入る香川での観戦をもくろんでいる。

一方でBCリーグだが、4月7日に開幕。その中で関西の球団である滋賀ユナイテッドの試合観戦に出かけることにする。8日の甲賀市民スタジアムでの第2戦、対戦相手は福島ホープスである。滋賀対福島、リーグの西の端と東の端という観戦は初めてだ。

昨季新加入した滋賀の試合には3試合訪ねているが、いずれも敗戦。まずは初勝利の場面を見ることができるだろうか。

ということで、東海道線と草津線を乗り継いで貴生川駅に現れる。駅から球場までは歩いて20分あまりだが、7日と8日は開幕シリーズということで、球団が無料送迎バスを出すという。普段は選手の移動用で使っている観光バスタイプの車両で、せっかくなのでこれに乗る。ホームページでは10時45分から30分おきの運転とあったが、何人か乗っているからか、前倒しで11時に出発。5分ほどで球場横の道路に横付けされた。このサービスもこのシリーズ限定だと思うが、滋賀球団の球場はいずれも駅から離れているところなので、せめて土日は運転してもいいのではないかと思う。

さて今季、滋賀ユナイテッドのファンクラブ「BLACKS」に入会することにした。これまでBCリーグでの試合は特定の球団は応援せず、球場めぐりの旅を兼ねて地元の雰囲気を味わうのを楽しんでいたし、これからもそうするつもりなのだが、やはりBCリーグ唯一の関西のチームとして応援したいところである。最もライトな会員で年会費3000円だが、入場券が2枚ついてくるのと、チケットホルダーがもらえる。当日券は1500円だから、2試合観れば元が取れる。球場入口で申し込みを行い、いただいたチケットを早速使う。ファンクラブ会員は通常より早く入場することができる。

グラウンドでは福島の選手が打撃練習中である。三塁側のファウルグラウンドで野手相手にノックをしているのが、福島の岩村明憲監督。言わずと知れた元スワローズ、メジャーリーガーの好打者である。福島球団初年度から選手兼任監督としてチームを率いてきたが、選手としては昨年で引退。今季は監督一本で臨む。

一方の滋賀は、今季は松本匡史監督が指揮を執る。元ジャイアンツの盗塁王で「青い稲妻」の愛称がある。ジャイアンツやイーグルスでの2軍監督やコーチの経験があるが、BCリーグ、それも滋賀の監督になるとは驚いた。出身が兵庫(尼崎出身、報徳学園)ということで関西に縁のある人だが、どういう経緯でオファーを出したのだろうか。

監督はいいとして、コーチはどうなっているか。昨季は上園啓史監督、桜井広大コーチという元タイガースのコンビで投手、野手を見ていたが、今季は投手コーチという肩書はいない。そして野手コーチは、選手兼任でジョニー・セリスが務める。BCリーグで福井、富山とプレーしており、7年目の今季、滋賀に移籍。打線の中軸として期待されるが、コーチの指導としては未知数である。他に誰かコーチを引き受けるNPB出身者はいなかったのか、オファーを断られたのかはわからないが、大丈夫かな。試合前のアップではジョークを交えて一番声が出ていたが・・・。

試合前には、「滋賀球団公式アイドル」の紹介や、甲賀市長による始球式が行われる。それにしてもこの日は4月とは思えない寒さ。一応上に羽織ってはいるが、じっとしていると結構きつい。そんな中アイドルの女の子は脚を出してもっと寒いのではないかなと思う。

さて試合開始。滋賀の先発はチーム最年少の17歳の寺内(近江高校中退)。立ち上がりボールが先行し、3番のボウカー(元ジャイアンツ、イーグルス)には四球を許したが、バックの好守もあり無失点。

一方の福島の先発は高橋元気。3番の田中が二塁打、4番のジョニーが四球で出るが、続く北本を空振り三振に取る。続く2回は両チームとも三者凡退で、まずは締まった展開である。

三塁側スタンドには滋賀の私設応援団「近江豪勝連合」の面々が陣取る。昨年の途中から結成されたところだが、選手ごとのオリジナルの応援歌も出来ているし、トランペット、太鼓も充実している。先ほどの球団公式アイドルのお二人もスティックを持って応援に加わる。

3回は福島が二死満塁、滋賀が二死一・二塁とチャンスを作るが、それぞれの4番が凡退して無得点。特に滋賀の寺内が落ち着いた投球に見えた。

試合が動いたのは4回裏。北本、杉本の連打で無死一・二塁。迎えるのは桑田(桑田真澄さんの息子)。ここでチャンスコールなのだが、「止めたろか」というもの。「琵琶湖の水止めたろか 滋賀県ナメたら止めたろか 俺らの水止めたろか 止めたろか 止めたろか 琵琶湖の水止めたろか」とあり、チャンスの場面で『止める』とは歌詞としてどうかなという気がする。また、琵琶湖の水の恩恵を受けている大阪人としては複雑な気分。「滋賀をナメたらあかん」ということなのだろうが、福島の選手に向けて言ってもなあ・・。

そのチャンスコールのためか、桑田の当たりは一塁ゴロ。ボウカーが捕って二塁へ送球し、一塁走者はアウト。そして再び一塁に送球したところ、ボールが逸れた。その間に二塁走者がホームインして滋賀が1点先制。スタンドではバンザイが起こる。

これで滋賀有利となったが、直後の5回表。先頭の久岐がチーム初安打を放つ。続く吉田のバントが一塁エラーとなり、1番・岡下がレフトへの同点タイムリーを放つ。次の岸本の当たりは二塁ゴロで、二塁はアウトとなったが一塁への送球が一塁走者の岡下に当たってしまう。その間に二塁走者がホームイン。

これで流れが福島に傾き、ボウカー四球の後、高橋祥のセンター前ヒットで3対1。続く奈良のところで二塁への牽制球が悪送球となりホームインを許す。これで4対1。寺内としては前半が良かっただけに、守備の乱れ、さらには自身の牽制悪送球で急にバタバタと崩れたのがもったいなかった。

滋賀打線も、福島の高橋元気の前にランナーは出すが後1本が出ない。ランナーを置いたところで三振という結果が続く。

7回表。滋賀の投手は6回から登板の大高。そこから岡下のヒット、岸本の二塁打で5対1。その後もヒットと四球で一死満塁で高橋に交代。ただ福島の攻撃は止まらず、高橋恒の犠牲フライ、福士の2点二塁打、吉田のタイムリー、打者一巡後の岸本の2点タイムリーでさらに6点を挙げる。これで11対1。何とも一方的な試合になった。

7回裏、滋賀は北本のタイムリーで1点を返す。ただ反撃の勢いもなく、スタンドも寒いということでこの回で席を立つ人も見られた。

福島は9回表にも途中出場の野原、そして高橋祥のタイムリー、奈良の犠牲フライで3点を追加。14対2とした。

そして9回裏。滋賀は福島3人目の笠原から最後に田中のヒット、ジョニーの二塁打、北本の四球で無死満塁とする。試合の大勢は決まっていてもここで意地を見せたいところ。しかし後続が三者続けて凡退し、無得点。ヒットの数は福島13本、滋賀9本だったが14対2という大差。ヒット以上に四死球が福島10個、滋賀6個というのもあったし、チャンス時の後1本と、守備の乱れが点につながったところで差が出た形になった。

まだまだ公式戦は始まったばかり、これから巻き返しのチャンスはあると思うので、がんばってほしいところだ。

試合終了後、松本監督のサインをいただいて帰りもバスに乗り込む。今季の滋賀は甲賀、守山、湖東の3球場に絞って試合を行うという。またチャンスを見つけて観戦である・・・。
コメント

土俵の「女人禁制」と相撲協会の対応

2018年04月05日 | ブログ
先の記事で、松尾寺に向かう途中で下車した西舞鶴で見かけたものとして、4月4日開催の大相撲の舞鶴巡業について触れた。町歩きの中で、舞鶴市制施行75周年記念イベントで、舞鶴での巡業が69年ぶりとして前回の番付などが資料館に展示されていたのを見た。

・・・その巡業が、まさかああいう形で注目を集めたとはね。

挨拶のために土俵に上がっていた舞鶴市長が急に倒れ、救護のために咄嗟に土俵に上がった医療関係者らしい女性複数に対して、アナウンス係の行司が「女性は土俵から下りてください」と連呼した一件である。

市長はくも膜下出血だったが、こうした救護のおかげか、入院、手術となったが大事には至らなかった。一方で、行司のアナウンスを含めた協会の対応には多くの批判が起こっている。まあこのタイミング、何かあれば相撲協会を叩こうという向きにとっては思いがけず舞い降りてきたネタである。今度は「女人禁制という伝統と人命のどちらが大事なのか」である。

私は、「女人禁制」というものを何でもかんでも否定するのは少し違うと思う。現代の合理性や価値観だけで物事の是非を決めてしまうのなら、伝統や文化というのはいらないだろう。神事の要素もある大相撲も、ちょんまげや着物を着る必要もなく、取り組み前後の所作もいらないとなる。それでは単なる力比べである。

ただ、この一件での「女性は土俵から下りてください」というのは、相撲協会側が女人禁制の意味を正しく理解していなかったのではと思う。神事、宗教としては禁制だとしても、目の前で人が倒れているというのは神事ではない。そこは男性女性を言う場面ではないだろう。

あの場面なら、やはりまずは救護優先。女性が土俵に上がったことに対して場内アナウンスするのではなく、その場は成り行きを見守り、後で個別に事情を訊くなりすればここまでの騒ぎにはならなかったのではないか。その場にいた人たちは、まず市長が大変なことになり、そこに女性も含めた救護の人が駆けつけ、どうなるのか見守っていたはずだ。市長が晴れの舞台(というか土俵の上)で倒れたということが発端で、ここが一番のトラブルのはずである。そこであんなアナウンスをしたために騒ぎが別の方向に行った。

また、女人禁制がけしからんと言っている人の中には、単に今の相撲協会をバッシングしたいだけなのでは?と思わせるものもある。何だかなあ。

ただ、何か突然のことが起きた時にどう対処するかは、私も会社組織にいる人間として考えなければならないと感じた。マニュアルの杓子定規な運用ではなく、柔軟な対応、咄嗟の判断、決断、事後のフォローなど。このところ相次ぐトラブルを見て、相撲協会はこの辺りのセンスが十分養われていないのではないかと思う。そうならば、こうしたところに外部の知恵を入れれば改善の余地があるかもしれない。

今はともかく、舞鶴市長の1日も早い回復を願うことである・・・。
コメント

明石海峡大橋開通20年

2018年04月04日 | ブログ
明石海峡大橋が開通したのは1998年の4月5日。それからちょうど20年という記事を、神戸新聞のネット記事で見た。個人的には、今年は青函トンネルと瀬戸大橋の開通30年というのは認識していたが、明石海峡大橋20年は記事で初めて気づいた。鉄道が走っているところとそうでないところとの差ではないが。

明石海峡大橋の開通で、同じ兵庫県の淡路島と本土が結ばれただけでなく、その先の鳴門・徳島と関西が隣接することになった効果は大きい。また、明石海峡から淡路島を経て大鳴門橋から四国に入るのは、関西と四国を結ぶ最短ルートになった。四国八十八所めぐりでも何度となく通ったし、この先も通ることになる。

ただ、途中の淡路島となるとどうだろうか。これまで仕事でクルマで何回か高速を降りて島内を走っている程度だ。プライベートとなると・・・今思えばアホらしいのだが、いわゆる「お見合いバスツアー」で淡路島に行くというのに参加したものの、結局何事もなく、そのために居心地が悪くなって帰りのバスの中で一人ビールを飲んでいたくらい・・・しかない。

まあお見合いバスツアーはさておき、淡路島はそれ単独でも見所があるし、南北に広い兵庫県の多様性を現しているエリアである。近くて遠い、あるいは四国への通過点という認識のところだが、一度私流に回ってみるべきところだろう・・・。
コメント

第29番「松尾寺」~西国三十三所めぐり2巡目・23(山の上で宝物に出会う)

2018年04月03日 | 西国三十三所
松尾寺駅からいよいよ寺への往復である。3キロほどの道のりで、次の敦賀方面の列車は2時間半後の13時46分発。駅から寺までは徒歩50分とあり、特に何事もなければ間に合うだろうし、寺での時間もそれなりに取れそうだ。

木造の駅舎は昔ながらの造りで、もちろん無人駅。かつての駅務室のスペースは集会所として使われるのか、会議用の机と椅子が並ぶ。

駅にこのような張り紙が2枚あった。駅にトイレの設備はあるものの、集会での利用時や工事の際の関係者用として普段は使用できないとある。私は先ほど西舞鶴で済ませたばかりだからいいが、松尾寺駅まで普通に列車を乗り継ぎ、駅でトイレを済ませてから寺に向けて歩こうか・・という人には厳しいだろう。まあ、無人駅で駅舎すらないとか、路線バスでやって来るのと変わらないが、近くにコンビニがあるわけでもなく(昔は国道から山道への分岐のところにあったそうだが)、張り紙では近所の民家にトイレを借りるのも迷惑と書かれているのを見ると、どないしたらええねんと怒る客もいることだろう。事実、張り紙の1枚には抗議の落書きがいくつもあった。ホームの上で用を足すぞという内容もある。元からないのならまだしも、あるのに使えないということに腹を立てている感じがする。

まあ、これは仕方ないのかな。松尾寺に徒歩で訪ねる人が多ければ何らかの手は打つのだろうが、わずかな人数ではね。これは西舞鶴、東舞鶴の駅、あるいは小浜線の車内であらかじめ済ませて・・・と気を付けるしかない。

トイレのことを書いている間に、同じ列車から降りた人たちはとっくに先に向かっている。私も寺に向けて歩き始める。徒歩であれば駅の南の国道27号線には行かず、少し東に歩いて線路の下をくぐり、集落の細道を行く。近畿自然歩道もこのルートをとっている。しばらくすると未舗装となる。轍があるのでクルマも通れるのだろうが、周りの田畑の作業用の位置付けらしく、クルマは入れない。前方に一人、さらに前方大きく離れて一人が歩いている。

田畑の中を進み、松尾寺に続く車道に合流する。前方に見える山の中腹に松尾寺がある。案外近いのかなと感じる。途中で前を歩いていたうちの一人を追い越す。

ここから勾配が急になるところで、直進すれば未舗装の道がある。西国古道ウォーキングを薦める団体による道しるべがあるが、確か途中で崩れているところがあったような。通行禁止とは出ていないが、ここは車道をそのまま上ることにする。近畿自然歩道は車道ルートをとっている。確かに勾配は急だが、これまでの札所めぐりの中でもこのような上りは何ヵ所か経験している。少し休みながらも、急な区間は15分ほどだ。そしてふと前を見ると、あれ、先ほど追い越したはずの人が前を歩いている。この人は西国古道の山道をそのまま歩いたのだろう。そのほうが結構近道になるのかな。西国の場合、四国とは異なり徒歩で回る人などめったにおらず、そのためにこうした徒歩道に関する案内はほとんどない。

駅から40分ほどで山門の下の石段に着き、最後の上りとなる。ともかく松尾寺に到着だ。山門の仁王像がパネルなのはともかくとして、境内に入る。一応、ここにも桜の木がある。山の中だからかこの日はまだ満開ではなかったが、春の雰囲気は十分である。それどころか、歩いて来たこともあり少々暑いなとも感じる。

正面の本堂に向かう。中から「どうぞ上がって中でお参りください」と声がかかり、靴を脱いで外陣に入る。正面には馬頭観音のお前立ちの像がある。松尾寺は西国三十三所で唯一馬頭観音を本尊としており、家畜の供養、交通安全(昔は馬が貴重な交通手段だったことから)、果ては競馬が当たりますようにというところまで受け持っている。もちろん、寺としては一般的な病気平癒や心願成就のご利益もあるとしている。

こちらで一通りのお勤めを行い、山門を出て右手の本坊で先達用納経帳に朱印をいただく。先日総持寺にて、掛け軸に替わる新たな取り組みである額縁用の台紙と各札所の八角形の用紙をいただいたが、この2巡目では出さず、これまで通りカラーの本尊御影を買い求めるにとどめる。それは、いつかまた3巡目を行うということを意味する・・のかな?

納経所にて、宝物殿の見学を申し出る。筆を片手に係の人が奥に「宝物殿お願いします」と声をかけると、奥から係の女性が出てきた。普段鍵をかけているようで、「準備しますんで、どうぞおいでください」と言われるが、こういう時に限って巻物の納経軸を片付けるのに手間がかかる。

山門をくぐって右手の新しい建物が宝物殿である。とは言っても常時開けているわけではなく、春と秋の期間限定である。この春は3月18日~5月20日まで開けている。3月末というタイミングで訪ねたのは宝物殿を見たいというのもある。納経所から急いで向かうと、先ほど奥から出てきた女性が出迎えてくれる。

収蔵スペースは思ったより小ぶり。解説をしてくれるとのことで中に入る。当然室内は撮影禁止なのでブログとしては文章だけになる。

まず目に入ったのは阿吽の仁王像。本来なら山門の両側に並び立つ像である。長年立っていたが損傷が激しくて修復に出したのだが、歴史的価値なども踏まえて、山門には置かないほうが良いのではとなったそうだ。松尾寺の山門は雨が吹き込むし、冬は深い雪に覆われる。そうした環境に長い間仁王像を置いていたのが損傷の原因とされている。ただ、宝物殿の中なら間近に見ることができる。仁王像を上から下まで眺める機会はそうあるものではなく、係の人に言わせれば東大寺の仁王像にも引けをとらないそうで、パネルの現物を見る中で迫力を感じる。

他には快慶の作とされる阿弥陀如来像や、国宝の普賢菩薩像の模写がある。他にも地蔵菩薩や松尾寺の仏舞の面も飾られている。

「実は今回の展示のメインがこちらで・・・ただ、一般の博物館で何も案内なければそのまま通りすぎるものかもしれません」と言われて紹介されたのが、終南山曼荼羅。見る限りではくすぶった感じの絵で、終南山という言葉も初めて聞くので、案内がなければそれこそスルーしていただろう。解説によると、終南山とは中国の西安の近くにある山で、仏教と道教の霊山という。中国に仏教が伝わった当時の漢の明帝が北斗七星の神に会ったという説話が描かれているそうで、太陽や星への信仰、あるいは五臓六腑や三尸の虫(庚申信仰に出てくる)なども登場する。終南山を描いた曼荼羅が日本で現存するのは、松尾寺と香川の道隆寺(八十八所の一つ)だけとのことで、国の重要文化財に指定されている。「欠けているところもありますが、もっと研究の対象になってもいいと思いますよ」と。

孔雀明王と如意輪観音の仏画を見て、これで一回り。最後に、「これは寺の秘宝でして」と、笑いながらケースに入った松の木の一部と松ぼっくりを紹介する。松尾寺は708年、中国から渡ってきた威光上人が開いたとされており、今年が「西国三十三所の1300年より10年早い1310周年」という。上人がこの地を訪ねた時、青葉山を見て、故郷の山に似た霊地と感じて、中腹にある松の木の下で修行した。すると馬頭観音を感得したので、この地にお堂を建てた。もうお察しかと思うが、寺ではこれがその時の松の木であるとして伝わっている。「そんなん嘘や思いますけど、まあ、言い伝えですから」と係の人が笑ったところで、宝物殿の見学にもオチがついた。

宝物殿には30分ほどいて、時刻は13時前。列車には間に合うが、寺の境内で昼食というにはちょっと余裕がない。食事は駅に着いてから、あるいは次の車内として、参道を戻る。途中、未舗装の道への案内が出る。先ほどここを近道で上った人もいたことだし、どんなものか行ってみる。

こちらは自然の山道。石がデコボコしていたり、大雨によって倒れたらしい木が道を塞いでいたりする。まあ、通れないわけではない。下りということもあり、10分ほどで車道に出た。行きの上りが15分あまりだったから、確かにショートカットの効果はありそうだ。このまま駅に戻ったのは発車の10分ほど前だった。待つ間に、ホームに設置されたガラス張りの待合室で昼食とする。

やって来た敦賀行きはワンマンの2両編成。ここから久しぶりの小浜線乗り通しで・・・。
コメント

第29番「松尾寺」~西国三十三所めぐり2巡目・23(西舞鶴で桜見物)

2018年04月02日 | 西国三十三所
西舞鶴に到着。次の列車まで1時間半あまりあるので町歩きとする。列車での乗り換えでは何度か来ているが、町並みを歩くのは初めてである。

駅構内、また駅前には「大相撲舞鶴場所」のポスターや幟が目立つ。舞鶴市政施行75周年記念のイベントとして4月4日に行われるとある。舞鶴で大相撲の巡業はおよそ70年ぶりだという。大相撲の春場所は横綱鶴竜の優勝で幕を閉じたが、その後は関西から関東にかけての春巡業である。ポスターには3横綱2大関が出ているが、春場所休場の白鵬や稀勢の里は参加するのだろうか。私は巡業は観たことがないが、本場所とは違ったさまざまなイベントがあるし、稽古が見られたり力士との交流もある。この舞鶴場所はもちろん平日の仕事なので行けないが、一度どこかの巡業を観たいものである。

まず向かったのは田辺城跡。平成に復元された城門がシンボルのように建っている。この地に最初に城を築いたのは細川幽斎。関ヶ原の戦いでは東軍に味方して、50日に及ぶ西軍との攻城戦を繰り広げた。後に田辺藩として京極氏、牧野氏が入り、後に舞鶴藩と改称された。

城門の上は資料館となっており、細川幽斎の像や、牧野氏に伝わる武具などが展示されている。また、舞鶴の城下町を再現した模型もある。舞鶴というと軍港、岸壁の母、そして現在の海上自衛隊というイメージが強く、城下町の歴史というのはかえって新たな気づきになった。

城跡は舞鶴公園として、地元の人たちの憩いの場になっている。こちらの桜も満開である。カメラを手に桜のアップ画像を撮る人の姿も目立つ。城跡と桜というのはよく合うように思う。これが大阪城公園だとものすごい人だかりだが、こうした小ぢんまりした城跡で気軽に桜を楽しむのもよい。

田辺城跡から少し歩くと舞鶴市の総合会館がある。外には北陸新幹線の舞鶴ルート誘致の看板が出ている。確か、敦賀から京都までは小浜ルートに決まったのではなかったかな。大阪から北陸に向かうのに舞鶴を経由するというのはあまりにも現実離れしているように思うが、地元の人たちはまだあきらめていないのだろうか。

その一角が郷土資料館になっている。田辺城の資料館と同じく無料ということで中に入る。こちらは舞鶴の歴史をさらっと紹介したスポットで、「海の京都」の一部として、古来から海とともに生きてきた様子が紹介されている。昔の塩づくりの模型や、北前船による交易についても触れられている。当時の港は、城下町を流れる高野川の河口にあったという。

目を引いたのは相撲の番付。先に、大相撲の舞鶴巡業がおよそ70年ぶりに開かれると触れたが、ここにあるのは前回1949年(昭和24年)に行われた舞鶴場所の番付である。横綱が照国、羽黒山、前田山、東富士と4人いて、他にも後に横綱、大関となる力士の名前が見える。小結があの力道山というのも発見である。

「糸井文庫」というものを紹介するコーナーもある。丹後の与謝野町出身で、明治、大正、昭和戦前の実業家である糸井仙之助という人が丹後にゆかりの書籍や錦絵などを収集したもので、没後に舞鶴市に寄贈され、現在舞鶴市の指定文化財となっているものである。酒呑童子、浦島太郎、山椒大夫、岩見重太郎といったところがテーマとなっている。現在はこうした資料館での展示のほかに、舞鶴市と立命館大学の取り組みで閲覧システムとしてデータベース化されている。こうしたものがあるとは初めて知った。また話が逸れるが、タイガースの糸井選手も与謝野町の出身である。この糸井仙之助とはどこか親戚でつながっているのかな。

資料館を後にして、国道27号線を渡って高野川沿いに向かう。昔ながらの商店や旅館なども残る。伝統的な古い町並みというわけではないが、一昔前、昭和の雰囲気にさかのぼるような感じだ。この辺りは京へと続く旧街道だったそうだ。

その街道から山の手の方向に何やら立派な寺の山門が見えたので行ってみる。曹洞宗の寺で桂林寺とある。本堂には階段を上がるが、境内の桜がなかなかの眺めだった。

桂林寺は15世紀の初めに開かれた寺で、阿弥陀如来、薬師如来を本尊とする。細川幽斎ともつながりがあり、関ヶ原の戦いにともなう田辺城の籠城戦では幽斎を支援したこともある。その後、江戸時代の京極氏、牧野氏からも保護を受けた。西国や四国の札所の一つと言われてもうなずけるような由緒を感じる。お勤めは省略するとしても手を合わせようかと本堂に向かう。ちょうど中からは読経の声が聞こえてくる。

この愛宕山麓は寺町だったのか、麓にはいくつかの寺社が見られる。土地の神と言える朝代神社の鳥居をくぐり、境内を抜けると寺の本堂に出た。円隆寺という。こちらは真言宗の寺院で、平安中期の開創とされる。現在の建物は江戸時代に再建されたものだが、堂々とした造りである。

境内には四国八十八所のお砂踏みとして、各札所の本尊石像が祀られている。これを伝って行けば結構奥の方まで広がっていそうだ。丹後舞鶴の地にもこうした寺院があるというのも勉強になった。

これで駅まで一回りした形になり、そろそろ列車の時間も近づいてきたので駅に戻る。今回は訪ねることはなかったが、昔ながらの居酒屋もちらほらと見えるところで、何かの機会があれば一度西舞鶴に泊まってみるのも面白いかなとも思った(東舞鶴は過去に駅前で宿泊したことがあるが)。

さて、これから松尾寺を目指すが、昼食を仕入れることにする。次の東舞鶴では列車の接続が2分しかないし、松尾寺駅および松尾寺の周辺には食べるところもコンビニもない。改札口横にセブンイレブン売店もあるが、目に留まったのが待合室の奥にある「まちカフェ」のコーナー。手作りのパン、サンドイッチ、おにぎり弁当などがあり、こちらでいくつか仕入れる。松尾寺の境内でいただくことにしよう。

西舞鶴10時58分発の東舞鶴行きは、大阪からの福知山線の列車に接続していることもあってか結構混雑していた。一つ山越えする形で舞鶴の西から東へ移り、高架の東舞鶴に到着。次の小浜線の敦賀行きはホーム向かい側に停まっていて、すぐに出発する。

東舞鶴から7分、次の駅が松尾寺である。この駅に降り立つのは初めてで、1本だけのホームには私の他に2人が下車した。出で立ちからして松尾寺まで歩くのだろう。ようやくここから本日の本題である・・・。
コメント

第29番「松尾寺」~西国三十三所めぐり2巡目・23(今回は青春18にて)

2018年04月01日 | 西国三十三所
4月に入り、拙ブログも2006年4月から数えて13年目。相変わらず細々としたローカルブログですが、これからもよろしくお願いします。

そんな中、カレンダーを戻して3月31日。この日は青春18きっぷを使って出かけることにする。そこで出たのが、西国三十三所めぐりのうち、自宅から離れた第29番の松尾寺である。西国の2巡目も3分の2まで来て、残りの札所をどう回るかだが、青春18の時季に出かけるのが得なのが松尾寺となる。1巡目の時は福井のおおい町で行われたBCリーグの試合を観るのと合わせたこともあり、レンタカーで訪ねた。三十三所のうち唯一公共交通機関または徒歩で訪ねることがなかったところである。小浜線の松尾寺駅から3キロほどだが、青葉山の中腹まで上ることになる。春の時季、天候もよさそうなので出かけることにする。なお、3月31日~4月1日の週末はちょうど関西のあちらこちらで桜が満開である。松尾寺が桜の名所とは聞かないが、まあ、境内に桜の1本や2本はあるだろう・・・。

朝6時すぎ、大阪駅に現れる。大阪から小浜線の松尾寺に行くのなら、福知山線~山陰線~舞鶴線~小浜線のルートが最短となる。自宅から始発で大阪駅に着いて乗るのは6時09分発の篠山口行き。この列車が篠山口で福知山行きに接続していて、8時31分に福知山に到着する。その後で舞鶴線に向かうとなると・・・その2分前の8時29分に出たばかりである。その次は10時18分発の東舞鶴行きとなり、終点の東舞鶴では2分の接続で小浜線に乗る。

福知山8時29分発の東舞鶴行きに間に合わせるには、大阪5時55分発の福知山行きに乗る必要がある。ただこれには藤井寺からでは間に合わず、どうしても乗るなら大和路線の柏原まで1時間近く歩いて、4時49分発の始発に乗ることになる。さすがにそれはどうかな・・・。

松尾寺に向かうなら、最初に書いたルートでの乗り継ぎでよい。そんな中で福知山8時29分発に乗りたいなと思ったのが、松尾寺に行くまでの間にどこか1ヶ所で途中下車しようということである。駅としては西舞鶴かなと思う。そう思って時刻表をもう少し見ると、京都からなら舞鶴線との分岐駅である綾部で乗り換え可能であることがわかる。大阪6時21分発という早朝には変わりないが、山陰線の園部~綾部で特急を利用すれば綾部で追いつくことができる。ちょっと変則的なルートとなるが、これで行ってみよう。

大阪6時21分発の米原行きに乗り、京都で下車。7時02分発の園部行きに乗り換える。4両編成だが、次々に乗客が乗りこむ。外国人の姿も目立つ。周りを見るだけでも韓国、インド、欧米と多様に亘っており、私のほうがどこかの国の列車に乗りに来たような気分である。

梅小路公園の横を過ぎる。こちらにも桜があり満開である。京都鉄道博物館の横では新駅が建設工事中である。そこから市街地を走り、嵯峨嵐山に到着。立ち客も出るほど多かった客が、外国人を含めて一斉に下車する。スマホで桜の見物スポットを検索すると、京都市街では桜がほぼ満開となっており、朝早くから嵐山や周辺の寺院なども大勢の観光客で賑わうことだろう。京都市街といえば、私が現在並行して進めている近畿三十六不動めぐりの札所が固まっているのだが、なぜかここまでくじ引き、サイコロで当たったことがない。この桜の時季もあえて避けているのかなというくらいである。

列車がガラガラとなり、保津峡に差し掛かる。トンネルを抜けた馬堀では、ホームに沿って桜並木がある。これもよいものだ。

この後、亀岡の先の千代川でもホームの桜並木が見事な眺めである。駅のホームのすぐ横というのがよい。年に数日の景色なのだが駅を利用する人、あるいは列車で通り過ぎる人たちの目を楽しませてくれる。

7時47分、終点の園部に到着。ここで8時02分発の特急きのさき1号に乗り換える。時間があるので一度改札を出て、乗車券と自由席特急券を購入。7両編成のうち自由席は中央の2両なのだが、半数以上の座席が埋まっている。通路側の席に腰掛けたが、外の様子はよく見えない。園部から綾部までが山陰線で最初のローカル区間と言えて、車窓も山並みが広がるのだが、それらはちらちらと見るだけである。

8時38分に綾部に到着。ホームが替わって、福知山から来る東舞鶴行きを待つ。やって来たのは国鉄型113系の2両編成。この辺りでも転換クロスシートの車両が増える中、昔ながらのボックス席車両である。

舞鶴線沿いにも至るところで満開の桜が見られる。途中の淵垣や真倉ではホーム横でも見られる。先ほどの山陰線から引き続いて、ローカル線の車窓で桜を愛でるわけだが、これから寺参りということで・・・桜を眺めながらの一杯はまだお預けである。

9時13分、西舞鶴に到着。ここで途中下車する。そのためにわざわざルートを変えたところもある。舞鶴見物ならこの先の東舞鶴まで行き、レンガ造りの建物や海上自衛隊の艦艇見学というのもよいが、この日はかつての城下町である西舞鶴を少し歩いてみることにする。同じ舞鶴でもまた違った表情があるようで・・・。
コメント