まつたけ秘帖

徒然なるままmy daily & cinema,TV drama,カープ日記

愛は眠らない

2014-07-21 | イタリア映画
 暑中お見舞い申し上げます
 ここ広島でも、梅雨が明けました~いよいよ夏本番です今年こそ、何だか乗り越えられそうにない悪寒、じゃない、予感がします。と毎年言いつつ、生き恥さらしながら長生きをしている私です♪
 世間では夏休みという楽しそうなものが始まってるみたいですが、あっしにはかかわりのないことでござんす。今日は海の日だったとか。ウミはウミでも、私はeveryday 膿のような日々です。
 夏といえば、夜に怖いホラー映画を見るのも一興ですね。でも私、ホラー怖くないんですよねえ。私にとって、ホラー映画の殺人鬼やモンスターよりも怖いのは、ヤバい女イタい女。その頂点に君臨する激ヤバ女王さまといえば、やはりイザベル・ユペールをおいて他にありません。彼女の冷徹さ酷薄さには、いつもゾゾっとさせらっぱなし。クールダウンにはもってこい。そこで、熱帯夜を涼しく過ごすため、イザベル・ユペール映画祭とシャレこむことにしました~♪日本未公開作品も含めた、新作旧作をピックアップおつきあいいただければ、マンモスうれPのりPです♪

 お松の独りイザベル・ユペール映画祭①
 「眠れる美女」
 17年間植物人間状態の女性エリアーナの安楽死をめぐり、イタリアでは激しい論争と抗議の嵐が渦巻いていた。そんな中、妻の生命維持装置をはずした政治家、愛娘が植物状態の大女優、患者が昏睡したまま目覚めない医師の3人も、エリアーナの運命を固唾をのんで見守っていたが…
 イタリアの名匠、マルコ・ベロッキオの作品。イタリアで実際に起きた社会問題にインスパイアされて作られた映画だそうです。
 安楽死、人間の尊厳…難しい問題ですよね~。私なんかからすると…植物人間になってまで生き永らえたくないし、植物人間じゃなくても、ボケて寝たきりとか、耐えがたい治らない肉体的苦痛とか、生きることに絶望的な状態だったら、安楽死がどれほど自分にも家族にも救いになるだろう、と思ってしまうのですが…愛する人が植物人間になったら、もちろんどんなことをしても回復させたい、死なせたくないとは願うでしょうけど、起きるあてのない奇跡を待つ苦しみと疲れに、耐えられそうにありません。醒めることのない眠りについた人も、いっそ死んだほうが楽で幸せ、なんて考えは、自分本位すぎるのでしょうか?私も今のうちに、脳死になった場合のこともちゃんと家族と話し合って、もしもの時は誰も身勝手な判断を下したと謗られたり自責することがないようにしておかねば♪
 この映画は、どちらかといえば安楽死を、人間の尊厳ある死として肯定的にとらえてる?反対している人たちをかなり異常に描いてるから、そう感じられたのでしょうか。安楽死への反対抗議デモと、夫や息子を無視して眠れる娘に執着する大女優の、常軌を逸した狂気的とも冷酷とも身勝手とも言える姿には、それでいいのか?!それが正しいのか?!と疑問を抱かされました。エリアーナや娘を思いやりることよりも、自分の信念を強硬に貫こうとしているように見えたから。これって、死刑の存置廃止問題にも似てる。死刑反対の人権派の方々って、特に光市の母子殺人事件の裁判なんか、被告人の人生を守るということよりも、国家に逆らうために躍起になってる風だったから…

 安楽死反対の民衆と大女優が敬虔なキリスト教徒だったことも、いろいろ考えさせてくれました。宗教、やっぱ怖いな~と。無宗教な私なんかから見たら、何でそこまで!?と戦慄してしまうほど。敬虔なのは悪いことではなく、むしろ美しいなあ、立派だなあ、と尊敬しますが、狂信的なのはいけません。デモとか、暴力じゃん。大女優の言動も、夫や息子にとっては精神的暴力。自分の信仰心のためには、人を傷つけてもいいの?まったく優しさや救いを感じさせない、宗教き○がいを非難・批判している映画のようにも思えました。
 安楽死や人間の尊厳について、深く考えさせられたい方には、おすすめな映画ですが。内容も暗くて救いがないし、政治家、大女優、医師の3組の物語が同時進行される構成も、意外な形で3つはつながっていた!なんて斬新でトリッキーな面白さもありません。イタリア、アナーキーな国だな!とか、ベルルスコーニ氏が真面目な顔してる!とか、ヘンな感心はしてしまいましたが。
 苦悩する政治家役は、イタリアきっての名優トニ・セルヴィッオ。シブくて濃ゆい熟年おじさま。タダモノじゃないオーラびんびん放ってます。フツーのおじさん役とか、できないのでは?今年のアカデミー賞外国語映画賞を受賞した「追憶のローマ」にも主演してますね。
 大女優役は、フランスから招かれたイザベル・ユペール。

 キャリアを捨て、娘につきっきりな母親を、ユペりんが冷ややかに演じてます。まさに冷酷な聖女。ほんとなら、優しく哀しい慈母、岩崎宏美の歌が聞こえてくるはずの聖母なのに…その表情、態度は、彼女を愛する者を傷つけ、絶望へと追いやる。夫などまったく眼中になし。大女優の母を崇拝し、自分も俳優になりたいと願ってる息子に対する、あの無関心さ冷淡さ!非道い!宗教にすがる姿も、静かに狂ってる怖さが。

 娘に献身的に自己犠牲的に尽くし、篤い信仰心で自分を律しているようですが…どうも彼女、そんな“哀しみの聖女”を、憑かれたように演じてるみたいなんですよね。憑依型の女優の自己催眠っぽさ、というか。寝たきりの娘のケアは、ぜんぶ使用人がやってくれてるので、介護地獄な日々ではない。彼女自身は、ただもう身も世もなく、そして優雅に祈ってるだけ。お金とヒマがあるんだなあと、介護してる方々からしたら羨ましいやら呆れるやら、なのでは。鏡の前を通るたびに自分の顔を一瞬見るところや、息子が眠っている娘を罵倒するのこっそり聞いてる時の、何だか熱狂的なファンの賞賛を浴びてるような満足げな表情とか、マクベス夫人の台詞を口にする寝言とか…やっぱ根っからの女優というか、娘を愛してるのでも、息子を愛してないのでもなく、ひょっとしたら愛憎の対象は演技だけ、骨の髄まで女優な女なのかな。女優とそうじゃない時の境界線がなくなってしまったのでしょうか。女優の狂気、業の深さが興味深かったです。
 大げさな動きや表情はいっさいしないけど、怖い!非道い!とゾっとしてしまうところが、さすがイザベル・ユペール。あの冷たく虚ろな瞳だけでも、フツーの女優には不可能な神技。彼女のエレガントな身のこなしやファッションも、まさに大女優の気高さと貫禄です。息子が母の若い頃の映画をTVで観ているシーンがあるのですが、そこで使われてる若かりし頃のユペりんの映像が印象的。可愛い!けど、牛を殺して血を飲む時代劇の令嬢役?!いったいどんな映画なんだよ!と気になった。イタリア語で演技してるユペりん、旦那さまが確かイタリア人なので、イタリア語も堪能なのでしょうか。
 大女優の息子役、ブレンノ・プラシドが、なかなかのイケメン!

 ちょっと若い頃のジョニー・デップ+ジェームズ・フランコっぽい?少年役なのに、男の色気が。母への憧れと、振り返ってもらえない悲しさ、痛みに満ちた瞳と表情に、胸キュンです。あんなイケメン息子、私ならほっとかないけどなあ。ママには棄てられた子犬状態でしたが、パパには別人のように超キツいのが笑えた。母と同じ俳優である父に向って、パパは演技ヘタだから!とか、大根役者!とか、だらしない男!とか、バカにしまくり。妻はあんなだし、息子はキツいし、娘は寝たきりだし、あのパパがいちばん可哀想だった。医師役の、ベロッキオ監督の実の息子であるピエール・ジョルジョ・ベロッキオも、なかなか男前でした。
 
コメント
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