「キャロル」
50年代のニューヨーク。デパートの販売員テレーズは、美しい人妻キャロルに魅了される。ひょんなことから、二人は急速に親しくなっていくが…
去年のカンヌ映画祭や、今年のアカデミー賞でも話題となった名匠トッド・ヘインズ監督の新作。
「エデンより彼方に」「ミルドレッド・ピアース」など、生々しく毒々しい女の苦悩や苦難、性をメロドラマティックに甘美に描く、というヘインズ監督の手法、手腕に、今回も濃密な時間を堪能することができました。とにかく、二人のヒロイン、キャロルとテレーズが魅力的、かつ女の悲しさ、身勝手さ、愚かさ、怖さも備えて畏怖、ドン引きもさせてくれます。
まず、ブルジョア熟女の人妻キャロル。優雅でゴージャスなマダムのファッション、オーラ、貫禄に圧倒されます。そして、一目で気に入った女の子にロックオン、さりげなくもねっとりと口説く、狙った獲物は逃がさないラブハンターぶりには、姐さんやるな~と感嘆。イヤですダメですと拒絶できない強い光、力がみなぎってましたよ。夫も子どももいるけど実は同性愛者のキャロル。でも、隠れキシリタンのようにコソコソ、オドオド秘密にしたり後ろ暗げに行動なんてことはしない。元カノと仲良くしてたり、テレーズに迫ったり、レズで何が悪いの!な誇り高い態度がカッコいい。彼女の深い苦悩も、自分自身がレズであることではなく、正直に生きることを受け入れてくれない社会に対しての怒りによるもの。後ろ指さされようと、理不尽な苦境に立たされようと、絶望とか罪悪感とか自己嫌悪などでヨヨヨと挫けたりせず、自分を偽らず闘おうとする不屈さは、まさに男気、いや、女気?な戦士のようでした。
キャロル役でまたまたオスカーにノミネートされた、今や泣く子も黙る大女優ケイト・ブランシェット。とにかく彼女、威風堂々としてて威厳がある!嫋々とした女の色気がなく、ニューハーフっぽい顔とガタイは、レズのタチ役にはピッタリでした。彼女のマダムファッションも華麗で目に楽しいです。ブランシェット姐さん、同じヘインズ監督の「アイム・ノット・ゼア」では男の役(ボブ・ディラン役)だったのも思い出されました。
テレーズ役は、カンヌ映画祭ではブランシェット姐さんを押しのけて女優賞受賞、オスカーにもノミネートされたルーニー・マーラ。可憐!清純!優しく内気で受け身なテレーズのキャラも、言えないよね~断れないよね~傷つけたくない嫌われたくないもんね~と、共感だらけでした。ただ可愛く優しいだけの娘ではなく、傷つけるのはイヤだけど傷つくのはかまわない、という情熱や強さを内に秘めていたのが、すごく魅力的でした。キャロルに魅せられ迫られてる時の、緊張感あるときめきの表情が秀逸すぎ。ダークヒロインを激演してオスカー候補となった「ドラゴン・タトゥーの女」とはうって変わった役を好演したルーニー、やはり凡百の女優ではないですね。ラブシーンでは、堂々とヌードにも。30代であの少女っぽさも驚異です。彼女が着てた服とか帽子、いま着用してもオシャレかも。めくるめく愛の歓びと哀しみを味わい、傷ついたぶん勇気と強さを得て美しく成長するテレーズは、ある意味キャロルよりもこの映画のヒロインっぽかった。なので、ルーニー・マーラがアカデミー賞で助演女優賞候補だったは、ちょっと???でした。どう考えても主演なんだけどなあ。大人の事情でしょうか。
女同士のラブシーンが、ちょっと私にはキツかったです。思ってたより濃厚だったので…やっぱ私、筋金入りの腐だわ~と痛感しました。これが男同士だったら萌えまくってだろうから私、どんな絶世の美女が目前に現れても、たぶんテレーズみたいに恋に落ちたりはしないだろうし、当然のことながら美しいレズ熟女が私に関心を寄せることなども絶対にない。女同士の愛には無縁だな~。薔薇は好きだけど百合は苦手、というのも、ある意味性差別なのかもしれませんね。
今でこそLGBTは市民権を得ていますが、50年代で同性愛を貫くのは、本当に至難だったことでしょう。当時キャロルとテレーズのような決断と勇気を示した人たちの苦闘や努力が、今のLGBT権利獲得の礎となっているのでしょう。それにしても…キャロルの旦那さんとテレーズのボーイフレンドが、ちょっと可哀想だったかも。彼らのこと、狭量!とは責められないものがありました。フツーに善い人たちだったし。怒ったり反発したりするのは、むしろ当然のことではないでしょうか。ヒロイン二人よりも、傷ついて悲しんだのは男たちのほうです。愛のためなら、女のほうが男より冷酷になれるんだよな~。女って強い!怖い!と、あらためて思いました。
キャロルとテレーズのファッションだけでなく、デパートとか街並みとか家のこまごまとしたものにも、古き佳き50年代アメリカの雰囲気が出てて、手抜きがなかったです。粉雪降るクリスマスのドリーミーさも、物語を美しくする手助けとなっていました。あれがもし冬じゃなくて夏だったら、また全然ちがった感じの映画になってたでしょう。
50年代のニューヨーク。デパートの販売員テレーズは、美しい人妻キャロルに魅了される。ひょんなことから、二人は急速に親しくなっていくが…
去年のカンヌ映画祭や、今年のアカデミー賞でも話題となった名匠トッド・ヘインズ監督の新作。
「エデンより彼方に」「ミルドレッド・ピアース」など、生々しく毒々しい女の苦悩や苦難、性をメロドラマティックに甘美に描く、というヘインズ監督の手法、手腕に、今回も濃密な時間を堪能することができました。とにかく、二人のヒロイン、キャロルとテレーズが魅力的、かつ女の悲しさ、身勝手さ、愚かさ、怖さも備えて畏怖、ドン引きもさせてくれます。
まず、ブルジョア熟女の人妻キャロル。優雅でゴージャスなマダムのファッション、オーラ、貫禄に圧倒されます。そして、一目で気に入った女の子にロックオン、さりげなくもねっとりと口説く、狙った獲物は逃がさないラブハンターぶりには、姐さんやるな~と感嘆。イヤですダメですと拒絶できない強い光、力がみなぎってましたよ。夫も子どももいるけど実は同性愛者のキャロル。でも、隠れキシリタンのようにコソコソ、オドオド秘密にしたり後ろ暗げに行動なんてことはしない。元カノと仲良くしてたり、テレーズに迫ったり、レズで何が悪いの!な誇り高い態度がカッコいい。彼女の深い苦悩も、自分自身がレズであることではなく、正直に生きることを受け入れてくれない社会に対しての怒りによるもの。後ろ指さされようと、理不尽な苦境に立たされようと、絶望とか罪悪感とか自己嫌悪などでヨヨヨと挫けたりせず、自分を偽らず闘おうとする不屈さは、まさに男気、いや、女気?な戦士のようでした。
キャロル役でまたまたオスカーにノミネートされた、今や泣く子も黙る大女優ケイト・ブランシェット。とにかく彼女、威風堂々としてて威厳がある!嫋々とした女の色気がなく、ニューハーフっぽい顔とガタイは、レズのタチ役にはピッタリでした。彼女のマダムファッションも華麗で目に楽しいです。ブランシェット姐さん、同じヘインズ監督の「アイム・ノット・ゼア」では男の役(ボブ・ディラン役)だったのも思い出されました。
テレーズ役は、カンヌ映画祭ではブランシェット姐さんを押しのけて女優賞受賞、オスカーにもノミネートされたルーニー・マーラ。可憐!清純!優しく内気で受け身なテレーズのキャラも、言えないよね~断れないよね~傷つけたくない嫌われたくないもんね~と、共感だらけでした。ただ可愛く優しいだけの娘ではなく、傷つけるのはイヤだけど傷つくのはかまわない、という情熱や強さを内に秘めていたのが、すごく魅力的でした。キャロルに魅せられ迫られてる時の、緊張感あるときめきの表情が秀逸すぎ。ダークヒロインを激演してオスカー候補となった「ドラゴン・タトゥーの女」とはうって変わった役を好演したルーニー、やはり凡百の女優ではないですね。ラブシーンでは、堂々とヌードにも。30代であの少女っぽさも驚異です。彼女が着てた服とか帽子、いま着用してもオシャレかも。めくるめく愛の歓びと哀しみを味わい、傷ついたぶん勇気と強さを得て美しく成長するテレーズは、ある意味キャロルよりもこの映画のヒロインっぽかった。なので、ルーニー・マーラがアカデミー賞で助演女優賞候補だったは、ちょっと???でした。どう考えても主演なんだけどなあ。大人の事情でしょうか。
女同士のラブシーンが、ちょっと私にはキツかったです。思ってたより濃厚だったので…やっぱ私、筋金入りの腐だわ~と痛感しました。これが男同士だったら萌えまくってだろうから私、どんな絶世の美女が目前に現れても、たぶんテレーズみたいに恋に落ちたりはしないだろうし、当然のことながら美しいレズ熟女が私に関心を寄せることなども絶対にない。女同士の愛には無縁だな~。薔薇は好きだけど百合は苦手、というのも、ある意味性差別なのかもしれませんね。
今でこそLGBTは市民権を得ていますが、50年代で同性愛を貫くのは、本当に至難だったことでしょう。当時キャロルとテレーズのような決断と勇気を示した人たちの苦闘や努力が、今のLGBT権利獲得の礎となっているのでしょう。それにしても…キャロルの旦那さんとテレーズのボーイフレンドが、ちょっと可哀想だったかも。彼らのこと、狭量!とは責められないものがありました。フツーに善い人たちだったし。怒ったり反発したりするのは、むしろ当然のことではないでしょうか。ヒロイン二人よりも、傷ついて悲しんだのは男たちのほうです。愛のためなら、女のほうが男より冷酷になれるんだよな~。女って強い!怖い!と、あらためて思いました。
キャロルとテレーズのファッションだけでなく、デパートとか街並みとか家のこまごまとしたものにも、古き佳き50年代アメリカの雰囲気が出てて、手抜きがなかったです。粉雪降るクリスマスのドリーミーさも、物語を美しくする手助けとなっていました。あれがもし冬じゃなくて夏だったら、また全然ちがった感じの映画になってたでしょう。