「草原の輝き」
1928年のアメリカ、カンザス。高校生のディーニーとバッドは深く愛し合っていたが、信仰心や道徳観に一線を越えることを阻まれ苦悩していた。いつしかディーニーは精神のバランスを崩し…
草の輝くとき 花美しく咲くとき
ふたたび それは帰らずとも 嘆くなかれ
その奥に秘められし 力を見出すべし
ワーズワースの有名な詩をモチーフにした、美しくも哀切な青春映画…かと思いきや。トンデモな病みイカレ映画でした結婚するまで清らかな関係のままでいる、という貞操観念を守るカップルって今でもいるにはいるのでしょうけど、この映画のディーニーとバッドはいくら何でも異常です。ヤりたいヤリたいヤリたい!で若い心と体は悶々としてるのに、ヤっちゃダメ!ヤったら死ぬ!みたいな我慢と苦悩が、ほとんど偏執的で狂ってるとしか思えないんですよ。真剣に深く愛し合ってるんだし、ヤっちゃっても罪にはならないのでは?婚前交渉って、そんなにいけないことなの?むしろ、結婚前にお試ししたほうが、結ばれた後に性生活の不一致で深刻な事態に、なんてことにならずにすむのでは。そんな考え方、軽すぎるのでしょうか。とにかく私なんからしたら、ディーニーとバッドは必要以上に恋愛や人間関係、人生を重くしてる、周囲にも迷惑なめんどくさいカップルです。
セックスにカジュアルなイメージのアメリカ人だけど、異様なまでに性に厳格な人々も多いみたいですね。私のような無宗教の日本人からしたら、キリスト教の影響って救いどころか恐ろしい呪縛としか思えません。信仰に篤すぎる人って、ほんとヤバすぎる。何でそんなに他人も自分も苦しめ傷つけるのか、私なんかは理解不可能です。信仰心と思春期の不安定な情緒のダブルパンチで、どんどんコワレていくディーニーの狂態に戦慄。もうセックスしてスッキリしようよ~と心底思った。ヤリすぎもよくないけど、異常な禁欲、抑圧は心身にはさらに毒です。何でもほどほどが健全!
ディーニーのイカレっぷりは、ほとんどホラーです。悪いものに憑かれたようで、エクソシストも真っ青。A、BまでいってもCができず、あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ~♪でもやっぱ、ダメよダメダメ!な錯乱の繰り返しとか、バスルームでの精神分裂など、やっぱ彼女とは深入りしないほうがいいかもとゾっとする、ヘヴィなメンヘラっぷりです。場所選ばずの狂乱狂態、入水自殺未遂、精神病院送り…怒涛の勢いで進行するディーニーの病み青春に圧倒されます。
ディーニーに翻弄され周章狼狽、寸止めを食らいまくるバッドが哀れ。脳みそまでチ◯コなはずの年頃で、あの我慢、忍耐は超人的。ディーニーはあんなだし、家族もあんなだし、フツーならグレるか鬱病になりますよ。他の女の子との浮気とか大学中退とか、ごく当たり前な弱さです。すべてにおいて恵まれた少年なのに、周りの連中のせいで不幸になるなんて理不尽!ディーニーは母親、バッドは父親。二人のイビツな溺愛は、ほとんど精神的虐待。独善的で支配的な愛を押し付けてくる毒親って、古今東西の家庭問題です。
ディーニー役を大熱演し、アカデミー賞の主演女優賞にノミネートされたナタリー・ウッド。美人!だけど、高校生役には無理があったような。大人っぽすぎる、色っぽすぎる。身悶え演技、ヒステリー演技は鬼気迫る迫力です。バッド役は、これが映画デビューのウォーレン・ビーティ。数々の秀作・問題作の主演&監督、数々の魅力的な女優や歌手と浮名を流した、ハリウッドきっての実力者で遊び人だった彼ですが、若い映画ファンにとっては“アカデミー賞で誤発表をした爺さん”ですね当たり前ですが、わ、若い!彼も高校生には見えないし、エッチを我慢する生真面目で繊細な童貞にも見えません。イケメンだけど、眠そうな目やぽってりした唇など、どこかユル~い感じが悩める少年役にはミスキャストな感じが。もうちょっとストイックで思いつめた風情が魅力の美青年がよかったかも、と思いつつ、厳しい試練を受け入れ乗り越えるバッドは、やはり明るくたくましいアメリカ人らしさが光る俳優が演じるべき役なのかな、とも。
1928年のアメリカ、カンザス。高校生のディーニーとバッドは深く愛し合っていたが、信仰心や道徳観に一線を越えることを阻まれ苦悩していた。いつしかディーニーは精神のバランスを崩し…
草の輝くとき 花美しく咲くとき
ふたたび それは帰らずとも 嘆くなかれ
その奥に秘められし 力を見出すべし
ワーズワースの有名な詩をモチーフにした、美しくも哀切な青春映画…かと思いきや。トンデモな病みイカレ映画でした結婚するまで清らかな関係のままでいる、という貞操観念を守るカップルって今でもいるにはいるのでしょうけど、この映画のディーニーとバッドはいくら何でも異常です。ヤりたいヤリたいヤリたい!で若い心と体は悶々としてるのに、ヤっちゃダメ!ヤったら死ぬ!みたいな我慢と苦悩が、ほとんど偏執的で狂ってるとしか思えないんですよ。真剣に深く愛し合ってるんだし、ヤっちゃっても罪にはならないのでは?婚前交渉って、そんなにいけないことなの?むしろ、結婚前にお試ししたほうが、結ばれた後に性生活の不一致で深刻な事態に、なんてことにならずにすむのでは。そんな考え方、軽すぎるのでしょうか。とにかく私なんからしたら、ディーニーとバッドは必要以上に恋愛や人間関係、人生を重くしてる、周囲にも迷惑なめんどくさいカップルです。
セックスにカジュアルなイメージのアメリカ人だけど、異様なまでに性に厳格な人々も多いみたいですね。私のような無宗教の日本人からしたら、キリスト教の影響って救いどころか恐ろしい呪縛としか思えません。信仰に篤すぎる人って、ほんとヤバすぎる。何でそんなに他人も自分も苦しめ傷つけるのか、私なんかは理解不可能です。信仰心と思春期の不安定な情緒のダブルパンチで、どんどんコワレていくディーニーの狂態に戦慄。もうセックスしてスッキリしようよ~と心底思った。ヤリすぎもよくないけど、異常な禁欲、抑圧は心身にはさらに毒です。何でもほどほどが健全!
ディーニーのイカレっぷりは、ほとんどホラーです。悪いものに憑かれたようで、エクソシストも真っ青。A、BまでいってもCができず、あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ~♪でもやっぱ、ダメよダメダメ!な錯乱の繰り返しとか、バスルームでの精神分裂など、やっぱ彼女とは深入りしないほうがいいかもとゾっとする、ヘヴィなメンヘラっぷりです。場所選ばずの狂乱狂態、入水自殺未遂、精神病院送り…怒涛の勢いで進行するディーニーの病み青春に圧倒されます。
ディーニーに翻弄され周章狼狽、寸止めを食らいまくるバッドが哀れ。脳みそまでチ◯コなはずの年頃で、あの我慢、忍耐は超人的。ディーニーはあんなだし、家族もあんなだし、フツーならグレるか鬱病になりますよ。他の女の子との浮気とか大学中退とか、ごく当たり前な弱さです。すべてにおいて恵まれた少年なのに、周りの連中のせいで不幸になるなんて理不尽!ディーニーは母親、バッドは父親。二人のイビツな溺愛は、ほとんど精神的虐待。独善的で支配的な愛を押し付けてくる毒親って、古今東西の家庭問題です。
ディーニー役を大熱演し、アカデミー賞の主演女優賞にノミネートされたナタリー・ウッド。美人!だけど、高校生役には無理があったような。大人っぽすぎる、色っぽすぎる。身悶え演技、ヒステリー演技は鬼気迫る迫力です。バッド役は、これが映画デビューのウォーレン・ビーティ。数々の秀作・問題作の主演&監督、数々の魅力的な女優や歌手と浮名を流した、ハリウッドきっての実力者で遊び人だった彼ですが、若い映画ファンにとっては“アカデミー賞で誤発表をした爺さん”ですね当たり前ですが、わ、若い!彼も高校生には見えないし、エッチを我慢する生真面目で繊細な童貞にも見えません。イケメンだけど、眠そうな目やぽってりした唇など、どこかユル~い感じが悩める少年役にはミスキャストな感じが。もうちょっとストイックで思いつめた風情が魅力の美青年がよかったかも、と思いつつ、厳しい試練を受け入れ乗り越えるバッドは、やはり明るくたくましいアメリカ人らしさが光る俳優が演じるべき役なのかな、とも。