ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

うたうミサコのピアノ

2010年09月13日 | 音楽とわたし
昨日は被爆ピアノによるニューヨークコンサートの最終日でした。
打ち上げの途中、名残惜しい気持ちを振り切って家に戻り、夜中の2時半までかかって書いた記事が、投稿ボタンを押した途端にどこかに消えてしまい、泣きそうな気持ちで探してみたのだけれど復活せず、かといって書き直すエネルギーも残っておらず……呆然としたまま眠ったのでした。
だから、悔しいので、昨日の時点での現在完了形で書きたいと思います。


今日は『被爆ピアノコンサート IN NEW YORK』の最終日です。
平日の4時に集合、ということで、今回はひとりで電車に乗って向かいました。
マンハッタンと近郊のニュージャージーの町を結ぶ電車は、渋滞の心配をする必要のないありがたい存在なのだけど、渋滞無しの車よりも時間がかかる、まことにゆったりとした走りをモットー?としています。
延々と続く湿地帯と工場の風景。これもニュージャージー州の特徴だと言われています。



住宅街がある所は、まるで山の中のように緑がいっぱい。ガーデンステート(公園の州)と呼ばれる所以です。
が、一方では、様々な臭いが広い範囲で漂う地域も広いので、アームピッツステート(脇の下の州)と呼んでバカにする人もいます。

今日もいい天気。国連ビルが青空に映えて美しい。



今日の演奏会場は、国連ビルの真向かいにある、とても清楚でフレンドリーな、国連チャーチセンターです。



最後の演奏会を前に、調律に余念のない矢川さん。



会の進行をチェックする総合責任者の竹本さん。



もう最後になっちゃいましたね。淋しいですね。このまま続ける、なんて不可能なことだとわかっているけれど、別れたくないですね。

演奏者同士、顔を合わせるとこんなことを言い合いながら、4日間の、心の奥深いところで触れ合えた、長いようで短かった時間を思いを馳せながら、それぞれがそれぞれのベストを尽くし、お客さまにもとても喜んでいただけたと思います。

戦争の愚かさを、音楽の素晴らしさを、すてきな声で語ってくださった飯島さん。
『ミサコの被爆ピアノ』のお話に、自分で作った音楽を添えて、いつか飯島さんと一緒に演じることができたらなあと夢想しています。

スタンディングオベーションをしないわけにはいかない気持ちを、聞いているすべての人に持たせる歌を聞かせてくれた柴田さん。
いろいろな困難を乗り越えてきた柴田さんだからこそ、心のひだのすみずみにまで触れ、揺さぶることができるのですね。
今度また、一緒に演奏させていただける日を、心から楽しみにしています。

ずっと被爆ピアノに寄り添って演奏されてきた向井さん。
被爆ピアノに優しく語りかけるように歌う北村さん。
広島在住の彼女達はこれからも、被爆ピアノと一緒にいろんな所に出向き、平和への祈りを広めるために演奏していかれるのでしょう。

毎日新聞の記者として取材に来られながら、ピアノの演奏まで披露された矢島さん。
また次回は演奏者として参加されることを楽しみにしています。『さくらさくら変奏曲』、すてきでした。

ボストン在住の歌手あゆみちゃん、りさちゃん、ひろみちゃん。
のびやかで優しい、けれども力強い声を聞かせてくれてありがとう。あなた方の心のこもった歌声のひとつひとつを、ピアノも楽しんでいるようでした。

西海岸在住のみさとさん。
キラキラとしたピアノの音がすてきでした。ブラームスのあの曲、ぜひぜひトライしてみてください。

地元で平和のための活動に人生を捧げているディーナ。
『ピース・オン・アース』の歌がまだ頭の中でぐるぐる回っています。
あなたがピアノのお腹に向かって歌った時、その声をピアノが嬉しそうに受け取って、今度はピアノが歌い出しました。素晴らしい瞬間でした。

同じく地元からのラッセル。
『Tower of Light』の歌を聞くたびに、あの日ウエストエンドの通りに立って、灰色の煙にすっぽりと覆われた街を見上げていたわたしを思い出します。

ニューヨーク在住の大江千里さん。
本願寺での大江さんの即興演奏が、即興とは思えないほどに、わたしの心の中にしみ込んでいます。
『ミサコの被爆ピアノ』のお話の中の、原爆が落ちた瞬間が語られていた時に、たった一音、高い音を選ばれた大江さんを気持ちを受け取ったピアノ。その一音に、言葉では言い尽くせない、原爆で命を絶たれた方々の叫びが集約されているように思いました。

そして原田真二さん。
あなたの気さくな、けれどもとことんプロフェッショナルな姿を、短い期間でしたが目の当たりにすることができました。
わたしがつい、軽い気持ちで、原田さんのことを「芸能人だから」と言った時、「僕は芸能人じゃ無い。決して無い!」と、真剣に抗議されてびっくりしたけれど、その言葉の中に、とても大きな意味があると感じました。
原田さんはいつもトリを務めなくてはならないのだけれど、いつだって他の出演者と一緒の所に座って待ち(それが半端な時間ではなくてとても長い!)、待ち疲れてヘトヘトになっているはずなのに、元気一杯で登場し、瞬時にその場をHARADAワールドにしてしまう。そのプロフェッショナル魂を間近に見ることができて幸せでした。


このニューヨーク公演の実現に向けて、多大な協力をしてくださった中垣住職。大阪弁で話せて心がほっこりしました。



住職の著書『マンハッタン坊主 つれづれ日記』、たくさん売れるといいですね。

会場の熱気から離れて街に出ると、空気がとても澄んでいました。
演奏会が始まる直前に大きな雷が鳴り、とてもたくさんの雨が降ったようです。



最後の打ち上げを、コリアン街のレストランでしました。

『ミサコのピアノ』は、当時のままに残されている、とても貴重なピアノなのだと、そこで初めて知りました。
今でも、初めて鍵盤を触った時の感触、押した時のショックが、鮮明にわたしの指先に残っています。

あなたはどんなふうに歌いたいの?

ピアノの方から、あんなふうに、あれほど直接に、尋ねられたことが無かったわたしは、本当に驚いて狼狽えてしまいました。
けれども、耳だけじゃなく、心を澄ませてピアノの言葉を聞いているうち、ピアノはわたしを抱きしめようとしてくれているのだとわかりました。
そうしてひとつになって、わたしの歌をピアノが歌い、ピアノの歌をわたしが歌う。そんなふうに、とても楽しい共同作業ができました。

最後の日、曲の真ん中あたりで突然、もうこれでお別れなのか……と胸がいっぱいになってしまい、歌が途切れてしまいました。
それで、しばらくミスタッチが続いたのだけれど、そんなこと無いよ、また会えるんだから、さあ歌おうと、ピアノに引き戻してもらいました。


このような、本当に素晴らしい企画を作り、それを実行してくださった竹本さん、矢川さん、中垣住職、山中さん、本当にありがとうございました。
そして、その実現のために無償で支えてくださったボランティアの皆さん、重いカメラを担ぎ、長い時間立ち回っておられた撮影隊の皆さん、ニューヨークの関係者の皆さん、そして演奏者達、本当にお疲れさまでした。おかげでとても素晴らしい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

このチャンスをつかむきっかけをくれたブログ友達のみなさん、わたしと一緒にドキドキしながら応援してくれた読者の皆さん、急なお知らせだったにも関わらず、直接会場まで聞きに来てくれた文恵ちゃん、伸子さん、すがこさん、そして中山ファミリー、そしてあさこ、本当に嬉しかったです!ありがとうございました。

そして最後に、こんな機会を見つけても、ピアノが弾けなかったら参加できませんでした。
わたしにピアノをきっちりと学ぶチャンスを与えてくれた両親、うるさい練習を我慢して聞いてくれた弟、出来の悪い生徒のわたしを忍耐でもって教えてくださった先生方、家事やなんやかや全部を放っといて、あれやこれやと試行錯誤しながら練習するうるさいピアノの音を、我慢してくれた家族、特に付き人までやってくれた旦那、

わたしは本当に幸せ者だと思います。心から感謝!
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革靴味のパン

2010年09月13日 | ひとりごと
コンサートが続いている。
今日は最終日。朝早くから、コネチカット州にある日本人学校でコンサートが開かれている。
わたしはその後、国連ビルの教会に移動されたピアノを弾かせていただくことになっている。
最終日の、一番疲れている日に二回公演。ピアノの移動もさることながら、重いカメラを背負って立ち回っている方々の疲労はすごいだろうと思う。
あともう少し!微々たる手伝いではあるけれど、わたしにできることをさせてもらおうと思っている。


さて、ここでちょっと、音楽やコンサートのことではないお話をひとつ。

それは、ある可哀想な黒ごまパンのお話。

一昨日の灯籠流しの日、旦那は、わたしと一緒に電車に乗って、会場のピア40付近の地下鉄駅まで一緒に来てくれたのだけど、それからは別行動だった。
彼は今までずうっとずうっと買い替えたかった靴を買ったり、ウェストヴィレッジの町の散策に出かけて行った。
やっと念願の、足に合う気に入った靴を二足手に入れ、おまけにチャイナタウンで格安のヘアカットも済ませ、なかなかのご機嫌で会場にやってきた旦那。
それからスパニッシュのレストランに行き、すっかり酔っぱらいと化した女をなだめながら、少しでも気を落ち着かせようと入った喫茶店に、その黒ごまパンはあった。

また地下鉄に乗り、折しも、電車より格段に便利なバスは、ストライキに突入していて利用不可能。週末は二時間に一本しかないトホホな電車に乗って家に帰った。
わたしはまだ少し酔いが残っていて、家に着いた頃には頭がちょいと痛み出していた。

昨日の朝、旦那のいれてくれたコーヒーと黒ごまパンを食べるのを楽しみに起きた。
キッチンに入ってパンを探すと……あらへんやん?
イヤな予感がして、玄関を入ってすぐの所にある物置の場所に行くと、そこに昨日旦那が買った靴を入れた紙袋があり、それを見た途端、もっともっとイヤな予感雲がムクムクと胸の中にわき上がってきた。

旦那はいつも、箱やら袋やらの、どうせゴミになるものを嫌うので、靴はきっと生か、薄い紙で包んであるだけだろう。

その通りであった。袋の中の二足の靴は薄っぺらい紙で軽く包まれていて、そのすぐ上に、わたしの愛しの黒ごまパンの入った小さな袋が、居心地悪そうにチョコンと乗っかっていた。

モォ~……と思いつつ、なにせ酔っぱらっていただけにえらそうに文句も言えず(言ったけど……)、袋から出して軽くトーストした。
すると……トースターから、なんだか奇妙な匂いが漂ってきたではないか?なんだ?
まさか……と思った。いや、単にそう思いたかったのだと思う。信じたくなかったんだと思う。
それはまさしく、皮靴の匂いだった。いや、革靴に塗り込められたクリームと革の匂い、と言うべきか。
でも多分、それはきっと、パンの外側だけのことであって、食べたら大丈夫だろう。と思いたかったわたしは、思い切ってひとかじりしてみた。
もぐもぐ、もぐもぐ。

うへぇ~!!
恐るべし革靴!マズ過ぎ!革靴味のパン

またひとつ学んだような気がする。人生はかくもすばらしい失敗と学びと前進の連続なのだ!そうなのだ!これでいいのだ
コメント (4)
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