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ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

モーツァルトはいかが?

2010年09月02日 | ひとりごと
旦那は明日から四連休。
『レイバーデー』(労働者の日)という、毎年9月の第一月曜日にあたる祝日があります。
労働者とその家族に敬意を表し、労働者の団結を強めるための日なのだそうです。日本のメーデーにあたるのでしょうか。

このレイバーデーを境に、夏が終わる。
そんな感覚が、十年もここに暮らしているとしみついてきました。
日本の子供達のような大量の宿題も無いまま、3ヶ月もの休みをのんびりと過ごしたこちらの子供達も、このレイバーデーの翌日から学校に戻ります。
息子達が学生だった頃は、毎年この頃になると、新しい学年の文房具を買いにあちこちに出かけたりしたけれど、今はもうそんなことをする必要も無くのんきなもんです。

今週はじめから急に上がった気温も明日のハリケーンで一荒れした後グンと下がり、一気に秋に突入の気配が濃厚です。
といっても今日はまだまだ暑い。35℃を超えています。
そんな昼間に、少し窓を大きめに開けて、練習の合間にモーツァルトのソナタを数曲、適当にページを開いて弾いてみました。
ピンキーが聞いてくれたらいいなあ、と思いながら。
2曲ぐらい弾き終わったところで、ふと窓の向こうを見ると、プールサイドに置かれた椅子に、タオルケットをお腹にかけた彼女が座っていました。
ああ、聞きに外に出てきてくれたんだ。
彼女のために、できるだけ穏やかな曲を選んで、それからもしばらくモーツァルトを弾きました。


さて、会社員の息子Tも明日からの四連休。前祝いに今夜は飲み会だと言っていました。
彼は今日、買ったばかりの定期券を落としてしまい、少しだけ落ち込んでいます。うちで一番のお金持ちのくせに。ふん。

息子Kは、今日も大学。なぜだか彼の大学は始まりが早くて、今年もわたしが知らない間に始まっていました。
最近やけに昼間っから出て行くので、今日はとうとう「どこ行くん?」と聞くと、「大学やん」と言われてしまいました。

そんな大ボケなわたしと、休みでウキウキしている旦那の夕飯。



これは旦那が作ってくれました。たっぷりのオリーブ油とおろしニンニクと塩こしょう少々。それだけです。
庭の草花のお水やりを頼んだところ、トマトが鈴なりに生っているのを見つけた旦那。
親友デイヴが生前教えてくれた、とってもシンプルだけどトマトそのものを楽しめる一品です。



これはわたし。ニンニクと生姜をごま油で炒め、そこにお豆をジャッと投入。お醤油をちょいとふりかけただけのもの。

それに小さな鮭の身をバターで焼いたのをいただきました。

ほんまにハリケーン、来るんかいな?と大いに疑問を感じてしまうきれいな夕焼け。



先のトマトの写真ですが、旦那はこれを作ってからすぐにカメラで撮っていました。
え?彼もとうとうブログ親父か?と思いきや、このトマト料理にまつわるデイヴの思い出と一緒に、デイヴの息子ガブリエルにこの写真を送っていました。
なんだかあたたかな気持ちになりました。


またまたおまけに、眼鏡ネコ。



なにすんねんな~もぉ~、ええかげんにしぃにゃ~。
コメント (6)
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ヒトとイルカと欲望と

2010年09月02日 | 世界とわたし
昨日、無料のネット配信を利用して、旦那と映画『コーヴ』を観た。
偶然にもその日9月1日は、かの地、太地町の捕鯨漁解禁の日だった。



この映画については、賛否両論、上映するのしないのと騒ぎになっていたし、その時に報道された記事もいろいろと読んだ。

実際に観た後で、旦那と少しだけ話した。

「牛と密接に暮らしを共にしている人達にとっては、牛との会話も可能だし、愛しているだろうしね」
「こないだの口蹄疫騒動の時だって、自分の子供がちゃんと死んでしまうのを見届けてから死んだ母牛もいたしね」
「知能が高いっていっても、それはあくまでも人間が人間のことを一番知能が高い存在だと上から見下ろしてる考え方だし」
「結局、一番訴えたいことはなんだったんだろうね。イルカを虐げるショーや水族館の撲滅なんだろうか」

あの、真っ赤な血に染まった入り江は、誰の目にもおぞましい光景として心に焼き付いただろう。
けれどもわたしは、あんな残虐なことが人間に出来るなんて……などとは思わなかった。
人間はもっともっと残酷だ。あちこちで、それも毎日、とんでもない数の動物が殺されて、とんでもない量の血が流れている。
実際に、食肉用の場に行って、殺戮の様子を目の当たりにした人は、二度と肉を食べたくなくなると聞いた。
わたしは一度、ついさっきまで追いかけっこをして遊んでいたニワトリが首をギュッと絞められ、鉈でパツンと頭を切り落とされ、逆さにして血を全部抜き出され、羽根をブチブチ抜き取られている様子を目の前で見たことがある。
そのすぐ後に出てきた鶏肉をさすがに食べることはできなかったけれど、それからしばらく経って思い出が薄まると、もうすっかり忘れて平気で食べていた。

人間という生き物は、こんなふうにいろんなことを無視しながら、たくさんの問題を自分の都合のいいように考える。
この映画もまた、そのいい例のひとつかもしれないなあ、などと思いながら観た。

ただ、今までまるで知らずにいたことを書き出しておこうと思う。これには、ほとんど同じ感を抱いた、ある方のブログの内容を引用させていただく。無断ですみません。

1.イルカの肉を食用にしているということ。しかも、映画の中で示唆していたように、鯨肉に誤魔化して販売しているのが本当ならば、それは食肉販売の法律に違反している。
 
2.イルカの肉には2000PPMもの水銀が蓄積されていて、このまま食べ続けると第二の水俣病をひき起こす可能性があるということ。でもまあ、こういう種類の映画では、数字や%はかなり誇大されている可能性もあるので、頭から信じてはいない。

3.太地町のイルカが、世界各地の水族館などでやるイルカ・ショウに送られている。
 
4.水族館などに引き取られないイルカを食肉用にしている。
 
5.イルカを出来るだけ苦しませないで殺そうと、最近は銛での一突きで即死させられる技術を開発した。
撮影禁止の措置は、スペインの闘牛のような、なぶり殺しを見せ物にしないためのもので、そのために立ち入りを禁止している。
 
6.イルカ・ショウに使われるイルカは、狭い飼育場で相当なストレスに苛まれ、水族館の調教担当者は餌に混ぜて胃潰瘍防止の薬を与えている。



『わんぱくフリッパー』は、子供の頃に観たテレビ番組の中で断トツに好きな番組だった。
そばかすだらけの男の子サンディとフリッパーの、なんとも微笑ましい交流が、うらやましくてならなかった。
あの番組の中でフリッパー役をした5頭のイルカを調教していた男性が、イルカの本当の幸せとは何か、ということにある日ハタと気がついて、それまでの自分の行いを悔い改めるために今の活動を始めたと言っていた。

それならばまず、イルカショーをこの地球上から一つ残らずやめさせるのが先決で、その世界の内幕をじっくりと調べ上げたドキュメント映画を作り、それを世界に配信するべきだと思う。
そうすれば、需要が無くなってしまった太地町の漁は、自ずからその形を変えざるを得なくなるのではないだろうか。



ここからは、また別のある方のブログからの抜粋。

『太地町の捕鯨と、鯨漁師の話を書いた人がいる。
その人というのは、環境保護活動でも有名な作家、C.W. ニコル氏。『勇魚』という名の小説だ。
この本を書くため、ニコル氏は二年間ほど太地町に移り住み、町の歴史や捕鯨にまつわる事柄を徹底的に調べあげ、繊細で美しく感動的な作品を仕上げた。

ニコル氏の作品に対する向かい方に比べると、映画の内容はともかく、監督をはじめとするこの映画スタッフのやり方は、あまりにも乱暴だとしかいいようがない。
ロケ隊が太地町のイルカ漁を隠しカメラで撮るまでの過程は、数々の特撮用の小道具や新兵器が用意された。
さらには撮影のためのスタッフとして、素潜り世界記録を持つ夫婦や、世界一の高層ビルのてっぺんまで登った冒険家などが集められる。
まるで『ミッション・インポッシブル』……。
でも……どうして世界一高いビルのてっぺんに登った冒険家が必要だったのだろう……この映画の中の最大の疑問だ』



とにかく、思いつくままいっぱい書いたけれど、いろいろ考えさせられた映画ではあった。

もう、イルカのショーは観に行かないようにしよう。
そして、イルカを観ても、あ~きゃ~わいぃ~!などと奇声を上げないようにしよう。

それがせめてもの、イルカをただの一度も食べたいと思ったことがないとしても、肉食であるわたしが、共にこの世で生きている同士として果たせる義理だと思うから。




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