シンガーミシンはわたしにとって、とても懐かしいミシン。
父方の祖父母は紳士服の仕立て屋を営んでいて、その家の通りに面した四角い部屋は、コの字の壁沿いにずらりとミシンが並んでいた。
一台一台のミシンには、決まったお針子さんが座っていて、足踏みも軽やかに、カタカタという小さな音をたてて、一日中縫い物をしていた。
そのミシンがすべてシンガーミシンだった。
毎日、使った後にきちんと手入れされていたミシンはどれも、黒光りしていて、近づくとフンと機械油の匂いがした。
幼稚園児だったわたしは、そのミシンを使ってみたくてたまらなかったのだけど、おばあちゃんに厳しく止められていたので、近づくこともできなかった。
ある日、なぜだか仕事場には誰も居なくて、おばあちゃんも表の軒先で近所の人と話し込んでいて、わたしはその、少し薄暗い部屋にそっと忍び込んだ。
そしてミシンにそぉっと近づいて行き、お針子さんの椅子をお尻でグイッとどかし、お姉さん達がやっていたように、見よう見まねで、そこにあった布を縫おうと、脚踏みに片足を乗せてぐっと踏み込んだ。
ところが、何も知識の無かったわたしは、糸押さえを下げないまま布に手を置いて踏み込んだので、布と一緒につられて動いていったわたしの右手の人差し指に、ぶっといミシン針がブツブツと刺さっていった。
あまりの痛さにあげたわたしの悲鳴を聞いて、おばあちゃんが家の中に飛んで入ってきた。
5針ほど縫われたわたしの指を見て仰天し、なにやら怒鳴りながら、とにかくその、拷問のような状態からわたしを救い出してくれた。
そしてわたしをおぶって、すごい勢いで病院に駆け込んでくれた。
おばあちゃんの背中は骨だらけで、足が地につくたびにゴツゴツとほっぺに当たって痛かった。
けれど、そんな痛さより、「あんたはアホや!あんなに触ったらあかんでっておばあちゃんが言うてたのに、ほんまにアホや!女の子やのに、こんな傷つけて、どないすんの!指動かんようになったらどないすんの!」と、ものすごく怒った声で言われたことの方が痛かった。
おばあちゃんに叱られたのは、それが最初で最後。
おばあちゃんとわたしは同じ誕生日で、それが毎年桜の満開を迎える時期だったので、「わたしらは桜の神さんの子やな。おんなじ誕生日っていうのはすごく特別やねんで。そやからわたしはまうみが一番好きや」と、いつもニコニコしてそう言いながら、庭から見える、見事な桜のトンネルを二人並んで眺めていた。
大抵の親戚は、気の利かない本ばかり読んでいる変な幼稚園児のわたしより、三つも下なのに愛想のいい三才の弟の方を気に入っていて、だからわたしは余計におばあちゃんっ子なのだった。
桜の老木の木の下に立ち、あんたもこっちにおいでと、にっこり笑って手招きしているおばあちゃん。
おばあちゃんを思い出す時はいつもその姿。
一度、本格的に死にかけた時、三途の川(といっても、とても幅の狭い、小川のような、けれども滅茶苦茶きれいな水だった)の真ん中あたりまで入って行った時、「まうみ!まうみ!」と、だんだん大きくなる声で呼び止めてくれたおばあちゃん。
いつだって見守ってくれている。ミシンと一緒に思い出したおばあちゃんのこと。
父方の祖父母は紳士服の仕立て屋を営んでいて、その家の通りに面した四角い部屋は、コの字の壁沿いにずらりとミシンが並んでいた。
一台一台のミシンには、決まったお針子さんが座っていて、足踏みも軽やかに、カタカタという小さな音をたてて、一日中縫い物をしていた。
そのミシンがすべてシンガーミシンだった。
毎日、使った後にきちんと手入れされていたミシンはどれも、黒光りしていて、近づくとフンと機械油の匂いがした。
幼稚園児だったわたしは、そのミシンを使ってみたくてたまらなかったのだけど、おばあちゃんに厳しく止められていたので、近づくこともできなかった。
ある日、なぜだか仕事場には誰も居なくて、おばあちゃんも表の軒先で近所の人と話し込んでいて、わたしはその、少し薄暗い部屋にそっと忍び込んだ。
そしてミシンにそぉっと近づいて行き、お針子さんの椅子をお尻でグイッとどかし、お姉さん達がやっていたように、見よう見まねで、そこにあった布を縫おうと、脚踏みに片足を乗せてぐっと踏み込んだ。
ところが、何も知識の無かったわたしは、糸押さえを下げないまま布に手を置いて踏み込んだので、布と一緒につられて動いていったわたしの右手の人差し指に、ぶっといミシン針がブツブツと刺さっていった。
あまりの痛さにあげたわたしの悲鳴を聞いて、おばあちゃんが家の中に飛んで入ってきた。
5針ほど縫われたわたしの指を見て仰天し、なにやら怒鳴りながら、とにかくその、拷問のような状態からわたしを救い出してくれた。
そしてわたしをおぶって、すごい勢いで病院に駆け込んでくれた。
おばあちゃんの背中は骨だらけで、足が地につくたびにゴツゴツとほっぺに当たって痛かった。
けれど、そんな痛さより、「あんたはアホや!あんなに触ったらあかんでっておばあちゃんが言うてたのに、ほんまにアホや!女の子やのに、こんな傷つけて、どないすんの!指動かんようになったらどないすんの!」と、ものすごく怒った声で言われたことの方が痛かった。
おばあちゃんに叱られたのは、それが最初で最後。
おばあちゃんとわたしは同じ誕生日で、それが毎年桜の満開を迎える時期だったので、「わたしらは桜の神さんの子やな。おんなじ誕生日っていうのはすごく特別やねんで。そやからわたしはまうみが一番好きや」と、いつもニコニコしてそう言いながら、庭から見える、見事な桜のトンネルを二人並んで眺めていた。
大抵の親戚は、気の利かない本ばかり読んでいる変な幼稚園児のわたしより、三つも下なのに愛想のいい三才の弟の方を気に入っていて、だからわたしは余計におばあちゃんっ子なのだった。
桜の老木の木の下に立ち、あんたもこっちにおいでと、にっこり笑って手招きしているおばあちゃん。
おばあちゃんを思い出す時はいつもその姿。
一度、本格的に死にかけた時、三途の川(といっても、とても幅の狭い、小川のような、けれども滅茶苦茶きれいな水だった)の真ん中あたりまで入って行った時、「まうみ!まうみ!」と、だんだん大きくなる声で呼び止めてくれたおばあちゃん。
いつだって見守ってくれている。ミシンと一緒に思い出したおばあちゃんのこと。