ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

両親&息子Tのニューヨークデビュー

2010年09月18日 | 家族とわたし
旦那の両親が、マンハッタンはセントラルパークのすぐ横、ダコタハウスのお隣に引っ越してきた。

といっても、丸々の引っ越しではなくて、セカンドハウスとして。

わたし達がブロックパーティに行っている間も、うちで歌の練習をしていたあさこと一緒に3人で、いざいざマンハッタンへ!



いつ見てもやっぱり雰囲気のあるダコタハウス。



あさこの言うことにゃ、ヨーコ・オノはこの建物の60%を所有していて、彼女がオッケーする人でないと住めないのだそうだ。なんてこった。

で、ほんとのお隣。



玄関口はまるでホテルのよう。



1960年からの、超アンティークなオーブンとガスコンロ。コンロは引き出しになっていて、使う時だけ引っ張り出します。コンロの前にはまな板のような板と、あっつい鍋やフライパンを置けるステンレス板。めちゃくちゃかっこいぃ~!



「もしかしたらこれは新しい物と入れ替えるかも」という母に、「そんときゃ売ってね」とお願いしておきました。

天気もいいし、屋上でワインを飲もうぜ~!と、ワイングラスを各自持ってエレベーターで38階へ。
屋上手前の階段の踊り場に、でっかい注意書きのパネルがあって、ふむふむ、と読んでいると、ワインもグラスも、思いっきり禁止されてしまっておりました。
せっかくなので、景色でも楽しもうと外に出ると、絶景ぃ~!!



ダコタハウスを上から見下ろしたのは初めてです!ヨーコさん、あなたはどこで暮らしているんでしょか?



セントラルパークも全景が見渡せました。



みんな、最後の夏を楽しんでます。




今日は息子Tの引っ越しが始まりました。
まずはこの家の掃除をして、何週間もためにためていた洗濯をして、パッキングをして、向こうに行って軽く掃除をしながら寸法を計る。
 
旦那母は、昨日からマンハッタン入りしていて、部屋の造り置きの棚のペンキ塗りの後始末や掃除をしていました。
父は仕事が忙しくて来られなかったので、母がひとり、ペンシルバニアからマンハッタンまで運転して来たそうです。

わたしは自分の仕事と練習でいっぱいいっぱいで、どちらの引っ越しの手伝いもできませんでした。

息子も母も、いろいろやらなければならなくて大変です。
それで疲れているのだけれど、新しいことは楽しくて、刺激があって、ワクワクドキドキしているのがそばでいるだけでわかります。

2010年9月。両親と息子が、ピッカピカのニューヨーカー1年生になりました。







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米国ブロックパーティ事情

2010年09月18日 | 米国○○事情
この通りに引っ越してきて早1年と3ヶ月。
これまで何回も誘ってもらっていたにも関わらず一度も行ってなかったブロックパーティに、今日は初めて参加しました。

ブロックパーティというのは、通りの一区画の端から端までを道路封鎖して、その通りに住む家族が一同に集まり、それぞれのお得意の料理を一品持参し、他にかかる費用を会費で補い、おしゃべりしたり、子供達に遊びを提供したりしながら、半日一緒に楽しむ会のことです。

旦那とわたしの家からいうと、この通りは、うちを通り過ぎてすぐに突き当たる道です。
うちがある通りに出ると、すでに辺りはバーベキューのいい匂いが漂っています。
突き当たりを左に曲がると、



おぉ~、やってるやってる。シリアルでおなじみのトラ君が、芝生の上に寝っころがっておりました。



ご近所といえど、まだ一度も話をしたことがない人達。ちょっと緊張しながら中に入って行きます。



あ~ようこそ!さあさあ、好きな物をどんどん食べて!
 


今朝はあさこが練習の合わせに来てくれていて、練習やら合わせやらで午前中はバタバタしていたので、簡単にちらし寿司の素を使い、上に枝豆と海老の甘煮と錦糸卵を乗っけて持っていきました。
こちらの人達は、錦糸卵だけ見ても「すごぉ~い!」と盛り上がってくれるので助かります。

ちっちゃな子供がとてもたくさん居て、その中の、少し年上のお兄ちゃんお姉ちゃんは、といっても10才ぐらいなのだけど、一所懸命、ちっちゃな子達の世話をしたり、遊んであげたり、親にとっては束の間の休憩になったようです。




通りは違えど、うちの後ろの庭が、この通りの家4軒の後ろの庭と、フェンス一枚でつながっています。
それぞれの家の人達から、「いつもすてきな音楽をありがとう!」などと言ってもらい、ホッと胸を撫で下ろしました。
夏の間は窓を全開にして弾いていたので、この4軒の家の人達が庭に出て何かをしていたり、パーティなどをしている時には、さぞかし迷惑だろうなあ……と心配しいしい弾いたことが多々あったからです。

ご近所に恵まれたことを感謝しながら、午後からの予定があるので、早めに退散。
家の前で、ポール&ピンキー夫妻の娘さん夫婦とばったり出会いました。
ピンキーが末期癌に冒されていると聞いていたので、「ピンキーの、その後の容態は?」と旦那が聞くと、
「母よりも今父が大変なの。数日前に、心臓の開胸手術を受けたのだけど、術中に容態が悪くなって昏睡状態なの。でも父は前々から、なにかあっても延命処置をしてくれるなって言ってたので、今はただ、できるだけ自然な形にしているの」と話をしてくれました。
あまりのことにショックを受けていると、「でも父は、いい人生を生きたわ。この家に越してきて、わたし達を育て、わたし達の孫と遊んで、充分に楽しい時間を過ごしたと思うの。だから、これも仕方が無いと思えるの」と、静かに哀しみを堪えながら話してくれました。

ポール……ほんの1週間前、わたしが焦ってコンサートの練習をしていた時、あなたは庭に出て、プールの周りをゆっくり歩いていたね。
「僕が庭に出たら、いつでもピアノの練習をしておくれよ」と、いたずらっぽくあなたが言ってくれて、それからは気兼ねなく、練習に精出すことができたのでした。
その日もわたし、ポール、聞こえてる?この曲をいつか、ピンキーとあなたを家に呼んで、あなた方だけのために心を込めて弾くからね。と、心の中で話しかけながら弾いていました。
なのに……わたしったら……ほんとに行動に移すのがノロいんだから……。

ごめんね。でも、もしも、もしもあなたに奇跡が起きて、ピンキーとふたりで聞きにきてもらえたら。

祈ります。あなたのために。そしてあなたの最愛のピンキーのために。




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