ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

カーネギーの空気を震わせたい!

2010年09月20日 | 音楽とわたし
チケットです。



53枚のチケットを、買ってくださった方々に、できるだけ座り心地の良いように振り分けなければなりません。



あれこれ考え、知恵を絞り、やっとこさ終了しました。

ああ、近づいてきたなあ……と、少しドキドキしました。
最終の、100%の出来が要求されるリハーサルは、今週の金曜日の夜、本番と同じ開始時間で行われます。

今日、練習していて、ハッと気がつきました。
伴奏という字に惑わされていたことに。

『伴奏』= 楽曲の主旋律や主声部を支え引き立てるために、他の楽器で補助的に演奏すること。また、その楽器。

などと、辞書には書かれています。

わたしはその『支え引き立てる』、ということに徹しなければ!と思い込み過ぎていたのです。
でも、あさこと練習を共にし出してから、彼女が求めているものは、支えられ引き立てられることだけではなく(もちろんそれは必要だけど)、もっと違うところにあるんじゃないか、と思うようになりました。

彼女はわたしに伝えたいことがあるたび、小さな体でジャンプしたり、大波を描くように大きなカーブを描いたり、そりゃもうすごい動きを見せてくれます。
そうやって、音の行方や、響きの広がりを目で見させてくれるのです。
それで思わず、自発的に、自分の歌いたいように、確固としたイメージを抱いて、曲の最後の音まで、次に次に、とにかく次に進みたくて仕方が無くなるまで心をつないで弾いていると、「そうなの!これなの!」と嬉しそうな声が聞こえてきました。

最後の音を弾き終わり、はぁ~っと残りの息を吐き出した時、なんともいえない心地良い疲れを感じました。
でも、あれ?わたしっていつの間に最後まで弾いたんだっけ?
不思議なことに、あまり覚えていないのでした。
途中で、音が大き過ぎたり、タイミングが合わなかったりしたような気もするなあ。とボソボソ独り言を言っていると、
「でしょ?そういうことがもう、どうでも良くなっちゃうんだよね。でも、それでいいんだよ。それがいいんだよ」とあさこ。

うちの部屋とカーネギーの空間は、とんでもなく違うけれど、この感じだけは覚えて、あの場所でも再現できたらいいなあ。

コメント (8)
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